瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(2)

小池壮彦『怪奇事件の謎』(1)*1
 小池壮彦が道了堂を取り上げたのは1996年刊『東京近郊怪奇スポット』が最初ではないか、と思われるのだけれども、2013年2月27日付「小池壮彦『東京近郊怪奇スポット』(2)」に見たように、この本は1つの場所を見開き2頁で、小池氏の実地(調査)での体験や、場所の概要、それから解説など、ガイドブック風にポイントを分けて記載しているので、引用・言及するには些か使いづらい。幸い(?)2016年刊『怪奇事件の謎』に、『東京近郊怪奇スポット』の内容はほぼそのまま、コーナー分けなどせずに記述されているので、ここでは『怪奇事件の謎』073〜154頁「【第二章】不可解な出来事」8節のうち5節め、122〜129頁「「道了堂跡」に刻まれた"悲史"と"タブー"」の記述を引用し、『東京近郊怪奇スポット』との異同を註記しながら内容を確認して置こう。
 まづ、122頁3~8行めの前置きを抜いて置こう。

 東京・八王子市鑓水*2の〝道了堂跡〟を、久しぶりに訪ねてみた。この場所でその昔、堂守の/老婆が殺された。近くで女子大生が殺される事件もあった。このふたつの惨劇が心霊スポット/と化した理由と言われるが、そのように話が単純化されたのは、インターネットで孫引きの情/報が流布してからのことである。鑓水の怪談が広まったのは1970年代から80年代にかけて/のことだが、それはまず女子大生殺しの余波として世間に知られた。堂守の老婆にまつわる幽/霊話は、あくまで地元の秘話だった。その経緯を以下にお話しする。


 前回見たように『東京近郊怪奇スポット』では場所を「八王子市片倉・道了堂(名所)」としていたが、これを「八王子市鑓水」と訂正している。道了堂は八王子市鑓水と八王子市片倉町の境界、大塚山(213m)にあるが、後述するように鑓水の人々により創建されたので、場所も大塚山の南側、すなわち鑓水側である。翻って、小池氏が初めて道了堂を訪ねたとき、そして『東京近郊怪奇スポット』執筆時には、道了堂についてその位置や歴史について、余り調べていなかったことが察せられる訳である。
 続いて1項め、122頁9行め~123頁10行め「東京の"秘境"で起きた「女子大生殺し」」に、立教大学助教授による愛人の女子大学院生殺しについて述べる。
 この事件について纏めたものとしては、当ブログでは2018年12月6日付「TRUE CRIME JAPAN『情痴殺人事件』(1)」に、『東京近郊怪奇スポット』と同年に刊行された『情痴殺人事件』を取り上げたことがある。現地写真と新聞記事の複写が充実したシリーズで、「第4章 大学助教授教え子殺人事件」についても他の4つの事件とともに、2018年12月8日付「TRUE CRIME JAPAN『情痴殺人事件』(3)」に写真と新聞記事の細目だけ、紹介して置いた。
 しかし、こういう本、そして書き手だから、この項も幽霊話から書き出されている。122頁10~11行め、

 1970年代半ば頃、鑓水の雑木林に幽霊が出るという話が広まった。これは噂のレベルと/いったなまやさしいものではなく、実際に悲鳴を聞いた人や、女の姿を目撃した人がいた。


 そして、鑓水という地名を有名にした事件として、立教大学助教授教え子殺人事件の概要を述べるのである。まず助教授一家の心中で助教授による殺人事件が発覚し、鑓水の別荘近くに女子大学院生の死体が埋められていると推測され、大規模な捜索が行われたものの中々発見されず、と云う経緯は、差し当たりWikipedia「大場啓仁」項に詳しいから割愛する。取り敢えず事件関係書に拾われないであろう記述を拾って置くと、123頁5行め~124頁4行め、

‥‥。警察は/大場の別荘がある鑓水地区を捜索したが、京子さんの遺体は見つからなかった。その模様をテ/レビが連日報じているさなかに、現場付近で幽霊の目撃報告が多発したのである。
 京子さんの姿を髣髴とさせる幽霊は、多摩美術大学の裏手の林や、国道沿い、また道了堂付/近にも出没した。ちょうど大場の別荘地をめぐるエリアだった。‥‥


 私としては、これら具体的な場所を挙げた当時の報道を、具体的に教えて欲しいと思っているのだけれども、この幽霊話については、当ブログでも別の怪異談、と云うか怪事件の噂に関連して検討したことがあった。(以下続稿)

*1:【2月9日追記】この見出しの標題の前「MU NONFIX」とレーベル名を示していたが、分かりにくいので著者名に差し替えた。

*2:ルビ「やりみず」。