本書の編纂について、もう少々事情が分からないかと、編著者の著書を検索して見るに、50音順なので筆頭に名前が挙がっている相原悦夫に、次の著作があることが分かったので、借りて見た。
・かたくら書店新書51『随想 春秋一会 私の人ごよみ/八王子・三鷹、そして祭り、人との出会い暦』2010年 4 月 発行・定価1000円・前付+345頁
表紙は書影にある通り「随 想」が大きく、1字下げでやや大きく「春秋一会・私の人ごよみ」そして左に「八王子・三鷹、」として2行同じ高さで「そして祭り/人との出会い暦」、右上に著者名、下部のペン画には「1998.1.16 E.AIHARA」のサインがある。最下部中央に小さくゴシック体横組みで「かたくら書店新書51」とある。背表紙には1行で「随 想 春秋一会・私の人ごよみ」は同じ大きさの明朝体太字、2字半空けて明朝体で著者名、さらに2字空けてゴシック体で小さく「かたくら書店新書」。裏表紙には左下にバーコード2つ「9784906237517/1920295010005」その下に明朝体で「ISBN978-4-906237-51-7/C0295 ¥1000E」少し空けて「定価(本体1000円+税)」。表紙・裏表紙とも見返しには白紙の遊紙が1葉ずつ、前付には頁付がなく、1頁めは扉で、表紙のうち明朝体の文字が、イラストがなくなった分、副題、副々題を下に移動させて配されている。シリーズ名もない。3頁め「流れ行く雲」と云う4行の散文詩。5~7頁め「はじめに」は「平成二十一年十二月」付。これを読むに標題は「春秋一会・私の人ごよみ」で良いようだ。8~9頁め「凡 例」は11項目、差し当たり1・2・6・11項めを抜いて置こう。8頁め2~5・14行め・9頁め10~11行め、
一 本書の構成は、八王子での出会い、三鷹での出会い、祭りでの出会いの三部に分けて、/ 人名は五十音順に配列、敬称は略し、執筆した。
一 執筆した内容は出会い、語らい、履歴などの断片を書いたもので、各人のすべてを記/ したものではない。
(3項略)
一 本文中の「今年・・・」は執筆した年の「平成二十一年」のことである。【8頁め】
(4項略)
一 なお、末尾に著者個人の輪郭を知ってもらうことも必要と判断し、「著者の横顔」と/ 題して、その断片を書かせていただいた。
10~18頁め「目 次」ここまで頁付がない。頁は八王子での出会い、三鷹での出会い、祭りでの出会いの3箇所にしか入っておらず、列挙されている人名は大体の見当で探して行くしかない。
1~97頁「八王子での出会い」33人
98~172頁「三鷹での出会い」26条(個人22条、夫妻2条、団体2条)
173~310頁「祭りでの出会い」46条(個人44条、夫妻1条、親子1条)
311~316頁「(参考文献・資料)順不同」
317~339頁「著者の横顔」11節
340頁「次の方々にご協力をいただきました。(敬称省略)」
341~345頁「お詫びとあとがき」
お詫びと云うのは341頁2~10行め、昭和50年(1975)刊『八王子の曳山祭』の誤りの訂正。
相原氏は八王子市元八王子町の大工で、八王子多賀神社の宮頭・元八王子町の町内頭の相原鉄五郎の子息で、都立第二商業高等学校、日本大学法学部を卒業して三鷹市役所に就職し、最後は太宰治文学サロンの管理責任者(初代)だった。
本書関連の記述は次回以降見て行くこととして、ここでは拾い読みして気付いた疑問点を指摘して置く。
・7頁11行め、
・著書 「阿部昭三戯曲全集」 青柿堂発行 一九九七年一二月
とあるが版元は青柿堂ではなく「菁柿堂」である。
・44頁13行め「語りロ調」とあるが「語り口調」。
・153頁6行め「恋の密・山崎富栄と太宰治」とあるが154~155頁の5箇所は全て「恋の蛍」である。
・214頁3~4行め「‥‥、当初は明治期の殿/ヶ谷、石畑のニ台の調査であったが、‥‥」の「ニ台」は「二台」。*1
・323頁5~7行め、
直ぐ上の兄、相原義晴も映画が好きで、日大芸術学部映画学科卒業後、東映大泉撮影所/に就職、千葉慎一のデビュー作品「くらやみ五段」をはじめ、東映現代劇本編の撮影監督/として数多く撮った。
とあるが千葉真一(1939.1.22~2021.8.19)のデビューは「くらやみ五段」の5年前である。(以下続稿)
*1:3月2日追加。