瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

八王子市の首なし地蔵(1)

 八王子に「首なし地蔵」と呼ばれる地蔵があって、と云う話は稲川淳二が広めてかなり有名になっているらしい。その鑓水の道了堂跡にある石地蔵だが、立像と座像の2躯があって、稲川氏は一方に指定しているのに混乱を来している。その上、稲川氏は近著に収録した「八王子の首なし地蔵」で余計な(!)改変を加えたため、今後、新たな混乱の発生が懸念されるのである*1
 如何わしい情報でも一顧だにせず無視するようなことはしたくない私としては、道了堂研究の一環として、どうしても稲川氏の役割に触れざるを得ないのだけれども、それは追って果たすことにしてここではその前段階として、稲川怪談以前から知られていた、八王子の首なし地蔵について見て置こう。いや、実は稲川氏が近著で妙なことを言ったものだから、この地蔵の存在が蒸し返される可能性があるのである。まぁ今のところその気配はないのだけれども、妙なことにならぬ前に釘を刺して置こうと云う次第である。
 題は稲川氏の怪談との区別、それから八王子と云っても鑓水にしても今回取り上げる石川町にしても、本来の八王子市域(旧市域)ではなく、飽くまでも合併により市域になった地域、と云うつもりで「八王子市の」とした。
・清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』巻一90~91頁6行め<小宮地区>《17》首なし地蔵(八王子市石川町)
 清水氏はこれとほぼ同内容の話を、11月17日付「清水成夫 編『八王子周辺の民話』(2)」に見たように、典拠を示さずに『八王子周辺の民話』18頁【14】首なし地蔵<八王子市石川町>に紹介している。
 ここでは刊行が早く、文章もこなれている〈A〉『八王子周辺の民話』の本文に拠り、〈B〉『八王子ふるさとのむかし話』との異同を当該箇所を太字にして示し、〈B〉の本文は後に註記して置いた。
〈A〉18頁上段1~2行め

 石川町第一中学校の西側に小さな地蔵様がある。もと/もと首が無かったので、首なし地蔵と呼んでいる。


〈B〉90頁上段1~4行め。1文ごとに1段落。1~2行め「西側都道一〇三号線のかたわら」3行め「をつくらなかったので」読点なし。
〈A〉18頁上段3~11行め

 昔相州遊行寺(神奈川県藤沢市)の僧が来てこの地の/荒れ方を見て、土地を治める者の悪口を言った。それが/お役人の耳にはいり、首を斬られてしまったところが首/を斬られた旅僧はそのまま立ち上ると、おどろく人びとをあとに、すたすた歩き出した。しかし道が岐れるところで首のない悲しさに、方角を失って倒れてしまった。/土地の者が哀れんで地蔵にして葬った。がどうしても首/が付かず、なんど立てても倒れてしまうので、思いきっ/て首のない地蔵を建てたらきちんと立ったという。


〈B〉90頁上段5行め~91頁上段1行め、2段落になっている。90頁上段5行め「相州の僧が来て」6~7行め「土地を治める者の無能を批判」この文末で改段落。上段8行め「ところがそれが役人の耳に問われ首をられてしまった」下段2行め「/られた旅僧はそのま立ち歩き」3行め「をあとに」4行め「/然も道が岐れる」5行め「方角を失って倒れ」5~6行め「思い地蔵にし葬ったところ、」7行め「かず何としても首が倒れので」8行め「今度は/【90下】」
〈A〉18頁上段12行め~下段4行め、

 石川町と日野市の境に首塚」と呼ばれる場所があり/ここに首が納められているといわれている地蔵様のあった場所は、もと現在の第八小学校の敷地内であった由。
 そのためか、その頃の
小学校の行事の運動会とか遠足/【18上】などには、よく雨にたたられたと伝えられるまた、首/におできが出来たり、首のまわらない病気など、首に関/する病は、この地蔵様にお参りすると、よくなおるといわれていた


〈B〉91頁上段2行め~下段6行め、3段落。上段2行め「首塚と呼ばれる」3行め「ここに首納められている」この文末で段落を改める。4~6行め「 地蔵のあった場所は現在より北の小学/校敷地内あったそうだが、学校を建てため移されたので、当時」下段1~2行め「運動会遠足などはよく雨にたたられた/」この文末で段落を改める。3~5行め「 首におできとか首のらない病気とか経済的に苦しい時や多忙の時、首に関す/る病はこの地蔵」6行め「」この行の下詰め「( 郷土ばなし)」とあり。
 恐らく同一の典拠に拠っていると思われるが、それが〈B〉『八王子ふるさとのむかし話』の本文末に見える(郷土ばなし)なのであろう。これは昨日触れた〈A〉『八王子周辺の民話』の「大和田河原の刑場」の典拠となっている、第八小学校編『郷土のはなし』のことと思われる。
 少々不審なのは、11月17日付「清水成夫 編『八王子周辺の民話』(2)」に見たように『八王子周辺の民話』には写真が掲載されているのだが、そのキャプションに「首なし地蔵(現在跡形もない)」とあることである。なお、郷土資料シリーズ(一~五集)を合本した『郷土の自然と文化』に載る写真は殆ど黒い塊にしか見えないが、初刊本では舟形光背に浮彫になった、腰か腹の上が欠けた石仏であることが、かろうじて分かる。
 所在地は東京都八王子市石川町2085番地、八王子警察署北八王子交番から都道59号線(多摩大橋通り)を渡った西側の、道の分岐点にある植込みの辺りで、Google ストリートビューで見るに、現在、脇道に面して西向きに小さな石仏が3基、右から観音立像、やや大きな如意輪観音坐像、そして合掌した地蔵らしい立像が並んでいる。この地蔵は頭部は摩滅しているものの全身存しており、光背にも折れた痕跡はない。いや、別に都道に面した側に、もう1基、あるように見えるのだが Google ストリートビューでは大通りに面しているとあまり拡大出来ないので、どうもはっきりしない。実はネット上には少数ながら、この首なし地蔵のカラー写真が上がっているのである。しかしながら『八王子周辺の民話』掲載の写真と同じものなのかどうか、どうも分かりにくい。そこで改めて「首なし地蔵」で検索すると八王子以外のものも仰山ヒットする。「八王子」を入れて検索すると道了堂跡のものばかりヒットする。しかしそこでまた改めて、最寄駅である「北八王子」を加えて検索したところ、HN「八王子 Lover」が2022年1月16日に YouTube に投稿した、鮮明な動画とその抜萃がヒットした。

www.youtube.com

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 これを見ると、確かに『八王子周辺の民話』掲載の写真と同じもののようだ。そうすると『八王子周辺の民話』のキャプション(現在跡形もない)とは何だったのか、どうも腑に落ちないのだけれども。(以下続稿)

*1:2023年1月11日追記】これについては誤解があったので見せ消ちにする。詳細は2023年1月11日付(08)に述べた。