瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(85)

・歴史の道調査報告書 第四集『浜街道』(5)
 昨日の続き。
 「三 道筋の確定と現状」の「㈤ 鑓水峠から浜見場へ(約二・六キロメートル)」は続いて41頁〔57頁〕下段14~26行め、『武蔵野歴史地理』に見える「十二州の見晴らし」について、『皇国地誌』や「前記の銅版画」そして「山岳展望家の意見」により「あながち大げさな表現とばかりは言い切れない。」と結論する。
 そして42頁〔58頁〕上段1~7行め、まづ「 大塚山公園には、かつての生糸商人たちの遺した石造物がいくつかある。‥/‥」として、「/‥‥。いずれにせよここは、浜街道の歴史を濃密に記憶する場所の一つである。」と纏めている、その間に4点石造物について記述している。この段は左側13行分を写真に使っているが、上「道了堂の礎石」下「八王子市史跡「絹の道」の谷戸風景」で、これらの石造物の写真はない。なお礎石はまだ竹柵に囲われておらず、手前に「道了堂跡」と表示する碑が写っている。
 石造物については「四 沿道の史跡・文化財等」の「㈠ 八王子市域の史跡・文化財等」、かたくら書店新書20『絹の道』そしてかたくら書店新書45『浜街道と対象させつつ確認して置こうと思っている。
 さて、この節では続いて、大塚山公園から市史跡「絹の道」を下り、絹の道資料館・御殿橋・永泉寺・小泉家屋敷等を取り上げていくのだけれども、ここでは御殿橋の記述のみを抜いて置こう。43頁〔59頁〕下段2~5行め、

 御殿橋も大栗川の改修にともなって改架された新橋だ。この橋で注目したい/のは、欄干にはめこまれた一枚の銅版画の複製である。これが、先に道了堂に/ついて見たさいに参照した、あの銅版画である。往時の大塚山道了堂の賑わい/とともに、浜街道筋の盛況のさまも浮かんでくるのではないだろうか。‥‥

とあり、44頁〔60頁〕上段の右13行分を取って、上「御 殿 橋」下「大塚山公園道了堂境内之図(御殿橋のレリーフ)」の写真を掲載する。題の文字も殆ど読めないような小さい写真だが、かろうじて雰囲気は伝わる。
 このレリーフについて、馬場氏は法政大学地域研究センター叢書5『歴史的環境の形成と地域づくり』第一部「第七章 浜街道《絹の道》―歴史的景観の発掘と史跡化―」にて、4月15日付(34)に見たように「この図は、大塚山公園にこそ設置しておいてほしいものだ。」と意見していたが、現在は大塚山公園の入口、「絹の道」碑の脇に設置された説明板に写真が掲載されている。かたくら書店新書45『浜街道 「絹の道」のはなしでも「第2部 歩いてみよう「絹の道」」の「8 鑓水の道標を見て永泉寺へ」にて御殿橋を渡るところで、203頁1~4行め、

‥‥。御殿橋は、川の改修工事にともなって新しくなり、/欄干には、さきに大塚山公園を訪ねたときに参考にした石版画「大塚山道了堂境内/之図」が拡大されて、再現されています。写真に撮っておくと、あとで参考になる/でしょう。

と「石版画」と訂正して、取り上げられていた。「参考にした」場面は4月26日付(45)に引用した。この「武藏國南多摩郡由木村鑓水大塚山道了堂境内之圖*1」は、よく言及されており、そんなに多くはないが書籍にも掲載されている。しかしながら、かたくら書店新書45『浜街道138~139頁掲載の写真は他の書籍に載るものよりも大きいくらいだが、それでも(転載と云うこともあって)題以外の文字は殆ど読めない。すなわち、細部まで確認出来るようなものは1つも出回っていない。御殿橋のレリーフの写真を撮って拡大すれば漸く読み得るものとなりそうな按配である。だから、本書刊行時に「史料編」の「Ⅲ 絵図の部」に出来れば折込みで、そうでなくてもA4判だからB5判くらいの大きさに刷れたはずなので、この「武藏國南多摩郡由木村大塚山道了堂境内之圖」を掲出してもらいたいところであった、と思うのである。(以下続稿)

*1:【6月29日追記】「鑓水」を落としていたのを補った。