瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

八王子事典の会 編『八王子事典』(14)

・相原悦夫『春秋一会・私の人ごよみ』(5)
 昨日の続きで「馬場喜信」条に見える『八王子事典』編纂に関する記述の続き、73頁4~9行めを見て置こう。

 何しろ初めての作業で、執筆分野、項立て、文章表記など、すべて打ち合わせの中から/コンセンサスを得ながら一つ一つ積み上げ、二十回余にわたる作業を経て、平成二年、「八/王子事典」が誕生する。実に、三年の歳月が流れた。この作業は難航を極めたが、その調/整役となったのが馬場さんである。馬場さんは出版社に勤務している関係から時点のノウ/ハウを熟知されており、表記の細部にわたってチェックされるなど、事典としての体裁を/整える重要な任務をになってくれた。


 前回、本書①初版「はしがき」②改訂版「初版はしがき」では、編著者たちの集りの中から本書編纂の話が出た時期が昭和60年(1985)早春となっており、昭和62年3月とするこの「馬場喜信」条と齟齬するのは、かたくら書店・田原勘意に企画が持ち込まれて正式に出版を前提とした「八王子事典の会」が発足した時点を挙げたからだろうか、等と想像して見たのだけれども、続くこの部分を見るに、それ以前に2年も前史があったようには読めないのである。昭和62年(1987)3月より「初め」から「積み上げ」て「三年」後の平成2年(1990)に本書完成に漕ぎ着けたように読める。いや、本書①初版第1刷の刊行は1月29日付(01)に見たように平成3年(1991)12月だから「平成二年‥‥誕生」がそもそもおかしい。延いては『春秋一会・私の人ごよみ』に見える本書に関する記述全体が(既に見たように齟齬しているようであり)そのまま信じて良いのかどうか、と云った気分にさせられるのである。すなわち、続く73頁10~12行め、

 私に届いた馬場さんからの手紙には「先日は、貴兄の精細な一覧表を見てあらためてびっ/くりしました。(後略)」と書かれているが、柴田さんは、「八王子市史」に出てくる人名/をすべて拾うなど、驚異というほかはない。‥‥

とあるのだけれども、馬場氏から相原氏に届いた手紙に「貴兄の」とあるのだから「精細な一覧表」を作成したのは相原氏だと読める。ところが次に唐突に「柴田さん」が持ち出される。頭から順に読んでおれば2月27日付(12)に引いた「柴田隆行」条に見える話だと分かるが、しかし繋がりが悪い。馬場氏の手紙はやはり相原氏の作成した一覧表の感想で、そこからの連想で、本書の下調べとして特筆すべき柴田氏の『八王子市史』の人名抜出しに話を進めたのだろうと思われるのだけれども、――相当分りにくい。
 なお「凡例」10項め(前付9頁め8~9行め)には「一 本書執筆にあたって末尾に参考文献、資料を掲載し、本文の信憑性を確保するよう努/ めた。」とあって、311~316頁「(参考文献・資料)」を見るに、311頁2行め~313頁1行め「八王子での出会い」313頁2~14行め「八王子での出会い」314~315頁8行め「祭りとの出会い*1」に続いて、315頁9行め~316頁15行め「(所蔵資料)」として20点が挙がるが、2・3・5点め(315頁11・12・14行め)が、関係しているようだ。すなわち「私家日記 平成二年―平成二十一年」と「はがき、書簡等整理帳(十冊) 昭和五十年―現在」そして「八王子事典関係綴 一冊 昭和六十三年―平成元年」である。「八王子事典関係綴」が昭和63年(1988)と平成元年(1989)の2年間に限られるのは、やはりこの時期に編集方針を決める打ち合わせが多々持たれたと云うことなのであろうか。しかし、73頁12~15行め、

‥‥。常識を遥かに超えた発想とエネルギーを各人/が傾注して当初、一万を超える項立てを考えたが、精査して六千余りの項目に厳選された。/こうした外に出ない「八王子事典」の裏の作業は殆ど知られていないが、振り返ってみる/と懐かしい作業であった。‥‥

とあるように「殆ど知られていない」貴重な内部情報(?)であるだけに、せめて本書の「はしがき」や『春秋一会・私の人ごよみ』の類似の記述と摺り合せて、矛盾なく、安心して使えるようにしてもらいたかったと思うのである。
 なお、項目数だが①初版②改訂版とも「凡例」に「5,100項目」とあるから、ここの回想とは1000項目ほど違っている。しかし①「はしがき」2頁11~12行め②「初版はしがき」2頁5~6行めに「‥‥.実現できたものは,当初の計画の/3分の2に満|たないと感じています.‥‥」とあるのは、実際に計画されていた項目数に基づくものだったことが分かる。
 最後、74頁2~3行め、

 その「八王子事典」の追補作業を馬場さんの後を受けて、今年、五月から私が引き受け、/作業を開始したが、馬場さんとの縁がつくってくれたものと思う。

とあるが、2月25日付(10)に引いた「凡例」6項めにあるように「今年」は平成21年(2009)、1月29日付(01)に見たように③「Web八王子事典」は前年平成20年(2008)10月に公開されているので、その後引き続いて行われていた作業と云うことになる。――かたくら書店が廃業してしまった現在、紙媒体での復活は困難かも知れないが、それこそ拓殖大学工学部のサイトから削除されてしまった③「Web八王子事典」の代わりとして、例えば八王子市のHPで市域の基礎情報としての公開に、ならないものだろうか。(以下続稿)

*1:「凡例」1項め、「目次」そして扉も「祭りでの出会い」。