瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(30)

・法政大学地域研究センター叢書5『歴史的環境の形成と地域づくり』(5)
 昨日の続きで、馬場喜信の論文、第一部「第七章 浜街道《絹の道》―歴史的景観の発掘と史跡化―」の208~215頁11行め「第二節 《絹の道》―その歴史的景観の発掘と史跡化」を眺めて行こう。208頁2行め~209頁「(1)歴史的景観の発掘と建碑」は、橋本義夫(1902.3.13~1985.8.4)によって《絹の道》が「発見」され、その《民衆史蹟建碑運動》の一環として「一九五七年、鑓水峠に《絹の道》の碑が建立した」ことによって、「鑓水峠越えの《絹の道》」が「にわかに脚光を浴びるようになり、東京近郊に残る数少ない近代産業史蹟「埋もれていた日本のシルクロード」として広く紹介されるようになった」こと、しかしながら「いったんは脚光を浴びることになったこの道は、むしろその後においてこそ大きな問題に直面することにな」る。すなわち「鑓水峠をはさんで南北に通っていた浜街道の道筋のうち、北半分の旧片倉村側の丘陵地帯は完全に造成し尽くされ、旧観はまったく消滅してしまった(前掲、図2参照)。」のである。
 この辺りは稿末〔年表〕の221頁下段14行め~222頁下段11行め「③ 歴史的景観の発掘と建碑」に纏められている。4条め、222頁上段9~10行め、

一九五七年(昭和三二) 《絹の道》碑が、故橋本義夫氏ら/ によって道了堂前に建立される。


 この前の《絹の道》発見については昭和26年(1951)の1条めと昭和27年(1952)の3条めに橋本義夫の建碑運動に触れ、222頁上段2~8行め、

 この頃、鑓水を訪れた同氏は、かつてこの地を《絹の/道》が通っていたことを発見する。
 「どうも耕地面積からみて家の数が多すぎる。街道筋/でもないしね。これは何かあるな、と思って、道にいた/村人に聞いたら、商人がいたというんですよ。……それ/からですよ」(『多摩の百年』(下)、朝日新聞東京本社社/会部著、四二頁)。その村人が、小泉栄一氏だった。


 朝日新聞東京本社社会部『多摩の百年 ―絹の道―』の目次と大体の連載時期は3月19日付「朝日新聞東京本社社会部『多摩の百年』(3)」に見て置いた。そして3月20日付(14)に、第二部「絹の道」2章め「横浜往還」2節め「豪商を生んだ集散地」の冒頭、鑓水集落から《絹の道》碑までの道のりについて引用して置いた。今回はその続きを抜いて置こう。41頁下段18行め~42頁下段8行め、

‥‥。幕末から明/治の初め、この変哲もない山道をたどって一獲千金を夢み/【41】た糸商人たちは、開港されたばかりの横浜に、生糸を運び/続けた。碑は「一九五七年(昭和三十二年四月)、東京多摩有/志」の手で建てられた。その中心になったのが、『ふだん/記』主宰者・橋本義夫さんである。歴史の中に埋没し、忘/れ去られていた「絹の道」と、鑓水商人をよみがえらせた/のだった。
「二十年ほど前だったか、三月の節句に自転車で野猿*1を/越えて鑓水へ行ったんです。どうも耕地面積からみて家の/数が多すぎる。街道筋でもないしね。これは何かあるな、/と思って、道にいた村人に聞いたら、商人がいたというん/【42上】ですよ。なるほど、そうかと思ったね。それからですよ」
 その村人が、橋本さんに啓発されて、生糸鑓水の歴史を/調べるようになった小泉栄一さんだった。村の共有文書/や、糸商人としてすご腕を振るった大塚五郎吉家文書など/の古文書を掘り出した。専門の研究者も加わった調査で、/この山間の村が、江戸時代末から明治初めにかけて、大き/な糸商人を生んだ生糸の集散地であり、「江戸鑓水」とし/て栄えた事実がくっきりと、浮かびあがった。


〔年表〕に戻って、5条めは昭和38年(1963)の牧野正久「日本のシルクロードの究明」、6条めは昭和40年(1965)の秋吉茂「まぼろしの道を訪ねて―日本のシルクロード」、7条め『八王子織物史』上巻には記述がなく、8条め、昭和42年(1967)『八王子市史』下巻と昭和44年(1969)9条め、佐々木潤之介『幕末社会論』が鑓水商人に詳述していることに触れ、最後の10条めは昭和45年(1970)で上記本文の引用にもあった「大塚山の北側斜面一体の地域で大規模な宅地造成が始まった」ことに触れている。
 ここで注意されるのは、昭和38年(1963)の道了堂堂守老婆殺しに触れていないことである。道了堂が廃墟となり、最終的に撤去されることとなった原因はこの殺人事件に求められるので、《絹の道》の「歴史的景観」に及ぼした影響は決して少なくない。かつ、現在道了堂跡が心霊スポットと成り果て(!)旧境内の石造物に対して心ない破壊行為が繰り返されることとなってしまった原因も、全てこの事件にあると云って良かろう。従って私には何故触れないのか、どうにも理解に苦しむのである。(以下続稿)

*1:ルビ「や えん」。