瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

先崎昭雄『昭和初期情念史』(1)

・先崎昭雄『昭和初期情念史―幻影から散華へ―1997年6月20日 第1刷・定価650円・近代文芸社・290頁・文庫判並製本

 カバー装画は裏表紙にも 2cm ほど入り込んでいる。カバー背表紙には上半分に標題、下部に著者名が、ともにカバー表紙のものをやや縮小して収めている。副題はカバー表紙では青紫色で「」で上下を挟んで1行で入っていたが、こちらは標題と著者名の間に黒で「幻影から/散 華 へ」と割書。最下部にゴシック体横並びでごく小さく版元名。カバー裏表紙の大半は白地で、上部にOCR-B/ゴシック体で「ISBN4-7733-5854-8 C0121 ¥650E/定価:[本体650+税」2行めは右詰め。カバー裏表紙折返しは白地、カバー表紙折返しにも装画が 1.8cm 入り込み、残りは白地、その白地の右下にゴシック体縦組みでごく小さく「カバー画・田中博久装  幀・五味恵子」とある。
 本書は都内の公立図書館では国立国会図書館が所蔵するのみ、都下の公立図書館でも著者の居住地である小平市立図書館に所蔵されているだけである。大学図書館は関西の2館、他に他県の公立図書館何館かが所蔵している。「日本の古本屋」でもヒットせず、Amazon では中古品が12000円で出ているのみである。
 内容は、なかなか興味深い。まづ著者の母が女性社会活動家の河本(先崎)亀子であること、下谷区上野桜木町で生れ育っていることがその理由である。河本亀子はすっかり忘れられた存在だが、著者は母親の残した資料を元に、筆名で次の本を出している。 この本については後述するように第5章と奥付に記述がある。
 河本亀子(1897.1.18~1966.1.31)は同じ岡山県出身の犬養毅の知遇を得て革新倶楽部の婦人部第一号会員(日本初の女性政党員)となり、また東京市社会局保護課職員として廃娼運動に従事するなどした末、河本派出婦人会を経営して女性の経済的自立を支えた女傑であった。
 1頁(頁付なし)扉には縦組みで、右上に明朝体でやや小さく著者名(姓名間1字空け)、左上に標題と副題を1行、明朝体で標題は太字、副題は「――」で挟み「 げ 」とルビ。下部中央にゴシック体縦組みで小さく版元名。
 3~4頁(頁付なし)「ま え が き」に、まづ3頁に標題の意味について述べ、4頁に敷衍して述べている。1~7行め、

 昭和四年東京生まれの私と共にあった十数年間の本籍地での年月はすなわち私の幼少年/時代そのままの時間であり空間であった。
 その中に私の情動と想念のすべてが詰め込まれてあったと思う私にとって昭和二〇年日/本敗戦以降の時間は、アイデンティティーを満たす何ものもないという真空感覚の単なる/機械的経過にすぎない。時は止まり、事物と自己とは結びつかない。離人感と喪失感の空/白地帯にたたずんだままの私である。
 それでもちゃんと私は現代に生きている。本文中にも現代への言及はある。


 5~7頁「目 次
 9頁(頁付なし)中扉は上部中央に標題と副題を1行、明朝体で標題は太字、副題は「―」で挟み「 げ 」とルビ。
 「目次」では、以下の27章と付記(11~283頁)が同じ高さで並んでいる。
「序 章 いつか東京の空のどこかに」11~13頁
「第1章 幻の昭和元年」14~16頁
「第2章 天才の予感」17~21頁
「第3章 狂恋の殺人鬼とお節介な怪盗」22~35頁
「第4章 恐怖の悪法」36~41頁
「第5章 私を産むまでの母のこと」42~66頁
「第6章 昭和五年は〝女の年〟だった」67~82頁
「第7章 日本を脱出した美女(I)」83~91頁
「第8章 黒犬・どくろ・赤マント」92~97頁
「第9章 昭和七年、「大正」の絶命」98~106頁
「第10章 〈小児科〉の昭和八年」107~123頁
「第11章 大正生まれ最初の首相」124~134頁
「第12章 明治蘇生と大正葬送*1」135~144頁
「第13章 忠犬美談から猛獣騒動まで」145~154頁
「第14章 鬼の時代」155~163頁
「第15章 死愛好者ヒトラー三島由紀夫」164~176頁
「第16章 日本を脱出した美女(II)」177~188頁
「第17章 百歳を優に超えた芸術家」189~210頁
「第18章 こぼればなし」211~219頁
「第19章 子どもと戦争責任」220~244頁
「第20章 さらわれた発明」245~249頁
「第21章 開戦の日」250~251頁
「第22章 初空襲の日」252~257頁
「第23章 旧制中学の日々」258~262頁
「第24章 東京大炎上の日」263~267頁
「第25章 敗戦の日」268~272頁
「終 章 上野の森の空のかなたに」273~282頁
付 記」283頁
 これら細目を眺めても分かるように、先崎氏の回想だけでなく、大正末年から説き起こす。鬼熊事件や説教強盗について、幼時に聞いた話に執筆に当って調べたことを合わせて、昭和初期の時代の空気を再現して行く。そして第5章で母・河本亀子の半生を述べて大正と云う時代の空気に及ぶ。
 この第5章末、65~66頁5行めには1字下げで参考資料を多々列挙している。5行めまでの前置きを抜いて置く。

この章は主として両親生前の談話および母・亀子の遺品である新聞切り抜きの断片的ス/クラップを裏づける大正期各種新聞復録本に基づいた(それら関係記事等をまとめたも/のとしては仙崎章夫著『花嵐――女たちの大正デモクラシー近代文芸社を参照して下/さい)。そのほか参考にした資料・文献等の中で「河本亀子」の名や事例が記載されて/いる図書は次の通り――◎三井禮子編‥‥


 仙崎章夫については奥付の上の「著者略歴」に、5~7行め、

著書『大正の日本人』(共著)ぺりかん社
  『花嵐―女たちの大正デモクラシー―』
  (筆名・仙崎章夫)近代文芸社

と説明されている。すなわち本書、特に河本亀子の事績に関しては『花嵐』と並べて見るべきなのだけれども、それは一仕事となるので、又の機会に譲ろう。(以下続稿)

*1:ルビ「 そ せい」。