瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

声はすれども姿は見えぬ君は深野の蟋蟀(1)

 私の家の庭には梅の木があって、10余年住んでいるうちにかなり大きくなった。毎年記事にしているように小粒の実を万単位で実らせ、傷のないものを拾って蜂蜜漬けにしている。しかし、半分くらいだろうか、落果の際に割れたり虫に喰われたりしたものはそのまま放置して、しばらくすると綺麗に種ばかりになっている。
 以前は椿に毛虫が湧いて殺虫剤を使ったりもしたのだが、土が乾かないよう気を遣い、茶殻や野菜屑を庭に捨てるようにしてから、木々が元気になって虫が湧かなくなった。しかし椿は大家さんが入れたシルバーセンターに根元から切られてしまった。転居直後、家人が庭に出て飛んで来た毛虫の毛が当たったものか、かぶれてしまったことがある。以来家人は10年以上も庭に出なかったくらいなのだが、私にしても困るので以後は小まめに葉が喰われていないか見張って、毛虫を見付ける度に殺虫剤で殺していた。しかし、そのうち以下に述べるような土の質の改善が奏効して虫が湧かなくなり、随分大きく育って冬には見事な赤い花をびっしりと咲かせていたのだが、どうも、当時、家人がその話を大家さんにしたのを、大家さんから聞かされて、もう何年も経っていたはずなのだが、ふと大きく育っているのを目にして、その昔、毛虫が湧いたと云う話を思い出して、それではと伐り倒したらしいのである。全く、余計なことをしてくれたものだ。
 いや、私が転居する前の庭は、雑草も生えないくらい乾ききって、梅も椿も弱っていて見ていられなかった。そこで、風呂の残り湯を(もちろん冷まして)乾ききって固まっている庭に撒いて、とにかく土が乾かないようにし、そして夏は枯れ草を積んで梅や椿の根元が乾かないようにして、数年がかりで甦らせたのである。今は団子虫や蚰蜒、蛞蝓などが茶殻やコーヒー殻、野菜屑をせっせと食べて、蚯蚓が良い土にしてくれるので家の庭は通路として踏み固めたところを外れると足が沈むくらいになっている。ところが、大家さんは全く庭木に感心がないらしく、私がわざと庭に日が当たらないようにしているのを理解していただけないらしい。腐りかけた山芋を埋めたら蔓が出て梅に絡みつき、2年ばかり、芋虫が育って揚羽蝶になり、そして零余子を何百と拾って零余子飯にしていたのだが、ここ2年はシルバーセンターに蔓を切られたりして零余子を賞味する機会に恵まれない。先日の台風のときも、芋蔓が絡んでいたときの方がむしろ安心だったなぁと思いながら風に翻弄される梅が枝を眺めていたのであった。しかし借りているので勝手に手入れされても文句は言えない。日が差さないから下草も生えないし、そんな荒廃させている訳でもないのに、地面に日が差さないように木々を繁茂させていることが、理由があってのことだのに、まづ理解されないらしい。
 困り物は通気窓の隙間から屋根裏に侵入したがる鼠と、籔蚊、それからドクダミくらいである。鼠はスチール束子で通気窓の隙間を塞いで、しばらく侵入を防いでいる。しかし通気窓の近くの土に幾つも穴を掘った後がある。余程家に入りたいと見える。――以前、野菜屑は何でも庭に捨てていたのだが、南瓜や冬瓜、ピーマンなどの種は鼠に喰われているらしいと気付いて、それらは燃えるゴミに出している。籔蚊は私の家では水溜まりを作らないようにしているのだが、前の家が商店街で花屋を経営しているらしく、水を張った桶などを置いているので防ぎようがない。ドクダミは隣のアパートの庭から家の庭に侵入しようとしている。シルバーセンターが入ると当座、地表は綺麗になるが、地下茎を抜かないので直に生えてくる。しかし何とか家の庭での繁茂は防いでいる。
