瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤堀又次郎伝記考証(25)

・赤堀象万侶⑩好古會
 赤堀象万侶は4月8日付(18)に見たように、明治8年(1875)以来明治30年(1897)4月まで、岐阜県武儀郡関町に住んで幾つかの神社の神職を兼ねていたらしい。
 その後であるが、東京で開かれていた好古会の記事に姿を見せている。
・宮崎幸麿 編輯「好古叢誌」七編上卷(明治三十一年五月 十 日印刷・明治三十一年五月二十五日發行*1・好古社事務所・二+目録+六十頁)
 四十三頁14行め~五十九頁11行め「◯第三十回好古會記事」の冒頭、四十四頁1~10行め、

明治三十年の秋季會は松浦社長の舊藩地に旅行せられたる等の事故に由り十二/月十九日に至り例の日枝神社境內なる星岡茶寮に開く歲晩の時に際すれとも好/古の諸君來會せられしは社長伯爵松浦詮君評議員川崎千虎君井上賴國君大槻修/二君前田健次郞君小杉榅邨君三田葆光君本居豐頴君社員伯爵東久世通禧君伯爵/伊達宗基君子爵東胤城君子爵渡邊寛綱君片野邑平君金澤三右衞門君神谷氏興君/河内源太郞君狩野忠信君田副實政君坪井晋君中村省三君村田峰次郞君字津木豊/吉君大倉雨邨君久保雅友君福井繁太郞君寺松定六君秋月新太郞君赤堀象麿君作/並清亮君木下武夫君宮地嚴夫君宮武外骨君杉浦鋼太郎君杉浦露介君鈴木梅仙君/幷に幹事宮崎幸麿庶務松浦信寔青山清吉の三十八名なり午前第十一時各着席せ/らるゝや社長松浦君の挨拶あり‥‥

と28人めに「赤堀象麿」の名が見え、五十六頁8~15行めに、

     ◯赤堀象麿君出品
一木彫唐子像支那古物
一素燒布袋
一公任卿筆色紙世に堺切といふもの
一金分銅の圖
 金銀御分銅六ツ之内金之方竪差渡一尺一寸三分横巾渡五寸二分厚サ四寸九分/ 右寸法六ツ共同樣御分銅鑄形御紋置上ゲ高サ二分葵葉内有蘂毛彫文字總テ■/ ヒ彫貫目四十一貫九百四十目等誌しありて■坐池澤信成寫と記せり【五十六】

と出品物が挙げてある(■は潰れて読み得なかった文字)。
・好古社編纂部 編纂「好古類纂」二編第五集(明治三十七年九月三十日印刷・明治三十七年十月廿三日發行・非賣品・好古社出版部)
 各部類ごとに頁付がまちまちなので総頁数などは省略する。巻末の「附録〈第 四 十 回好古會記事/第四十一回好古會記事〉」は二十二頁の「第四十囘好古會記事」と三十二頁「第四十一囘好古會記事」から成り、間に見開きの写真版がある。
 前者の冒頭、一頁上段2~5行めに、

明治三十六年十一月廿一日廿二日の兩日秋季好古會を/東京市麴町區有樂町神宮奉齋會本部に開く則ち廿一日/の午後第一時を以て在京社員及ひ其誘引せられし人々/を集へぬ‥‥

とあって、以下出品者と出品物が、一部は模写とともに紹介されるが、十五頁下段17~21行め、

●赤堀象麿君
一大黒天木像 〈日光朱の御橋架替の時古木/を以て刻したるものなり 〉  一 軀
一、水戸烈公紅葉の歌尾州成瀬侯より賜ふ所  一 幅*2
 誰もみよにしきをさらす木々の葉のうつろひ行はほ/ となかるらん

と見える。続いて掲載される明治37年(1904)6月13日から20日の8日間、上野公園桜ヶ岡日本美術協会列品館で開いた古物展覧会「第四十一囘好古會記事」には見当たらないようだ。
 そうすると明治36年(1903)11月まではその生存を確認出来る訳である。明治30年代には関もしくは犬山を引き払って東京の子息・又次郎の許に身を寄せていたようにも思えるのだけれども、好古会に合せて上京していたのかも知れない。
 生年はまだ明らかにし得ていないが、今のところ江南市史編纂委員会 編集『江南市資料三 古文書編』下(昭和五十五年二月一日 発 行・江南市・408頁)247~382頁「第十五章 村 の 生 活」291頁下段4行め~318頁「三 寺   社」の、311頁上段~下段4行め「四八六 宮後村神職の後職相続願  弘化二年/(三輪正一氏蔵)」に見えるのが私の見ている最も早い記録である。弘化二年(1845)二月付で「犬山針綱神社神主赤堀象丸」と見え、自署に捺印もしている。この三輪家と赤堀家とはそれ以前からの関係である。赤堀家の系譜を辿る際に、改めて取り上げることとしよう。
 とにかく弘化二年(1845)から明治36年(1903)まで、60年近く記録に姿を見せている。長命で、晩年まで矍鑠としていたことが察せられるのだが歿年月日もまだ突き止めていない。この時期の犬山壮年會の機関誌「智仁勇」を見れば分かるであろうか。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 まだ幾つか取り上げていない資料もあるが、改めて機会を作ることにして一旦赤堀象万侶についての検討を切り上げることとしたい。(以下続稿)
4月17日追記】HN「神保町のオタ」のブログ「神保町系オタオタ日記」の2023-04-17「福羽美静が明治14年に創設した好古社と小杉榲邨」に明治34年(1901)5月の「好古社創立満二十年祝賀入社金割引券」と「好古社畧則」が写真で紹介され、好古社についても昭和女子大学近代文学研究室『近代文学研究叢書』第9巻を引いて紹介している。

*1:「二十五」は墨書した紙(を貼付しているように見える)。

*2:小字部分は右寄せ。割書と同じ大きさの活字。