瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

八王子市の首なし地蔵(6)

・北八王子町会「北八王子だより」(2)
 昨日の続きで、「北八王子だより」No.29(2020 年6月号)に引用・紹介されている「■ 首無し地蔵の伝説」の2つめを見て置こう。こちらは八王子市図書館蔵書のカバー表紙・背表紙・裏表紙の白黒複写を掲載している。
・菊地正『とんとんむかし』昭和六十二年二月十四日 第一刷印刷・昭和六十二年二月二十日 第一刷発行・定価1200円・東京新聞出版局・212頁・B6判並製本
 私が八王子市域の伝説について整理して置こうと考えたのは、清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』が稀覯書で、しかし色々な文献から蒐めているので、その内容が分かれば、先行する清水庫之祐や、恩方や由木の伝説集、或いは『ふるさと八王子』など関連する文献についても把握し易くなるだろう、と思ったからである。
 八王子市域の民話の蒐集家と云えば、清水成夫よりも菊地正(1927.10.24~2006.3.24)を挙げるべきなのだろうけれども、菊地氏は再話作家と呼ぶべき人物で、厖大な数を集めて出版しているが、資料としては甚だ扱いづらい。
 やはり第一の問題点は、先行する書物に載っている話を、書籍に由来することを断らずに語り口調で再話し、読者に地元の語りを採話したと思い込ませてしまったことである。例えば江戸時代の『武蔵名勝図会』等の書籍には載っているが、地元の伝承は既に絶えている(すなわち、書籍を典拠として語られている)話を、綿々と語り継がれて来たかのような装飾を施して、実際に伝承されている(らしい)話と並べているのである。
 実際に採話した話も少なからずあるのだろうが、菊地氏はその取材源を殆ど明かさない。だから、書物から得た話との区別が付けられない。かつ、取材源を示さないことに関連するが、複数の人物に聞いた話を掛け合わせて1つの話に纏め上げるようなこともしている。当ブログで再々述べたように、同じ主題を扱っていても、前提の違う話を混ぜてはいけないので、異説として別記するべきなのである。Aさんから聞いた話とBさんから聞いた話の、良さそうなところを繋ぎ合わせて作った話Cは、既に話Aでも話Bでもない。それは再話者が考案した異説と呼ぶべきで、私などからすると伝承の混乱の原因になるものとしか思われないのである。いや、菊地氏の再話の場合、単に繋ぎ合わせた以上に創意もしくは解釈が加わっているから、話C‘ もしくは話Dと呼ぶべきかも知れない。
 私の実話怪談に対する意見も、同じようなものだと思ってもらえれば宜しい。それはともかくとして。
 菊地氏は民話蒐集家である前に小学校の教諭で、児童文学作家として昭和46年(1971)から作品を商業出版している。当ブログでも2011年9月15日付「『ほんとうにあったおばけの話』(04)」等に見たように、日本児童文学者協会に所属していて、平成2年(1990)から平成3年(1991)に掛けて刊行された『ほんとうにあったおばけの話』全10巻の編集委員を務めている。2011年9月19日付「『現代の民話・おばけシリーズ』(01)」及び2011年10月4日付「『現代の民話・おばけシリーズ』(06)」に見たように、これに先行する、昭和50年(1975)刊、日本児童文学者協会『現代の民話・おばけシリーズ』全5巻にも参加しており、この辺りから民話の再話を始めたもののようである*1
 私は再話や、再話作品の材料を明示しないことには大いに問題があると思っている。私は好まないが再話に需要があるのであれば、それを商業出版することも構わない。語りサークルなどで、子供たちの情操教育、そして郷土に興味を持ってもらうため、好もしい内容・表現にアレンジした民話を語るのも、悪いことではないだろう。しかし、やはり別に資料として活用出来る形で原資料も提示するべきだし、書物に拠っているのならばその旨明示すべきである。取材源の明らかでない再話作品だけが遺されてしまうと、どう扱って良いか戸惑う。その点、八王子市の伝説の資料としては、清水成夫の『八王子ふるさとのむかし話』は体裁が不統一で典拠の表示も不十分だけれども、依拠した資料に潤色を加えていない分だけ(しかし誤写や要領を得ない要約が散見されるが)信用出来るのである。
 実際、本書に載る、清水庫之祐或いは清水成夫がさらに先行する書物から採った話が、近年、八王子市民や出身者によるネット記事や市販の書物に、民話扱いされて掲載されている。問題ないと思う人もいるかも知れぬが、私は大いに問題があると思っている。そして、これ以上の混乱を生じさせないためには、菊地氏の情報源を洗い出して、先行する書物からの再話はその旨を断って、そういった話は菊地氏の本ではなくて、先行する書物に就くようにしないといけないと思うのである。しかし、この作業は、労多くして感謝されないものであろう。最近当ブログは八王子市の郷土研究ブログみたいになっているが、八王子市からの閲覧は皆無に近い。――尤も、他の市町村からの閲覧も殆どないのだけれども。
 さて、本書は、馬場喜信の地誌・紀行にて触れたことのある、「東京新聞ショッパー」の連載を纏めたもので、4月16日付「道了堂(35)」に取り上げた馬場氏の「八王子の峠と坂道」と同じ頃に連載が始まったらしい。ミニコミ紙の連載らしく、全ての話が1頁に纏められており、左上に内容に基づいた小さなイラストを添える体裁まで共通している。本文は11頁からで210頁までだから200話収録している勘定になる。200話を同じ長さに揃える技倆は、長い教員生活と児童文学作家としての鍛錬に基づくもので、達意の文章と云うべきであるが、逆に揃い過ぎていることが、私にはどうにも気になるのである。
 そんな訳で、これまで、菊地氏の民話集のことは、意識しながらも敢えて遠ざけて来た。今後も手を出したくないと思っているのだけれども、清水庫之祐や清水成夫の著述の検討を済ませた上であればある程度のことは出来るであろう。少しずつではあるが、手を着けて行きたいと思っている。
 さて、そこで肝心の『とんとんむかし』の「首なし地蔵」だけれども、菊地氏の民話集をどのように扱うかは以前からの懸案であったので、その前置きで、長くなってしまった。よって具体的な検討は次回に回すこととします。(以下続稿)

*1:私のペースで全体的な検討を始めると菊地正研究家になるよりないので、何冊かにざっと眼を通し、図書館OPACで検索して何となく著述活動について見た上での感想に過ぎないので、見当外れかも知れません。