 庭には鳴く虫もいて、漢字で書くと同じ蟋蟀になってしまうキリギリスとコオロギも繁殖している。僅かながら涼しくなってからは夜になるとコオロギの声が其処此処で聞かれるようになる。梅も葉を落とし始めた。まだ暑いのに草も木も虫も、変化に敏感である。コオロギはたまに玄関から家の中に入って来ることがあるのだが、これまでは別にどうもしなかった。死んだのか逃げたのかも分からなかった。ところが、今回は違う。――19日の夜、台所の次の間に、野菜や果物、蜂蜜、マヨネーズなど冷蔵の必要のない食品を纏めて置いてあるのだが、その辺りで鳴き声がするのである。これまで、迷い込んで来たことはあるが、家の中で鳴きだしたことはないので、家人も私も驚いたのだが、家人はこのまま家の中にいたら死んでしまうだろうから逃がしてくれ、と言う。しかし、以前飼っていた背黄青鸚哥が、高齢になって脚が弱って止り木に止まれなくなって水に落ちて死にそうになったとき、助けようとして捕まえたら身体が冷え切って、逃れる体力もないのに私の指に痕が付くくらい嘴で嚙んで来たことがあったのだが、そのことを例にして、10年以上買っていた鸚哥でさえ信用しないのだから、コオロギなど、こちらが逃がしてやるから捕まれ、と云うつもりだなどと分かる訳がない以上、必死になって逃げようとするだろう。そうすると却って殺しかねない、放って置くしかない、と言うと、ではどうなるのか、と云うから、まぁそのうち死ぬだろう、と云うと、それは可哀想だと言う。
 しかし、既に食べていたらしいのである。先週買った胡瓜が、腐るのではなくなんだかちょっとスカスカに崩れていて、大根の切り口が何だか窪んでいた。胡瓜は悪くなったのかと思って塩もみにして、大根は台所によけて置いたのだが、どうも、それが後で思い合わせればコオロギの仕業らしかったのである。
 20日も夜になると鳴きだしたが、どうも弱って来たような按配である。このまま死んでしまうのではないか、逃がせないか、と言うのでそれは無理だと重ねて言い。可哀想だと思うなら、昨日よけた野菜を元の場所に置いて、食べてもらうしかない、と言うと、それは嫌だと言う。じゃあ死ぬだろうと言うと、それは可哀想だと言う。じゃあどうせ喰われたところは切って使うのだから大根を戻して置こうと言うと、それは嫌だと言って、検索し始めた。――大根は水分補給にはなるが栄養に乏しく、胡瓜や、蛋白質として鰹節をやると良いと言う。そう言えば、私の中学の頃、隣家の老人が鈴虫を繁殖させていて、もらってしばらく飼っていたのだが、そんなような世話をした覚えがある。
 そこで21日に、大根の切れ端に賞味期限が8年前に切れていた未開封の煮干しを添えて、夜に声がする辺りに置いたのである。すると夜になって、明らかに元気になって、ほぼ絶え間なく鳴き続けたのである。22日には胡瓜の端っこも追加した。23日には台所の冷蔵庫の前で声がするので見ると、普通に床の上にいた。ビニール袋をかぶせて捕まえようとしたが袋には入っておらず、また次の間で鳴き出した。
 その後、ブロッコリーの茎を足し、乾いてきた大根に水を垂らしなどして、今日まで鳴き続けている。気付けばもう10日めである。
 一昨日、蜂蜜の瓶とマーマレードの瓶の間で鳴いているのを見付けたのだが、捕まえようがなく、見ているうちに私の鼻息を感じたのか、回れ右して姿を消し、しばらくしてまた近くで鳴きだした。
 昨日の午後から涼しくなって、もう死んでしまうのではないかと思ったのだが、声は弱まってはいるけれども一晩中鳴いていた。今日、新しいブロッコリーの茎を足したら、少々元気になってきたようである。いや、台風が過ぎて涼しくなって、昨日今日、外のお仲間の声が殆ど聞かれなくなったのに家のはまだ元気である。今日は台所で鳴き始め、また次の間に戻って、今も盛んに鳴いている。1階で寝ていたら眠れないくらいの声だが幸い2階なので、未明に便所に起きて、階段の下から絶え間なく声が聞こえると、何とはなしにほっとする。
 尤も、彼にとっては長生きが目的ではないので、いくら鳴いても目的は達せられないのに数日仲間よりも生き延びても仕方がないのだが、万事は成り行きでどうしようもない。(以下続稿)