昨日の続きで今野圓輔 編著『日本怪談集―妖怪篇―』第十一章「雪女」の本文について、見て置こう。まづ現代教養文庫261~266頁11行め・中公文庫(下)94~100頁4行め「一 雪 女」について、仮に算用数字で番号を打ち、前者を①、後者を②として頁・行、体験者もしくは話者と時期、出典を示して置く。
【1】①261頁2行め~262頁8行め②94頁2行め~95頁10行め、岩松多利吉、幕末、毛利総一郎・只野淳『仙台マタギ鹿狩りの話』
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吹雪の山中で行きくれ、山小屋に泊った猟師の親子があった。長野県白馬岳の麓での話|であ/る。その親子が避難していた山小屋に、色の白い女がやって来て、父親に白い息を吹|きかけ、息/子にも息を吹きかけようとはしたが、なにを思ったのか途中でやめ、
「けっして私のことは他人に喋ってはいけない」*1
といって小屋を出て行ってしまった。吹き荒れた吹雪の夜が明けて、息子が気がついてみ|ると父/親は冷たくなって死んでいた。【95】
その翌年の雪の降る夜のこと、息子は見知らぬ女が雪に難渋しているのを助けて妻とし、|夫婦/の間にはつぎつぎに子供が生まれた。ある晩のこと、男は、ふと思い出した一〇年前|の山小屋で/の話を女房に語って聞かせたところが、女房は、【262】
「私がその時の女で、正体は雪女だが、おまえを殺す気はないから、出て行きます」
そういって姿を消してしまったという(『山の伝説』)。
まるでラフカディオ・ハーンの作品をダイジェストした信州版とでもいいたいほど似た|話であ/る。雪女の新聞切抜資料を読んでいると、地方版に郷土の伝説とか昔話として地元|の執筆者が書/いたものに、ハーンの「雪おんな」そっくりそのまま、登場人物も茂作、巳|之吉、お雪というの/が少なくとも三件もあった。明白な原作者が忘れられてしまい、話だ|けが伝わり語られつづけて/いるあいだにまるで土着してしまって、某地に伝承された世間|噺*2、伝説あるいは昔話ふうに取り/まぎれてしまう場合も想定されるのである。
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昭和九年、和田喜太郎氏の和田小屋で和田爺が語る雪女郎の話。
「和田小屋の前に建っていた山小屋だが、正月になると、八〇人もの大学のスキー合宿が|あった/もんだ。‥‥
【3】①263頁10行め~264頁15行め②96頁13行め~98頁4行め、和田喜太郎(1970.3歿)、今野氏の書き方だと昭和9年(1934)に語られたようだが、出典の(『サン写真新聞』昭和三二年八月四日)から遡って「二十年も昔」の昭和9年のことらしい。古田島昭五(こたじま皮膚科診療所、2014.8.8歿)「山と温泉48~その31/付記=「苗場の鐘」物語」(長岡市医師会たより「ぼんじゅ~る」No.255・2001.6)によれば「婆さま」は昭和58年(1983)12月歿、「娘の千代」は当時80過ぎで存命。
【4】①264頁17行め~265頁10行め②98頁6行め~99頁1行め、柳田國男翁の『遠野物語』の第一〇三話の口語での紹介、結句のみ原文。付け足しで①265頁8~10行め②98頁16行め~99頁1行め、
雪女に関する作品には、『今昔物語』には産婦に似た雪女御の話があり、謡曲には〝雪〟|や〝雪/鬼〟があり、また廃曲になった〝雪女〟もあり、古浄瑠璃の〝雪女〟もある、辞典|類では『広文/庫』がもっとも多くの例話を紹介している。
とある。早い時期に「雪女」について古文献を引用している文章は、原典に一々当たったのではなく『廣文庫』からの孫引きなのだろう。
【5】①265頁12行め~266頁5行め②99頁3~15行め、昔話2話が紹介される。1話めは吹雪の夜に雪女*3から預った、風呂嫌いの色の白い女の子を無理矢理風呂に入れたらあぶくになって浮かんでいた、と云う話。そして①265頁18行め②99頁9行め、
として2話め、やはり風呂に櫛が浮いていたと云う落ちである。
【6】①266頁7~11行め②99頁17行め~100頁4行め、これも昔話で末尾に(益田勝実『世界大百科』平凡社版)とある。【5】には出典がないが同じであろうか。冒頭、①266頁7行め②99頁17行め、
とある。【5】もそうだが、原拠は何であろうか。これもつららのかけらが風呂に浮いていたと云う落ちである。
「二 雪 男」は話の列挙ではなく、ヒマラヤの雪男から始めて、日本各地に伝わる一本足の雪の日の妖怪にざっと触れ、柳田國男と高崎正秀の見解に触れている。(以下続稿)