瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(100)

 2021年7月21日付(002)以来何度か、牧野陽子が仮に当ブログでは旧稿とした「ラフカディオ・ハーン『雪女』について」と、同じく牧野氏の新稿と呼ぶことにした「「雪女」の〝伝承〟をめぐって―口碑と文学―」にて、今野圓輔 編著『日本怪談集―妖怪篇―』の雪女に関する記述を引いていることに触れた。
 ここで昨日、2月21日付「今野圓輔 編著『日本怪談集―妖怪篇―』(4)」に細目を確認した、現代教養文庫253~268頁・中公文庫(下)85~102頁「第十一章 雪   女」の内容をもう少々詳しく見て置こう。
 扉については2021年12月8日付(2)に見た。
 〔解説〕の1項め「雪女の正体」の冒頭、1段落めを見て置こう。現代教養文庫254頁1~8行め・中公文庫(下)86頁2~9行めで前者の改行位置を「/」後者*1のそれを「|」で示した。

雪女の話などは、厳冬期に零下一〇度にも二〇度にもなる極寒地で猛吹雪にも襲/われ、|二~三メートルにもおよぶ家雪地帯でこそ恐るべき妖怪譚にもなりえよう/が「うっすらと|雪化粧」などと風流がって過ごせる温暖な地方では、ほとんど恐怖の対象にはな/りにくい。|もともと月雪花といったり雪月花といえば文芸上の鑑賞の対象であった。〝雪の精〟/など|と聞くと、恐ろしいよりは、はかなく消えるただ純白の﨟*2たけた美しい女の幻を連想する|人/びとが多かろうと思う。しかし地吹雪の吹きあれる新潟県南魚沼の山村の老人たちは、|吹雪の翌/朝、凍死者が発見されると「ああ、また雪女にやられたなあ」というそうで、じ|っさいの雪女は/恐ろしい存在であることがわかる。


 以下各地の例からその性格、特に歳神的性格を、幾つか文献を挙げつつ指摘する。
 続く2項め「農神さまと雪神」は1項めを発展させたものだが、その最後の段落で話題を転換する。現代教養文庫257頁1~5行め、中公文庫(下)89頁12~16行め、

 歌舞伎浄瑠璃で雪女というと、近松門左衛門(一六五三~一七二四)の時代物の「雪女|五枚羽子/板」が有名だが、この作品での雪女は、じつは幽霊である。例によって複雑な筋|書だが、笛の名/人だった藤内太郎の恋人である侍女の中川がたまされて雪の中で凍死させ|られる。やがてその中/川の霊が雪女になって現われ、忠臣の斯波義将に将軍の危難を告げ|知らせたので義将は藤内とと/もに将軍の館に駆けつける……。【89】


 3項め「雪女郎の侍女は霰」は元禄七年(1694)刊『好色万金丹』巻之四ノ4「雪のあけぼの」の紹介。
 そして4項め「ハーンの雪女」は、冒頭と最後の段落を抜いて置こう。
 1段落め、現代教養文庫258頁3~6行め・中公文庫(下)91頁2~4行め、

雪女は古浄瑠璃にも謡曲にも出てくるが、都会の読書人に知られているのはラ/フカディ|オ・ハーン=小泉八雲(一八五〇~一九〇四)の作品「雪女」にちがい/ない。ハーンは東|京都西多摩郡調布村の百姓から聞いた雪女の話からヒントを得て作品化したと/いう。


 そして、幽霊のような雪女の目撃例、吹雪で行倒れになった者の霊魂とする説、吹雪の夜に訪ねて来た娘が出て行こうとするので手を取ったら消えてしまったと言う話などの民俗学者の報告や、貞享二年(1685)刊『宗祇諸国物語』の例を挙げて、8段落め、現代教養文庫259頁8~10行め・中公文庫(下)92頁8~10行め、

 雪女の話もまた一種の婚姻譚であるとは関敬吾氏の指摘だが、笑話化した雪女の話もあって、/恐怖の対象としての雪女、異類婚姻譚としての雪女、笑話化した雪女の三種に区別できようかと/思う。


 本文の方はもう少し具体的な話を挙げている。次回、そちらを詳しく見て行くこととしよう。(以下続稿)

*1:段落の頭はもちろん1字下げ。

*2:ルビ「ろう」。