瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

全国歴史散歩シリーズ13『東京都の歴史散歩』(1)

 山川出版社から出ている全国47都道府県の歴史散歩シリーズ。
 私はこういう簡便な本に頼るのが嫌だったので、余り世話になった覚えがない。しかし、結局碌な参考書にも巡り合わず、好い加減に歩いて現地の看板で初めてどんな場所であるのか感心するような按配で、それはそれで愉しかったのだけれども、こういう本を活用してもっと計画的かつ効率的に歩けばもっと色々な物を見られただろうにと今更ながらに思うのである。
①文庫版
・全国歴史散歩シリーズ 13上『東京都の歴史散歩 () 1977年7月15日 1版1刷発行・1983年11月10日 1版10刷発行・定価 600円・口絵+xvi+285+13頁

・全国歴史散歩シリーズ 13下『東京都の歴史散歩 () 1977年7月15日 1版1刷発行・1983年7月25日 1版7刷発行・定価 600円・口絵+xiv+248+26+5頁
 著者は「東京都歴史教育研究会」。
 (下)の書影を表示出来なかったがカバー表紙は「上」2箇所が「下」に変わっているだけである。写真は白地(上部は赤)のカバー背表紙を挟んでカバー裏表紙に及んでいる(10.3×3.0cm)。カバー背表紙も「上」2箇所が「下」に変わっているだけである。カバー裏表紙、写真の右に横組みで、まづやや大きく「歴史を歩こう/  東京を見よう」とあって、1行分空けて10箇所ずつ見所を列挙、例として『下』の4箇所め「戦国の悲劇をかたる………八王子城跡」を挙げて置こう。最下部、中央やや左に『上』は「皇居桜田門」、『下』は「正福寺千体地蔵堂」と写真の場所を示し、右下隅には「定価 600円」下に極小さく『上』「0121-0313-8515」『下』「0121-0314-8515」と添える。
 カバー折返しは小口側上部に僅かに赤が入り込んでいる他は白地で文字は縦組み、表紙折返しが上部に破線の囲みで「表紙写真説明」があり、下部に『図説 歴史散歩事典』の広告があるのは同じ。裏表紙折返しが『東京都の歴史』であるのも同じだが、下段に明朝体で小さく入っている書評が『上』は末尾に「「週刊とちょう」より」とあり『下』は同じく「「東京新聞」 /”ブックコーナー”より」と替えてある。
 表紙見返し(遊紙)は白紙だが裏表紙見返しは青と赤の2色刷の「東 京 都 全 図」であるのは同じ。
 カラー口絵は4頁(頁付なし)ずつ。
 扉は明朝体縦組みで中央上寄りに大きく「東 京 都 の 歴 史 散 歩 上」もしくは「下」、右上に「東京都歴史教育研究会」これが著者で、左下にやや大きく版元名「山 川 出 版 社」。
 『上』ⅰ~ⅱ頁「発 刊 に よ せ て」には末尾、ⅱ頁17行め3字下げで「昭和五二年三月」4行めは下寄せで「〈全国歴史教育研究協議会/東 京 都 歴 史教育研究会〉 顧 問  鈴 木 貞 三  」とある。
 昭和44年(1969)掛けて、東京都千代田区の私学会館で開催された全国歴史教育研究協議会(全歴研)第10回研究大会の「分科会3【主題】ヨーロッパ近代史の再検討」の【総括】を担当したのが鈴木貞三(東京都立西高等学校長)で、昭和46年(1971)8月3~6日に千代田区の日本都市センターで開催された第12回研究大会では鈴木貞三(東京都立西高等学校長)が大会委員長を務めている。昭和50年(1975)7月30日から8月2日に千代田区の国立教育会館で開催された第16回研究大会の大会委員長は鈴木貞三(全歴研会長・前東京都立戸山高等学校長)である。
 東京都立西高等学校HPの「沿革」を見るに、昭和42年(1967)4月1日条「東京都立五日市高等学校長鈴木貞三、校長に補せられる。(第七代)」とあり、昭和47年(1972)4月1日条に「‥‥。校長鈴木貞三、東京都立戸山高等学校長に転補される。‥‥」とある。東京都立戸山高等学校HPの「沿革」はこの時期の校長に触れていないので鈴木氏がいつまで校長を務めたのか判らないが、昭和50年(1975)夏には退職して全国歴史教育研究協議会会長、昭和52年(1977)春には顧問になっていたようである。
 鈴木氏についてはそれ以上のことが分からないのだが、この「発刊によせて」にちょっと面白いことを書いている。ⅰ頁14行め~ⅱ頁1行め、

 一体に東京人は各県人に比べて郷土意識がきわめて低いといわれるが、三代以上続いた生粋の/江戸ッ子なんていうのは割方少なく、明治以後から今日にかけて他県から続々と流入した人とそ/の子孫が大部分を占めているのではなかろうか。それにしても一度都民となった上は第二の故郷/【ⅰ】としてでも郷土意識をもってもらいたいものである。

とするのに続いて、2~7行め、

 ある夜遅く提灯*1をさげて神楽坂を下り、牛込御門の方へさしかかると、お下げ髪の女の子が、/お濠端を一人すたすたと歩いてゆき、あっと思う間にいきなりお濠に飛込んだので、びっくりし/て思わず駆けよったが、危くひっぱり込まれるところだった。川獺*2のいたずらである。また、や/はりある夜、どうした事か先に見える明かりに引きずられて、招魂社(いまの靖国神社)のまわりを/ぐるぐると二~三時間も歩かされてしまった。狐火のなせる業*3である。これは幼時祖母から聞い/た話であるが、明治もなかば頃までは、この東京にもまことにのどかな風情があったらしい。

として8行め、

 本書は、現代の東京の中に古い歴史の面影を見つける手掛りとなってくれるはずである。

と纏めるのであるが、昭和初年であったろうか、鈴木氏の祖母が語ったと云う怪異談2話は、正直、上手く趣旨に嵌まっているとは思えない。しかしそれだけに(?)明治前半の、江戸と連続したような話の記録が、殊更貴重に思われるのである。(以下続稿)

*1:ルビ「ちようちん」。

*2:ルビ「かわうそ」。

*3:ルビ「わざ」。