瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

武蔵野郷土史刊行会『多摩の歴史』(2)

・佐藤孝太郎『やさしい八王子市の歴史』昭和五十三年九月二十日 発行・定価 五〇〇円・武蔵野郷土史刊行会・149頁
 現物未見、国立国会図書館デジタルコレクションに拠る。装幀については現物を見た折にメモすることとしよう。
 書名は奥付に拠る。
 1頁(頁付なし)扉の右下の版画は昨日見た『多摩の歴史 7』に同じ。左上に横長の明朝体太字横組みで「やさしい/八王子市の歴史」少し空けて「佐藤孝太郎著」。文字が少なくなった分、版画は『多摩の歴史 7』よりいも干上に位置している。左下にやや小さく明朝体横組み「武蔵野郷土史刊行会」。
 2~8頁(頁付なし)は白黒口絵。2頁は『桑都日記』の挿絵を上下段各2図合計4図示す。3頁上「産千代稲荷神社境内の大久保石見守長安陣屋址碑(小門町)」、3頁下「新町竹の鼻にある一里塚跡碑」、5~4頁上「  戸倉城址全景(五日市町)」左寄せ、4頁下「興岳寺本堂(八王子市千人町)」、5頁下「本立寺本堂(上野町)」、6頁上「八王子千人頭原半左衛門胤敦墓(上野町本立寺境内)」、6頁下「宗格院本堂(千人町)」、7頁上右「石原弥次右衛門顕彰碑/(千人町興岳寺境内)」1行め左詰め2行め右詰め、7頁上左「宗格院境内にある千人隊事跡碑(千人町)」、7頁下「昭和11年当時の八王子中央部(八日町)の風景/道路の中央に単線電車線があった。     」、ここまでのキャプションは下に中央揃え・明朝体で入っていたが、8頁は中央に広く余白を取って、8頁上「八王子城址の石垣 八王子市」これは下に添えるが、8頁下「⬇真覚寺裏山にある多摩の横山碑 八王子市」と上に添える。これは『多摩の歴史 7』5頁をそのまま使用したためである。但し『多摩の歴史 7』では写真が左(小口)に寄っていて右側に広い余白が出来ていたのを中央に移動させて左に少し余白を作っている。写真の範囲は上下と左が広くなっているが右は小口で切れて僅かに狭くなっている。
 9~13頁、武蔵野郷土史刊行会「ま え が き」の冒頭に、9頁2~7行め、

 本書は、多摩全域のやさしい郷土史として、広く愛読をいただいた「多摩の歴史」叢書第七巻(八王/子・町田・秋川・多摩・日野の五市の歴史)中の八王子市篇のみをご要望により単本として刊行したも/のであります。
 八王子の地名の由来から説きおこして、昭和三十年までを、八王子に生れ、八王子に育ち、こよなく/八王子を愛した著者が、ひとりでも多くの方々に読んでいただくことを願って簡潔にまとめた郷土八王/子小史と云うべき書であります。

と説明されている。以下は武蔵野郷土史刊行会が増補再刊する佐藤孝太郎の著書『八王子物語』の紹介で、11~13頁は色川大吉の「初版の序文より」。なお、10頁11行めに「〈古代か近代まで/八王子の歴史〉八王子物語」とあるのは「ら」が落ちているが、実際には「古代より現代まで」の副題になっている。12行め「上中下・全3巻定価各巻一、〇〇〇円予定」とあるのはその通りになったようだが13行め「発売深秋の予定」はズレ込んで、「昭和五十四年一月三十日/改装・改訂全三巻 同時発行」となっている。
 14~16頁「も  く  じ」は『多摩の歴史 7』の「も  く  じ」9~16頁のうち12頁2行めまでの「八王子市の歴史」に関するところだけ、9頁1行め「も  く  じ」から2行め「八王子市の歴史」まで8行分弱空けていたのを2行詰めて3頁に収まるようにしている。
 17~149頁の本文は『多摩の歴史 7』に同じ*1。1頁白紙があって奥付。発行所と多摩地区発売元が武蔵野郷土史刊行会、印刷所と製本所は『多摩の歴史 7』に同じ、発売元は日新堂書店。奥付裏も白紙。(以下続稿)

*1:7月14日追記】これは誤りで17頁(頁付なし)扉の題が「やさしい八王子市の歴史」となっている。