瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(06)

小池壮彦『怪奇事件の謎』(5)
 昨日、一昨日の最後に小池氏が「結果的に当初の予定通りの現場に足を踏み入れていたことになる」と書いていたことに突っ込む機会を失していました。――小池氏は結局、助教授教え子殺しの現場を全く把握しておらず、その後得た、道了堂の近くだと云う誤情報を信じ込んでしまったようです。しかし、地元の人に聞けなかったとしても、教え子殺しの現場(別荘と屍体遺棄現場)は新聞縮刷版でも確認出来たと思うのです。そうすると、市販の地図に載っていない道了堂の場所が分からなくて、大体近くだと思い込んでしまったのでしょうか。しかし、後述するように小池氏は『東京近郊怪奇スポット』刊行までに道了堂を再び訪れていますので、そんな大まかな思い込みの可能性は否定されそうです。そうすると、やはり、単なる確認不足と云わざるを得ません。そして、この小池氏の不注意な記述が以後、かなり長い間、道了堂を怪談の現場として取り上げた人々に混乱を与え続けることになった(かも知れない)のです。

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 昨日の続きで『怪奇事件の謎』の、初めて道了堂を訪ねたときの記述を見て置きましょう。125頁9~13行め、

 現場への山道は整備の途上で、デコボコの砂利道だった。道了堂はすでに解体されていたが、/残骸はまだあった。寺跡に続く石段には、朽ちた大木が横倒しになっていた。懐中電灯を消す/と、完全な闇である。このとき同行した友人が、宙に浮く能面のような顔を至近距離で見てい/る。樹液のような黒いものが、いつのまにか首筋に垂れていた。当時の現場は、ただ事ではな/い雰囲気を醸していた。


 前半に『東京近郊怪奇スポット』になかった「山道」や「道了堂」についての記述が補われている一方で、後半の友人の体験は、非常に具体的だった『東京近郊怪奇スポット』の記述が恐ろしく簡略化されています。『東京近郊怪奇スポット』8頁9~11行め、

 聞いた道順に従って、私たちは道了堂と呼ばれる廃寺を訪れた。周囲は真っ暗だった。女のすすり/泣く声がするらしいよ、と警察官がいっていたので、私たちは耳を澄まして林の奥へと進んでいった。/すると突然K君が「うぇあ!」と叫び、車の方へと駆け戻っていった。驚いた私も慌てて戻り、‥‥


 まだ続くのですがこれ位にして、――「デコボコの砂利道」は昭和47年(1972)10月26日指定の八王子市指定史跡「絹の道」で、道了堂の近くまで車で入っています。『怪奇事件の謎』では道了堂が「すでに解体されていたが、残骸はまだあった」としているのだけれども、どうも『東京近郊怪奇スポット』では、このとき道了堂を見ていないらしいのです。9頁右上の〔怪異現象発生地概要〕には、2~5行め、

 八王子市片倉の雑木林の中にある荒れ果て/た寺が道了堂である。泣き声は林の中から聞/こえるらしい。友人が狂ったように逃げ出し/たのは、道了堂に至ると思われる階段の途中/だった。‥‥

とあって、石段の上まで行っていないようです。尤も、9頁下の〈怨念の系譜〉の8~9行めに、

‥‥。その後に/も再び同所を訪ねる機会があったが、怪奇な現象は起こらなかった。‥‥

とあるので、道了堂の状況は再訪の際に見たのかも知れません。
 小池氏が道了堂を再訪したのはいつだったのでしょうか。しかし、この「道了堂はすでに解体されていたが、残骸はまだあった」と云う記述がその後の小池氏の実見に基づくとしても、実は、昭和59年(1984)3月15日の状況としては正確ではないのです。――すなわち、小池氏は『怪奇事件の謎』では初めて訪問したときのことを、後付けの知識で膨らませて書いていることになるのです。小池氏の体験談は、昨今盛行を見せている心霊スポットとして道了堂跡を訪ねる流れの初期に位置付けられる、いわば原典みたいなものですから、なるべくなら記述から混乱を排除して置きたいと思うのです。細かい話になりますが以下、この点について突っ込んで行こうと思っておるのです。(以下続稿)