瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(67)

・かたくら書店新書20『絹の道』昭和61年9月30日 第一刷発行・昭和61年10月20日 第二刷発行・定価 500円・120頁
 カバーの掛かっているものと掛かっていないものを手許に並べている。
 カバーの掛かった第一刷を見たこともある。カバーは同じで、異同は奥付の第二刷の発行日の1行がないことだけだったように記憶する。
 本体の表紙は文集の表紙に使われるような横皺の拠った黄緑色の厚紙で、カバーは白地のコート紙。本体表紙とカバーは同じ文字・イラストが、表紙は黒、カバーは緑で印刷されている。
 表紙の上部、長方形(3.0×8.9cm)に細かく点を打って、大きく拓本風に横書きの「絹の道」を抜く。道了堂跡の入口に現存する「絹の道」碑の刻字に似せてあるようだ。その下、右側に縦長のゴシック体横組みでやや大きく「打越歴史研究会」。表紙のイラストは昨日、開館時期について問題にした、現在絹の道資料館が建っている八木下要右衛門家屋敷跡の石垣で、前の舗装されていない道路のところに駱駝に乗った人物が描かれているが、縮尺が合わないし向きが妙である。よく見ると駱駝は八木下家屋敷跡を描いた絵の枠(10.0×9.6cm)の前にいるので、これは鑓水に駱駝がいると云う訳ではなくて、遥か西域のシルク・ロードの隊商を鑓水の絹の道に重ね合せて見せた頓知である。最下部右に縦長のゴシック体横組み「か た く ら 書 店 新 書 20」。
 背表紙は上部に幅一杯にほぼ黒地に白い点を散らした、やはり拓本風の長方形(3.6×0.7cm)に縦に「絹 の 道」と抜く。その下、中央やや上に縦長のゴシック体で「打越歴史研究会」、下部に「かたくら書店」と同じ大きさで入る。
 裏表紙は中央やや下に小さく「絹の道」碑の台石を含む模写イラストがあって、下部に Textur の欧文「SILK ROAD」に装飾を添える。
 カバー折返しは白地で文字はない。
 打越歴史研究会については5月18日付(56)に、平成11年(1999)当時の代表、下島彬の著書、かたくら書店新書44『野猿峠』を取り上げた際に少し触れたことがある。
 120頁の次、奥付の上部に、

編集:打越歴史研究会
   岩 田  久 雄    青 木   貞 一
   下 島    彬    花 房   征 夫
   藤 森  治 郎    天 野   七 郎
   井 本    肇    尾 崎   正 道
 
写  真
   藤 森   治 郎( 本 会 々 員)
 
さ し 絵
   平 沼    潔

と関係者の名前を示される。本書刊行当時の会長は岩田氏だった。なお1行空けにして示したところは実際は1行弱。そして平沼氏の名前の下には大きな( )に挟んで3行、1行め「昭和24年5月22日生/八王子市役所勤務  旺玄会々員/現住所 八王子市‥‥」とあるが、現在旺玄会の会員に平沼氏の名前は見当たらない。下島氏の『野猿峠』と同年に、合作で次の画集を出している。

 挿絵は多くはない。写真は本文頁に写真もしくは語注のための上欄を設けてあるので、大きくはないがかなりの数が掲載されている。
 撮影者の藤森氏については、やはり下島氏の『野猿峠』の「四、動 物」の章、5節め、39頁8行め~40頁10行め「その他の動物」、4項のうち3項め、40頁4~6行めに、

 キツネ キツネは五十年代末は打越町大畑柳入谷戸奥附近には居ると、同地区/の藤森治郎さんが言っていた。キツネはお稲荷さんのお使いだと言われているくら/いだから、野猿峠付近にはお稲荷さんが多く、色々な伝説を残している。

とあって、後半の一文が少々落ち着かないが、柳入谷戸は絹ヶ丘2丁目14番の北西にある谷間、昭和50年代末には絹ヶ丘辺りの宅地開発は現状と同じくらい進んでいたから、藤森氏が狐を目撃したのはそれこそ絹ヶ丘2丁目14番の北西辺り、そして藤森氏はその近くに住んでいたことになる。(以下続稿)