昨日の続き。
・かたくら書店新書44『野猿峠』(2)
著者の下島彬については、ネット検索すると「朝日新聞デジタル」の連載「マダニャイ とことこ散歩旅」と云うのがヒットした。
これは2019年4月2日(火)16時30分「(マダニャイ とことこ散歩旅:1)内堀通り 霞が関 近現代史、ど真ん中」から2022年3月30日(水)16時30分「(マダニャイ とことこ散歩旅:865)最終回 漱石山房記念館」まで865回にわたって連載されているが、有料会員記事なので会員ではない私には閲覧出来ない。なお「朝日新聞デジタル」には「864件」と出るので1回分取り下げた(?)記事があるらしい。ネットでの公開時間は決まって「16時30分」のようだ。「朝日新聞」夕刊の連載で、紙の新聞が配達されている時間に「朝日新聞デジタル」でも公開されている。
この3年間に及ぶ連載に、22回にわたって「野猿街道」が取り上げられていた。ちょっと離れたところも混ざっているようだが、それはともかく、当時はまだ「朝日新聞」を購読していたはずだが当ブログでこの辺りを取り上げると思っていなかったこともあって、記憶にない。
・2020年3月21日(マダニャイ とことこ散歩旅:275)野猿街道:1 書店「揺籃社」
・2020年3月23日(マダニャイ とことこ散歩旅:276)野猿街道:2 カフェ「となりわ」
・2020年3月24日(マダニャイ とことこ散歩旅:277)野猿街道:3 仏壇店「喜久屋」
・2020年3月25日(マダニャイ とことこ散歩旅:278)野猿街道:4 中町公園
・2020年3月26日(マダニャイ とことこ散歩旅:279)野猿街道:5 由木西小
・2020年3月27日(マダニャイ とことこ散歩旅:280)野猿街道:6 アンドファームユギ
・2020年3月28日(マダニャイ とことこ散歩旅:281)野猿街道:7 恋路原通り
・2020年3月30日(マダニャイ とことこ散歩旅:282)野猿街道:8 稲荷塚古墳
・2020年3月31日(マダニャイ とことこ散歩旅:283)野猿街道:9 多摩市立総合体育館
・2020年4月1日(マダニャイ とことこ散歩旅:284)野猿街道:10 リカーMORISAWA
・2020年4月2日(マダニャイ とことこ散歩旅:285)野猿街道:11 ラスカルがいる街:上
・2020年4月3日(マダニャイ とことこ散歩旅:286)野猿街道:12 ラスカルがいる街:下
・2020年4月4日(マダニャイ とことこ散歩旅:287)野猿街道:13 東寺方小学校
・2020年4月6日(マダニャイ とことこ散歩旅:288)野猿街道:14 小野神社
・2020年4月7日(マダニャイ とことこ散歩旅:289)野猿街道:15 長生たまご館
・2020年4月8日(マダニャイ とことこ散歩旅:290)野猿街道:16 武蔵府中熊野神社古墳
・2020年4月9日(マダニャイ とことこ散歩旅:291)野猿街道:17 東芝府中事業所
・2020年4月10日(マダニャイ とことこ散歩旅:292)野猿街道:18 くにたちはたけんぼ
・2020年4月11日(マダニャイ とことこ散歩旅:293)野猿街道:19 水飲み場
・2020年4月13日(マダニャイ とことこ散歩旅:294)野猿街道:20 野猿峠:上
・2020年4月14日(マダニャイ とことこ散歩旅:295)野猿街道:21 野猿峠:中
・2020年4月15日(マダニャイ とことこ散歩旅:296)野猿街道:22 野猿峠:下
1日空いているのが夕刊のない日曜日である。
下島氏は「野猿峠:中」に登場する。カラー写真「著書の「野猿峠 多摩丘陵自然の移り変り」を手にする下島彬さん=東京都八王子市打越町」が掲載されていて、
‥‥。地元の歴史に詳しく、「野猿峠 多摩丘陵自然の移り変り」の著書がある東京都八王子市打越町の下島彬さん(97)によると、「江戸、明治、大正時代は、いろいろな書き方が混在していたようです」。
との紹介と談話が記事本文に載っていたようだ。年齢は本書奥付上の「著者紹介」と矛盾しない。
さて、「七、植 物」の章、6節め、81頁11行め~86頁「カキ」*1に、84頁2行め「 『鼻紙袋』延宝五(一六七八)年には‥‥」とあるが『誹諧鼻紙袋』は延宝五年(1677)刊。参考文献の誤りを踏襲したのだろうか。
それはともかく、10節め、101頁11行め~112頁4行め「ササ・タケ」に、106頁6~9行め、
‥‥。地鎮祭/には四方にタケを立てる。由木鑓水の道了堂には集落の人が寄進した四方竹があっ/たが、堂守の浅井トシさん(八二才)が昭和三八年九月十日に盗人に殺されて、無/住になってから、誰かに盗まれてしまった。‥‥
とある。四方竹は四角い形になる竹の種類で、ネット検索でヒットする農産物の通販サイトからして高知県の名産らしい。地鎮祭の、例の四隅に立てる竹と関係がある訳ではなく、連想から、このように並べたもののようである。
前回見たように、下島氏は昭和30年代から打越町に住んでいたらしいので、或いは無住になる前の道了堂を訪ねたことがあり、堂守の浅井としにも、会っていたかも知れない。(以下続稿)
*1:なお「目次」5頁6行めは5節め「ブドウ」を落としているので「カキ」が5番めに出ている。