瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

八王子市の首なし地蔵(7)

 昨日、菊地正の八王子の民話集についても着手すべきか、と書いたのだけれども、今日、勤め帰りに図書館に寄ってちらちら眺めて、とても手に負えないと思った。昨日述べたことについても、若干訂正を要するかと思ったのだが、これも本格的な検討には発展させないで置く。但し、菊地氏が民話を主として活動を始めたのは、やはり昭和50年代らしい。以後の菊地氏の仕事の総括は、菊地氏が創始した「高尾山とんとんむかし語り部の会」にお願いしたい。自分たちが語っている話が実際はどのようなものなのか、その素姓を把握する責任があると思うのである。
・北八王子町会「北八王子だより」(3)
 昨日は『とんとんむかし』とその著者菊地正の民話集について、印象を述べただけになってしまったので、今度こそ「北八王子だより」No.29(2020 年6月号)に引用・紹介されている「■ 首無し地蔵の伝説」の2つめを確認して置こう。
 これは昨日も述べた通り、菊地正『とんとんむかし』4話め、16頁「首なし地蔵」の引用で、『とんとんむかし』が台詞ごとに改行、またそれ以外にも4つの段落に分れているのを段落分けなしで詰めて収めている。異同は16頁5行め「喝破(かっぱ)」の読みを省いただけである。
 よって引用はしない。ここでは菊地氏が原話を改変しているところを中心に、確認して置こう。
 まづ重要なのが冒頭、16頁2行め「 八王子の石川の朝鞍野に、‥‥」として、首なし地蔵がある辺りの朝倉野(朝鞍野)と云う小字を持ち出していることである。
 なお1~2行め、主人公の「坊さまは、相州(神奈川県)の/遊行寺の遊行僧」となっていて、これは12月2日付(1)に見た清水成夫の2つの「首なし地蔵」のうち、『八王子周辺の民話』に合致する。そして再話作品らしく、清水氏が「悪口を言った」もしくは「無能を批判した」としているところを、5行め「この地には、治める者なきか」と台詞にしている。これに対して役人が7行め「生意気な坊主め!」と応じ、そして9~10行め、

「下役人では、話にならん!」
と、なおも叫ぶので、役人たちは腹を立てて、坊さまの首をはねてしまった。

と、4行めに「豪気な坊さまで」と断ってあったのだが、相当、口が悪い。
 次に目立つ異同は13行め「方向を失って倒れてしまった」場所を12~13行め「道が大谷と大和田にわかれ/る所」としていることである。大谷は現在の八王子市大谷町で西北西、大和田は八王子市大和田町で南西である。現在地蔵がある辺りを考えているらしく、清水氏が「もと」は「現在の第八小学校の敷地内」にあった、としていることには触れていない。菊地氏は第八小学校の教諭だったのだが、行事が「よく雨にたたられた」と云ったことにも触れていない。
 なお、左上、12~16行めの上8字分にイラストがあるが、日本刀が笠を被った石地蔵の首を刎ねている絵柄で、話の内容とは異なる。僧侶の首が刎ねられるところを描く訳にも行かぬけれども。末尾を抜いて置こう。15~16行め、

‥‥、どうしても首が付かず、しかたなく、首のないまま建てたそうじ/ゃ。日野宿在には、首塚もまつられたということじゃ。

 

 この、最後の一文が浮いていると思うのである。
 石川村の朝倉野(朝鞍野)で政治批判をして捕まり、首を斬られて、12行め「すたすた歩き出した」にしても、結局、朝鞍野の中の分岐点で倒れたのだから、大して歩いていない。朝鞍野で完結している。しかしここで「日野宿在」に「首塚も」と、唐突に持ち出されるのである。
 辻褄を合せるとすれば、12月4日付(3)に述べたように、胴体は「すたすた歩」いて移動しているが首はそのままのはずなのだから、誰かが持ち去ったと云うことでなければ、首塚のある辺りで首を刎ねられたことになるはずである。
 従って、政治批判の現場を「朝鞍野」に設定した時点で、日野の「首塚」は無視するべきであった。
 もし「首塚」に触れたいのであれば、政治批判の現場は「日野原」にするべきであったろう。その意味で、少々不用意な再話と云わざるを得ないと思うのである。(以下続稿)