瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

八王子事典の会 編『八王子事典』(10)

 本書の編纂について、もう少々事情が分からないかと、編著者の著書を検索して見るに、50音順なので筆頭に名前が挙がっている相原悦夫に、次の著作があることが分かったので、借りて見た。
・かたくら書店新書51『随想 春秋一会 私の人ごよみ八王子・三鷹、そして祭り、人との出会い暦』2010年 4 月 発行・定価1000円・前付+345頁

 この書影では灰色地のように見えるが白地である。標題は奥付に拠る。
 表紙は書影にある通り「随 想」が大きく、1字下げでやや大きく「春秋一会・私の人ごよみ」そして左に「八王子・三鷹、」として2行同じ高さで「そして祭り/人との出会い暦」、右上に著者名、下部のペン画には「1998.1.16 E.AIHARA」のサインがある。最下部中央に小さくゴシック体横組みで「かたくら書店新書51」とある。背表紙には1行で「随 想 春秋一会・私の人ごよみ」は同じ大きさの明朝体太字、2字半空けて明朝体で著者名、さらに2字空けてゴシック体で小さく「かたくら書店新書」。裏表紙には左下にバーコード2つ「9784906237517/1920295010005」その下に明朝体で「ISBN978-4-906237-51-7/C0295 ¥1000E」少し空けて「定価(本体1000円+税)」。表紙・裏表紙とも見返しには白紙の遊紙が1葉ずつ、前付には頁付がなく、1頁めは扉で、表紙のうち明朝体の文字が、イラストがなくなった分、副題、副々題を下に移動させて配されている。シリーズ名もない。3頁め「流れ行く雲」と云う4行の散文詩。5~7頁め「はじめに」は「平成二十一年十二月」付。これを読むに標題は「春秋一会・私の人ごよみ」で良いようだ。8~9頁め「凡 例」は11項目、差し当たり1・2・6・11項めを抜いて置こう。8頁め2~5・14行め・9頁め10~11行め、

一 本書の構成は、八王子での出会い、三鷹での出会い、祭りでの出会いの三部に分けて、/ 人名は五十音順に配列、敬称は略し、執筆した。
一 執筆した内容は出会い、語らい、履歴などの断片を書いたもので、各人のすべてを記/ したものではない。
  (3項略)
一 本文中の「今年・・・」は執筆した年の「平成二十一年」のことである。【8頁め】
  (4項略)
一 なお、末尾に著者個人の輪郭を知ってもらうことも必要と判断し、「著者の横顔」と/ 題して、その断片を書かせていただいた。


 10~18頁め「目 次」ここまで頁付がない。頁は八王子での出会い、三鷹での出会い、祭りでの出会いの3箇所にしか入っておらず、列挙されている人名は大体の見当で探して行くしかない。
 1~97頁「八王子での出会い」33人
 98~172頁「三鷹での出会い」26条(個人22条、夫妻2条、団体2条)
 173~310頁「祭りでの出会い」46条(個人44条、夫妻1条、親子1条)
 311~316頁「(参考文献・資料)順不同」
 317~339頁「著者の横顔」11節
 340頁「次の方々にご協力をいただきました。(敬称省略)」
 341~345頁「お詫びとあとがき」
 お詫びと云うのは341頁2~10行め、昭和50年(1975)刊『八王子の曳山祭』の誤りの訂正。
 相原氏は八王子市元八王子町の大工で、八王子多賀神社の宮頭・元八王子町の町内頭の相原鉄五郎の子息で、都立第二商業高等学校日本大学法学部を卒業して三鷹市役所に就職し、最後は太宰治文学サロンの管理責任者(初代)だった。

 そんな訳で出身地の八王子、勤務地の三鷹、そして祭礼関係の人脈が出来たのである。
 本書関連の記述は次回以降見て行くこととして、ここでは拾い読みして気付いた疑問点を指摘して置く。
・7頁11行め、

 ・著書 「阿部昭三戯曲全集」 青柿堂発行 一九九七年一二月

とあるが版元は青柿堂ではなく「菁柿堂」である。
・44頁13行め「語りロ調」とあるが「語り口調」。
・153頁6行め「恋の密・山崎富栄と太宰治」とあるが154~155頁の5箇所は全て「恋の蛍」である。
・214頁3~4行め「‥‥、当初は明治期の殿/ヶ谷、石畑のニ台の調査であったが、‥‥」の「ニ台」は「二台」。*1
・323頁5~7行め、

 直ぐ上の兄、相原義晴も映画が好きで、日大芸術学部映画学科卒業後、東映大泉撮影所/に就職、千葉慎一のデビュー作品「くらやみ五段」をはじめ、東映現代劇本編の撮影監督/として数多く撮った。

とあるが千葉真一(1939.1.22~2021.8.19)のデビューは「くらやみ五段」の5年前である。(以下続稿)

*1:3月2日追加。