瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(240)

・森川直司『裏町の唄』の「赤マント」(1)
 さて、これまで森川直司(1927.3.10生)の著述を検討して来たのは、森川氏の赤マント流言体験を確認するためだったのですが、4月19日付(239)にも触れたように、森川氏の述べる時期が、昭和14年(1939)2月ではないようなのです。記憶違いとして済ませてしまえば簡単なのですけれども、やはり検討を加えて見ないことには(結局否定することになっても)申し訳ないので、手許に長く置いて検討したかったのです。しかしながら、2019年12月24日付「森川直司『裏町の唄』(1)」に述べたように『裏町の唄』は図書館に所蔵が殆どないので、機会がないままずっと後回しにしておりました。一昨年、ようやく『裏町の唄』と『昭和下町人情風景』の二冊を揃えて手許に置くことが出来るようになったのですが、今度はなかなか内容を整理する余裕がなく、ようやく昨年末から着手して、昨日までで一応中学生時代までの確認を不十分ながら済ませることが出来ました。
 そこで、いよいよ本題に入りましょう。『裏町の唄』43~45頁【9】「赤 マ ン ト」、これは『昭和下町人情風景』83~85頁、Ⅱ 下 町【9】「赤マント」に再録されております。
 冒頭から見て置くべきなのでしょうけれども、時期の問題に絡みますので、後半の方から先に見て置くこととします。本書(改行位置「/」)44頁8行め以下、『昭和下町人情風景』(改行位置「|」)84頁5行め以下、

 赤マントのうわさから一、二年たったある年、これは時候のよいときだったと思うが、/|元加賀小学校におばけが出るといううわさが立った。
 このおばけは、生徒の下駄箱が並んでいる玄関の*1あたりと、その隣り*2の工作室に出ると/いう|のだが、宿直の先生が何人か見たというはなし*3だった。
 元加賀小学校は、むかし加賀様の下屋敷だったから、そのおばけが出るとの説もあった/|が幽霊ではないようだ。白い布をかぶっていて、丈*4の高い下駄箱を回って、あちこちから/|現れるのだが、手荒いおばけで、宿直の先生がなぐられて気絶したという。なぐられた先/|生が医務室で寝ているのを生徒が見たものだから、おばけはほんとうに出るのだというこ/【44】|とになって、近くの明川高等小学校の生徒までが、下校時になるとわざわざ大勢で見に来/|た。
 宿直の先生が医務室で寝ていた朝だったと思うが、一時間目に緊急職員会議が開かれた。*5
 一時間目も終ろう*6というころに、ようやく先生が現れたが、われわれの組は一時間目|【84】は/屋上で体操の時間だった。
 屋上の階段の出入口から先生が現れると、誰かが「先生が来た」といった*7のだが、「お/ば|けだ」ときいた*8者がいて半数以上の生徒が浮足立った。
 それほど、おばけはほんとうのような話だったが、先生は、おばけなんかいないという/|職員会議の結論を生徒に伝えたが、かなり長いあいだみんなは安心しなかった。


 さて、この「おばけ」騒ぎの時期ですが、まだ森川氏が元加賀小学校の生徒だった訳ですから、昭和14年(1939)3月の卒業よりも前、そして「時候のよいときだった」との記憶に従えば、時期の下限は昭和13年(1938)、6年生の春か秋、と云うことになります。
 そうすると、それよりも「一、二年」前のことになる「赤マントのうわさ」は、後述しますが4年生の昭和11年(1936)の「秋の終りか秋の始めころ」が下限になりそうなのです*9。もちろん「おばけ」騒ぎが6年生ではなく5年生、或いはそれよりも前だとすると、赤マントの時期も昭和10年(1935)、或いはそれよりも前のことになるのです。(以下続稿)

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 一昨日28日の晩に、1日1回就寝前に服用していた花粉症の薬がなくなった。例年、5月連休明けまでマスクをしているので、薬だけでももらって置こうかと思ったのだが、こんな按配だし天気予報で花粉の量も言わなくなったから、27日にも28日にも、行こうかと思いつつ、行かなかった。今日からは薬の効果なしで過ごすことになるのだが、家人からもらった婦人用の不織布マスクの新品を下ろして、午前に年金の一括前納、午後に八百屋への買い出しの2度、外出した。
 しかし、午前も午後も先週に比べて人出が多くて驚いた。ATMに行くついでに八百屋にも寄るつもりだったのだが、店の前に爺さん婆さんたちが行列しているので午後、出直したのである。幾つか買えなかった物もあるが、殆ど間に合ったのは良かった。
 八百屋に行く前に、実家に庭の梅の実の蜂蜜漬けをコンビニエンスストアに持って行って送る。これは4月20日付「図書館派の生活(6)」に書いたように自転車で運んで顔も見て来ようと思っていたのだけれども、断念して、家人がネットで探して買ったリネンのマスクを2人分添えて、送った。
 結果、鼻水が止まらないとか涙が出続けるとか云うことはないのだが、やはり今日は昨日に比べると鼻が詰まり気味で何だか息苦しい。いや、コロナウィルスではなく3月31日付(224)の付け足りに書いたように花粉症の症状なのだと思うけれども、しかし大したもので、店にいる間はそんな素振りも示さない。かなりの緊張を強いられているのかも知れぬ。帰宅してから、どうも気分が悪い。連日、体温は低いのだが、鼻と喉と頭が熱を帯びているようで、ぼうっとしている。結局、家人のアレグラを飲んで寝ることにした。
 それで、明日、花粉症の薬を、大半は来期の分と云うことになるが、もらいに行くことにしたのである。

*1:『昭和下町人情風景』は「の」なし。

*2:『昭和下町人情風景』は「隣」。

*3:『昭和下町人情風景』は「話」。

*4:ルビ「たけ」。

*5:本書はこの行の句読点が半角。

*6:『昭和下町人情風景』は「終わろう」。

*7:『昭和下町人情風景』は「言った」。

*8:『昭和下町人情風景』は「聞いた」。

*9:5年生の昭和12年(1937)の可能性もなくはないのですが、6年生の可能性は全くないことになります。