瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(82)

 6月17日付(78)の続き。
・歴史の道調査報告書 第四集『浜街道』(2)
 ここからは原本の頁に〔 〕で『歴史の道調査報告書集成』の頁を添えながら進めよう。
 まづ、口絵写真の3頁め〔11頁〕下に「八王子市 鑓水道了堂前」の写真がある。右に平成2年(1990)設置の「大塚山公園」説明板、「絹の道」碑、そして中央には雑木が伐り払われて露わになった斜面、左はほぼ平坦な鑓水峠越えの道が続く。鑓水関連の写真は4頁め〔12頁〕にも、上「八王子市 絹の道資料館前」と下「八王子市 小泉家屋敷(都有形民俗文化財)前」が掲載されている。
 1~4頁〔17~20頁〕「一 歴史の道(浜街道)調査について」に調査の概要が纏められている。但し2~3頁〔18~19頁〕見開きは「㈢ 文献資料の所在調査」の「歴史の道調査カード」の複写なので、実質2頁分である。4頁〔20頁〕上段4~16行めの「㈥ 調査団名簿」に12名、団長の村上直と副団長の段木一行は「法政大学文学部教授 都文化財保護審議会委員」で参与の馬場憲一は「東京都教育庁生涯学習部文化課学芸員」、後に法政大学現代福祉学部教授になって4月5日付(26)に見た法政大学地域研究センター叢書5『歴史的環境の形成と地域づくり』のプロジェクトを立ち上げるのであった。〔8頁〕「例言」に拠ると、

四、 本書の編集は村上直調査団長の指導のもと文化課学芸員馬場憲一が担当したが、原/  稿の作成、レイアウト、および校正等は歴史の道(浜街道)調査団の団員が分担して行っ/  た。

とあって、馬場憲一が編集の実務を担当したが、個々の章節の執筆から校正までは「団員が分担して行った」ので、馬場憲一が内容の全てに責任を負っている訳ではない、と断っているように読めるのだが、個々の章節に担当した団員の名前が入っていないので、責任の所在が曖昧になっているような印象を受ける。
 それはともかく、4人めが「主任調査員 馬場 喜信 多摩地域史研究会会員」なのである。そう思って見ると、本書にはかたくら書店新書45『浜街道と重なるところが多い。特に27~54頁〔43~69頁〕「三 道筋の確定と現状」は大部分(或いは全部)が馬場喜信の執筆らしく思われる。
 残る8人は「調 査 員」で日野市史編集委員(男性)八王子古文書調査会会員(女性2名)法政大学大学院生(女性)調布市史編纂室(男性)所属記載なし(女性)古文書を探る会会員(女性2名)、うち古文書を探る会の1人め、新堀八重(1935.3.16~1997.3.19)はTBSのアナウンサーだった新堀俊明(1934.2.17~2018.3.18)の妻で55~64頁〔71~80頁〕「四 沿道の史跡・文化財等」のうち55頁〔71頁〕上段7行め~60頁〔76頁〕上段「㈠ 八王子市域の史跡・文化財等」を担当したことが、次の本により判明する。
・『白櫻 新堀八重遺稿集』一九九八年三月一九日発行・新堀俊明・484頁・四六判上製本
 257頁(頁付なし)「第四章 歴史の道調査」の扉で裏は白紙、259頁には楷書体の新堀俊明による解説的前書きがあり、その12~14行め、

‥‥。署名はない/が、八王子市域の史跡、文化財等を担当したことが明らかなので、まずはその部分の転載であ/る。なおこの調査については、私も、何度か同行している。

として、260頁上段、2字下げで「『歴史の道調査報告書第四集』より――浜街道」と題して、3行めにゴシック体でやや大きく4字下げで「沿道の史跡・文化財」と、原本55頁〔71頁〕上段1行めの章の番号「四 」は不要なので省略している。そして原本2~6行めの前置きの最後の一文、5~6行め「‥‥。なお、史料・文化財の所在地は、一覧表の番号を五三~五四頁の沿道/地図中に記入することで示してある。」とあった、同じ前置き(4~7行め)の最後が「‥‥る(本書では省略)。」としてあるのは少々勿体ないが仕方ないだろう。
 原本59頁上段4行め、一覧表の最後までが275頁10行めまでに再録され、原本にはさらに写真12点が1頁半ほどに掲載されていたが、これも省略されて余白になっている。――この遺稿集についてはなお述べることがあるが、怱卒の間にメモを取ったので今はこれ以上述べることが出来ない。
 とにかく「例言」に調査員がそれぞれ分担したと断っていて、実際にそのように進められたのであれば、やはり誰が何処を担当したのか、示すべきだったように思うのである。(以下続稿)
7月13日追記】「㈠ 八王子市域の史跡・文化財等」の前置き部分にある道了堂の記述を抜いて置くのを忘れていたのでここに補足して置く。55頁上段8行め~下段3行め、まづ上段8~11行めに八王子市域の浜街道のルートをおおまかに纏め、12行め以降はやや細かく見ている。その中に、17~18行め、片倉台の

 団地を抜けたところから、急な石段を上って大塚山の上に出る。ここは元道/了堂があったところで、明治末年まで近隣の信仰を集め大変賑わったという。/‥‥

とあり、市指定史跡「絹の道」、絹の道資料館、諏訪神社、永泉寺、御殿橋、小泉家屋敷に触れる。以下は一覧表になっている。