瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(94)

・「八王子の絹の道点描」(1)
 ケース(16.9×10.8cm)は淡い橙色の獣皮風のエンボスの厚紙で、表紙を右に開くと内側に地図(20.6×11.6cm)が黒で印刷されている。北が左で、上部は左側を折返し(4.8cm)て下を留めて葉書を引っ掛けるポケットにしているのでよく見えない。この折返しに隠れるように北西の角から南へ図の縁に沿って明朝体横組みで「© (株)昭文社発行 都市地図・ 八王子市より転載、昭著 第620601 号」とある。
 折返しの下部には楷書体縦組みで「岩 崎 輝 寿・絵/小 泉 栄 一・文/馬 場 喜 信・図/かたくら書店・版/い ず み 印 刷・刷」とあって、その下、少し離れてゴシック体横組みで「300円」とある。
 ケースの裏には楷書体横組みで、上部中央にやや大きく「絹 の 道」と題して、半行分強空けて20行、1行21字説明文があり、1行分弱空けて、右詰めで「小泉家屋敷主人 小 泉 栄 一」とある。
 葉書(14.9×10.0cm)は8枚組で、表面の印刷は灰色、最上部に「郵  便  は  が  き」とあってその下から右へ郵便番号欄が5桁分、左上には薄い枠(2.3×1.7cm)で切手貼付欄を示す、中央やや下に横に菱形を連ねたような仕切り線があって,その中央を切ってゴシック体で小さく「八王子の絹の道点描」とある。そして最下部左にゴシック体で「岩崎 輝寿」とある。
 裏面の絵は全て横長の構図で右が上。絵柄については次回見て行くこととしよう。
 版元のかたくら書店については、1月29日付「八王子事典の会 編『八王子事典』(1)」に参照したUTR不動産(八王子市東町)のブログ「八王子見て歩記」の2014年03月18日「かたくら書店(後編)」に詳しい。但し廃業前年の取材で出版業を終えていたためか『かたくら書店新書』には触れておらず、2014年03月11日「かたくら書店(前編)」にあるように、このブログがかたくら書店を取材する切っ掛けとなった「八王子便箋」に触れるのみである。
 すなわち、「かたくら書店(後編)」の6節め「わがふるさと八王子」に、

最後に、八王子便箋を作られたきっかけをご主人にお聞きしました。
 
「八王子便箋」は昭和63年(1988年)から制作しているものです。家族と片倉台に移り住んで、今日からここが私たちのふるさとになるという気持ちを強く持ちました。誰しもふるさとの歴史や風土に誇りを持ちたいと考えるものです。そこで八王子について聞いてみると、一地方都市という側面しか教えてもらえない。そんなわけがあるかと自分で調べていくことにしました。
 
たとえば、江戸時代から受け継がれてきた人形芝居「八王子車人形」、鑓水商人の栄華を今に残す「絹の道」、戦国時代の城趾「八王子城趾」と「片倉城趾」、童謡「夕焼小焼」が生まれた上恩方町、ミシュランガイド最高ランク“三つ星”の観光地「高尾山」。八王子の歴史を物語る史跡や景勝地が市内にたくさんありました。八王子市を訪れた観光客の皆さんや、市内の大学に留学されている外国の方々に、わがふるさと八王子を伝えたい。そんな気持ちで作りはじめたのが「八王子便箋」だったのです。挿絵は片倉台をはじめ、市民の皆さんに描いていただきました。

とあって、続く最後の7節め「八王子便箋」に、まづ「八王子便箋は、「風景-1」、「風景-2」、「花」、「絹の道」、「夕焼けの鐘」、「滝山から」、「雑草5点」の7種類、いずれも便箋と同じ挿絵入の封筒が2枚入っています。たとえば‥‥」と便箋を紹介し、続いて

絵はがきの方は、「高尾山」、「ふれあいの里で」、「また高尾山へ」、「絹の道点描」、「八王子点描」、「八王子の風景」の6種類。高尾山や夕焼けの里など八王子ゆかりの風景をモチーフに選んで、同じく地元の方に挿絵を描いていただいています。

と絵葉書も出していることに触れる。そして掲出している写真には「八王子の絹の道点描」の紙ケースも「絵はがき」の代表として写っているのである。
 しかしながら、この「八王子見て歩記」の「八王子の絹の道点描」は、私の手許にあるものと同じではない。いや、ケース表紙の絵は同じである。ただ、用紙はエンボスではないらしい。かつ、墨書の題字「八王子の絹の道点描」が私の手許にあるものでは上部にあるが、「八王子見て歩記」の写真に写っているものは下部、右下にある朱の白文方印「輝」(0.7×0.7cm)の左に移されている。
 これは、この「八王子の絹の道点描」にも何版かあったことを意味しているので、私の手許にあるものは恐らく初版か、そうでなくても早い時期のもの、そして「八王子見て歩記」は2014年に販売していたもので、その間、26年余経過している。確かに、同じものであるはずがないのである。(以下続稿)