瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

八王子事典の会 編『八王子事典』(1)

 当ブログで度々述べているけれども、私は高校時代山岳部だったけれどもそれで泊り掛けの登山には懲りてしまって、東京に出て来てからは父のお供で両神山の清滝小屋と、雲取山雲取山荘に泊まったくらいである。テントで寝たことは一度もない。しかし学部生から修士の院生の頃には、たまに都下に日帰りの登山には出掛けていた。今は、土曜の朝の(私にとっては)通勤電車に、ばっちりハイカー姿で決めている老人たちが、緊急事態宣言が明けるや大挙乗り込むようになったのに専ら辟易するばかりなのだけれども*1
 都下、多摩の山々に出掛ける切っ掛けになったのは、朝日新聞の地方版で宮内敏雄『奥多摩』復刻版刊行の記事を見たことだったと思う。丁度30年前である。名著『奥多摩』のことは別に記事にしようと思う。守屋龍男『多摩の低山』と云う本も出版されてまだ4年ほどしか経っておらず、私は高校山岳部以前の中学の頃から使い慣れた国土地理院の1:25000地形図と、『奥多摩』と『多摩の低山』を見ながら計画を立てて、日野に住んでいたサークルの友人、それからその高校時代の友人などと青梅線や中央線沿線の低山に何度か出掛けたのである。私らはそんなに熱心な登山者ではなかったので、特に早起きなどせず、ゆっくり集まって、皆実家暮しだったから頂上で持って来た握り飯を食べて、そしてだらだらと下って帰る、と云うので、大抵、電車の駅から取り付けて別の駅に下って来られるようなところばかり登っていた。それに比べると今時の老人たちは本当に元気だ。
 さて、国土地理院の地形図には、細かい地名が出ていない。『奥多摩』は概念図に、山や尾根、谷の名称を細かく挙げている。しかし、浅川流域は取り上げていない。『多摩の低山』は取り上げているが『奥多摩』のように細かく地名を挙げていない。『奥多摩』と同じレベルで山や谷の名前が分からないか、と思っていたときに参考になったのが『八王子事典』だった。地図は掲載されていないが、地形図と対照させると分かるように書いてある。しかも、かなり細かい地名まで項目になっている。ただ、50音順だから地域ごとにまとまっていない。私はせっせと借りては山や谷の名称を抜き出し、地形図で場所を特定させて行ったのだった。
八王子事典の会 編『八王子事典』1991年12月23日 第1刷発行・定価2,427円・かたくら書店・940頁・新書判
 その後、改訂版も出ているが私が見たのはもちろん初版の方だった。
八王子事典の会 編著『八王子事典』改訂版 2001年 1月4日 改訂版・定価2,500円・かたくら書店・960頁・新書判
 かたくら書店は①②ともに所在地が「東京都八王子市片倉町1221」となっているが、現在は廃業してしまったようだ。
「Web八王子事典」
 未見。2008年10月1日に拓殖大学工学部のサイトで公開されたようだが、残念ながら2018年にサイトリニューアルに伴って削除されてしまったようだ。インターネット公開の経緯は2ch(現5ch)の「Web八王子事典」に転載されている当時の新聞地方版(?)の記事から判明する。かたくら書店を経営していた田原勘意は「Web八王子事典」が閉鎖された頃、87歳で存命であった。

www.youtube.com
 かたくら書店は昭和53年(1978)2月28日開業、八王子市立図書館OPACによると昭和54年(1979)から平成26年(2014)6月までの出版活動が認められる。開業の経緯や2014年当時の営業状況は、UTR不動産(八王子市東町)のブログ「八王子見て歩記」の2014年03月18日「かたくら書店(後編)」に詳しい。但し当時は殆ど廃していたせいか出版業については触れるところがなく、「八王子便箋」制作に触れるのみである。(以下続稿)
2月5日追記】「Web八王子事典」が拓殖大学工学部のサイトから削除された時期については2月2日付(5)に、かたくら書店の廃業時期は2月4日付(7)に述べた。

*1:平日の同じ時間は通勤通学で満員なのでハイカーはいない(いても目立たない)。【2月5日追記】「いない」と書いたけれども、土曜ほどではないが「いる」が正しい。確かに多くはない。だから正確には「いると目立つ」。