・小池壮彦『怪奇事件の謎』(4)
それでは2項め、124頁11行め~127頁「心霊スポットである以前に/“禁忌の場所”だった」を見て行きましょう。
まづ125頁13行めまでで1行分空白を作って切っていますが、ここまでが『東京近郊怪奇スポット』8頁の現地レポートに対応する部分となります。
ただ、かなりの異同があります。『東京近郊怪奇スポット』は8頁3~8行め、
昭和五十九年の三月十五日夜十時頃、八王子市の国道16号線をひたすら走ったところで道がわか/らなくなり、私とK君は通り沿いにあった交番を訪れた。
「女子大生? 幽霊? この辺で殺された? さあ、そんなことがあったかなあ」
若い警察官は、意外にも有名な殺人事件についての知識を欠いていた。
「道了堂なら知ってるけどな」と、これは自慢げにいう。「行くのはいいけど、あそこは怖いぞ。絶対/出るとはいわないけど、かなり出そうなところではあるからな」
と書き出され、この警察官に初めて道了堂に幽霊の噂のあることを聞かされ、場所を教えてもらって訪ねることになっていました。
ところが、『怪奇事件の謎』では124頁13行め~125頁8行め、
私は1981年に車の免許を取ったとき、真っ先に出かけたのが八王子市の鑓水だった。目/的は京子さんの幽霊話を実地に確かめるためだったが、地元の人に聞くと、鑓水の幽霊と言え/ば、常に道了堂の話だった。当時の車にはカーナビはないし、地図にも道了堂は載っていなか/【124】った。お堂はすでに廃墟になっていたからである。コンビニも普及していない時代の心霊スポ/ット巡りは、ほとんどカンが頼りだった。京子さんの幽霊しか頭になかった私のなかで、地元/の人が言う〝老婆の幽霊〟は課題として残った。
道了堂での張り込みを決行したのは、1984年3月15日のことである。午後10時頃、国道/16号線を走っていて交番を見つけ、警官に鑓水の怪談事情を聞いた。すると、やはり「幽霊な/ら道了堂だ」という。意外にも警官は京子さんのことを知らず、道了堂での老婆殺害事件の状/況はよく知っていた。幽霊の噂の信憑性についても、警官は一概に否定しなかった。
「絶対出るとは言えないが、出そうな場所ではあるな」と言って薄笑いしていた。
とあって、昭和56年(1981)に別の目的――小学5年生のとき、昭和48年(1973)秋から昭和49年(1974)2月に掛けての捜索の「模様をテレビが連日報じていた」のを見、同時に広まっていた「現場付近での幽霊の目撃報告」にも接していた小池氏の、云って見れば数年来の懸案であった立教大学助教授教え子殺しの幽霊話を実地に検証するために八王子市鑓水に乗り込み、そこで地元の人から聞かされたものの地図にも出ておらず、場所が分からなかったので(?)到達出来なかった道了堂に、改めて昭和59年(1984)3月15日に満を持して出直して、初めて訪れたように書かれています。すなわち既に幽霊話を知っていて大体の場所も分っていたことになっていて、交番を訪ねたのも道に迷ったからではありません。
しかし、どうも不自然です。『怪奇事件の謎』ではここまで、老婆殺し及びその幽霊話は「地元のタブー」或いは「地元の秘話」だったから、助教授教え子殺しで鑓水の幽霊話が注目を集めるまで「表に出てくること」もなかったかのように書いていたのに、これでは「地元の人」の方から、有名な助教授教え子殺しではなく「道了堂の話」の方を聞かれもしないのに語って聞かせたことになってしまいます。18歳、大学1年生の若造で、まさか後にこのような執筆活動をするライターになるなど露程も思わずうっかり口を滑らせてしまったのでしょうか。しかし「常に」と云っておりますから、複数の人間が口を揃えて小池氏に「道了堂の話」をしたことになります。矛盾していると云わざるを得ません。
なお、谷謙二(埼玉大学教育学部人文地理学研究室)の「時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」」にて、この頃(昭和58年修正・昭和60年2月28日発行)の 1:25000地形図「八王子」を見るに、従来の地形図から引き続いて「道了堂」の記載があります。尤も、街の本屋で市販されている、昭文社などの区分地図には記載されなくなっていたのかも知れません。
『東京近郊怪奇スポット』では、そもそも助教授教え子殺しにまつわる幽霊話の現場にふと思い付いて出掛けたような按配に書かれていました。そして道に迷って国道16号線沿いの交番で話を聞くことになるのです。
この辺り、すなわち八王子駅と橋本駅の間の国道16号線沿いにある交番・駐在所を、先の「時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」」に掲出されている戦後の地形図で点検するに、東京都町田市相原町369番地24の相原駐在所と云うことになりそうです。当時は警視庁町田警察署の管轄でしたが現在は平成21年(2009)4月に新設された警視庁南大沢警察署に移管されております。
ちなみに「警視庁」HPの「南大沢警察署/相原駐在所」の紹介(更新日:2018年2月28日)に、
町田街道と国道16号線が交わる相原交差点付近にある駐在所です。
その昔は、坂の下にあったことから、「坂下」の駐在さんと呼ぶ地元の高齢の方も少なくありません。
三つの町を受け持っていますが、‥‥
とありますが、確かに坂の下に位置しているけれども、そもそも「坂下」は所在地の辺りの字(集落名)です。
それはともかく、町田市相原町は八王子市鑓水の南ですから、小池氏はこの夜、北の八王子の市街地の方から国道16号線を、片倉町・御殿峠を越えて鑓水の西縁をかすめて相原町坂下まで車を走らせて来たことが察せられます。そこで行き過ぎたらしいと気付いて相原駐在所に飛び込んだのでしょう。
しかし相原駐在所は鑓水に隣接しているとは云え、管轄の警察署が違います。鑓水を管轄し、そして鑓水に最も近いのは警視庁八王子警察署上柚木駐在所(八王子市上柚木312番地2)で、現在は南大沢警察署開署に伴って、相原駐在所に同じく南大沢警察署に移管されております。
しかし、助教授教え子殺しの現場は、かつての鑓水商人の屋敷跡が並ぶ鑓水の中心地、大芦谷戸・子ノ神谷戸・巌耕地谷戸・嫁入谷戸・伊丹木谷戸が合流する辺りから、そう遠くありません。地元の人が幽霊の噂を知らなかったとしても、殺害現場の別荘や屍体遺棄現場を知らなかったとは思えないのです。そもそも1度行ったことがあるなら何故鑓水を縦貫する都道20号線(柚木街道)の方に入らなかったのでしょうか。2度めのはずなのに鑓水の中心部を通らない国道16号線で神奈川県境近くまで通り抜けてしまうと云う頓珍漢なルートを辿っている辺りからも、どうも、初めてこの辺りに来たらしく書いている『東京近郊怪奇スポット』の方が自然に思われて仕方がないのです。立教大学助教授教え子殺しのことを全く知らない「若い警察官」が「道了堂での老婆殺害事件の状況はよく知っていた」と云うのも奇妙です。いえ『怪奇事件の謎』では単に「警官」となっていて「若い」かどうかが暈かされています。――ですから私には、『東京近郊怪奇スポット』の方が実際に近く、『怪奇事件の謎』は後付けの知識で捻じ曲げられた記憶に基づいて書いているように思われてならないのです。さもなければ『東京近郊怪奇スポット』では発揮出来た辻褄を合せて文章を纏める技倆が、『怪奇事件の謎』では衰えてしまって、実は『東京近郊怪奇スポット』より正確に書こうとしていたのに、却って破綻を来してしまったように思われるのです。(以下続稿)