瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(83)

・歴史の道調査報告書 第四集『浜街道』(3)
 昨日の続きで、章立てを確認して置こう。〔 〕内は『歴史の道調査報告書集成』の頁付。
・5~26頁〔21~42頁〕「二 浜街道概観――生糸の道としての歴史的背景と浜街道地域の概要
 以下、節の見出しは2行取り2字半下げ。
 5頁〔21頁〕上段3行め~7頁〔23頁〕上段9行め「はじめに――浜街道とは」は前置きに当たる文章で、5頁〔21頁〕左側13行分、2段抜きに「図1 浜街道の道筋の概略」として、5頁〔21頁〕下段3行め「 図1は、明治二十一年輯製製版二〇万分の一図「東京」の一部である。‥‥」とあるように、4月24日付(43)に見たかたくら書店新書45『浜街道46~47頁と同じ図を、最上部中央の「子王八」から最下部右寄りの「港濱横」までの道筋が収まるよう、右上を北にして斜めに、縮小して収録したものである。また6頁〔20頁〕下段左8行分に「図2  鑓水にのこる浜街道/   ・浜道の地名」はかたくら書店新書45『浜街道10頁右上に同じ図があった。
 これだけでも、この章が馬場喜信の執筆ではないか、と察せられるのだけれども、余り細かい検討をしている余裕も準備もないので、以下は見出しの位置を示して置く。
 7頁〔23頁〕上段10行め「㈠ 東山養蚕地帯の形成と多摩丘陵地帯の村落」
 11頁〔27頁〕上段10行め「㈡ 多摩丘陵地帯村落における養蚕業の実情」
 13頁〔29頁〕下段7行め「㈢ 養蚕業地帯における流通市場と鑓水商人の活躍」
 18頁〔34頁〕上段16行め「㈣ 横浜における生糸輸出貿易の展開と鑓水商人」
 22頁〔38頁〕上段1行め「㈤ 生糸の道としての浜街道とその盛衰」42頁上段10行めまでで以下余白。
 歴史的背景について詳しく記述されている。――これを小学校高学年でも読めるよう、ごく簡略に纏め直したのがかたくら書店新書45『浜街道の「第1部 調べてみよう「浜街道」」のように思われる。もちろん、馬場氏が、別の人物が執筆したこの章を参考にして書いた可能性もあるけれども、どちらにしてもこの章と、前回も触れた次の章がかたくら書店新書45『浜街道の原型になっているようだ。
 16頁〔32頁〕上段10行め(下段は「図5」)~17頁〔33頁〕上段12行めは4月25日付(44)に見たかたくら書店新書45『浜街道の「第2部 歩いてみよう「絹の道」」の、「7 諏訪神社〔2〕石灯籠と社殿を見る」の前半、189~195頁8行めに敷衍・詳述されている。そして「㈤ 生糸の道としての浜街道とその盛衰」を敷衍・詳述したのが法政大学地域研究センター叢書5『歴史的環境の形成と地域づくり』第一部「第七章 浜街道《絹の道》―歴史的景観の発掘と史跡化」なのである。この節は「史跡化」から始めて「生糸の道」の「盛衰」へと展開させているが、冒頭部に道了堂に触れたところがある。22頁〔38頁〕上段2~6行め、

 八王子を起点として鑓水峠を越える浜街道ルートの一部が、日本の〝絹の/道〟=シルクロードとして喧伝されるようになったのは、昭和三十二年(一九/五七)四月、鑓水峠がある大塚山道了堂の入口に「絹の道」の石碑が建てられ/てからである。道了堂の建物は当時はまだ健在で、峠道からさらに小高く盛り/あがった丘の頂に深い緑につつまれて鎮まっていた。‥‥


 当時は建物が健在だったどころではなく、堂守もいて寺院としての活動も続けていたわけだが、やはり本書でも廃寺になった経緯には全く触れず、その時期も暈かされている。
・27~54頁〔43~69頁〕「三 道筋の確定と現状」
 27頁〔43頁〕上段2行め「㈠ はじめに」
 27頁〔43頁〕上段22行め「㈡ 横浜開港以前の浜街道の道筋の状況」
 30頁〔46頁〕上段24行め「㈢ 横浜開港以後の浜街道の道筋の状況」
 37頁〔53頁〕上段6行め「㈣ 八王子から鑓水峠へ(約四・四キロメートル)
 40頁〔56頁〕下段20行め「㈤ 鑓水峠から浜見場へ(約二・六キロメートル)
 47頁〔63頁〕上段4行め「㈥ 浜見場から木曾へ(約九・三キロメートル)
 50頁〔66頁〕上段17行め「㈦ 森野から鶴間へ(約七・七キロメートル)」52頁〔68頁〕下段23行めまで。
 53~54頁(頁付なし)の折込み地図の扱いについては6月17日付(78)に述べた。
・55~64頁〔71~80頁〕「四 沿道の史跡・文化財等」
 前半については昨日触れた。
 60頁〔76頁〕下段1行め「㈡ 町田市域の史跡・文化課等」
・頁付なし〔81頁〕「史   料   編」の扉
・65頁〔83頁〕「史 料 目 次」
・67~80頁〔85~98頁〕「Ⅰ 古文書の部」
・81~87頁〔99~105頁〕「Ⅱ 紀行文の部」中段まで。
・88~108頁〔106~126頁〕「Ⅲ 絵 図 の 部」
・109~111頁〔127~129頁〕「六 主 要 参 考 文 献」上段9行めまで。
・112頁〔130頁〕「協力機関・協力者一覧(順不同・敬称略)」上段6行めまで。
・113頁〔131頁〕村上直「あ と が き」は「平成八年三月一〇日」付。奥付等についても、やはり6月17日付(78)に述べてある。(以下続稿)