・反町茂雄「辞書のはなし」(2)
3月15日付「反町茂雄『一古書肆の思い出』(5)」に参照した『一古書肆の思い出5』編集部 作成「反町茂雄著述目録」の、375頁10~32行め「昭和62年(1987)」条を見るに、375頁25~26行め「5月」条の26行めの方が、
辞書の古本・古典籍のこと 三省堂ぶっくれっと68号
で、28~29行め、
とあって「三省堂ぶっくれっと」が隔月刊であること、そして3号にわたって三省堂らしく「辞書」の連載をしたことが分かる。
もう少し事情が分かりやすいのは『反町茂雄文集』下の「反町茂雄主題別著作一覧」である。628頁上段に凡例6項、628頁下段~630頁下段10点めが主題の1つめ「書物のはなし」である。2段組で、その1段を更に4段に分けて、上半分15字分の1段め「題 名」、2段め7字分「掲載誌・号数」、3段め3.5字分「年月日」但し日まで入れた項目はない。そして一番下の4段め「収録」には、「凡例」628頁上段10~11行め「5 単行本に収録された著作は、左記の記号で示した。ただ/ し、本書に収録の著作については、*印によって示した。」とあるように、1字分使って記号が打たれている。それぞれの段の間は1字分弱空けてある。しかし題名・掲載誌等は1行に収まらないことが多く2行に及んでいることも少なくない。1段めが1行で2段めが2~3行のこともあれば、1段めが2行で2段めが1行だったりして、行数の勘定が難しい。4段めも複数の単行本に収録している場合は2行になっている。そこで点数で勘定することにした。こういう組み方だから各文章の間に少し間を置いている。「書物のはなし」628頁下段13点、629頁上段20点、下段12点、630頁上段16点、下段10点である。「三省堂ぶっくれっと」の連載は、630頁下段4~6点めに次のように並んでいる。1~2段めは2行になっているので「/」で改行位置を示した。
[辞書のはなし] 辞書の古本・古/典籍のこと 三省堂ぶっくれ/っと68号 昭和62・5 *
[辞書のはなし]戦火を免れた古辞/書のこと 三省堂ぶっくれ/っと69号 昭和62・7 *
[辞書のはなし]再発見の国宝的古/辞書 三省堂ぶっくれ/っと70 昭和62・9 *
これにより、この3回の連載が「辞書のはなし」と云う総称の下になされたことが分かるのだが、昨日見たHN「空山」こと岡島昭浩が別にHN「okjm」を称して運営していたブログ「本の目次を写すは楽し」の2006-05-23「『三省堂ぶっくれっと』69 1987.7」に拠れば69号は〈辞書のはなし(15)〉である。そうするとこれはリレー連載で、反町氏は68号(14)69号(15)70号(16)の3回を担当したことになる。「反町茂雄著述目録」は連載の題ごと省き、そして「反町茂雄主題別著作一覧」は番号のみを省略した訳である。出来ればどのような人が参加し、いつからいつまで何回続いたのか教えて欲しいところだったのだけれども。
本文は『反町茂雄文集』上、125~130頁にこの3回分が「辞書のはなし」として纏められている。「反町茂雄著述目録」及び「反町茂雄主題別著作一覧」にある通り、まづ125頁上段2行め~126頁「辞書の古本・古典籍のこと」最後の1行はやや小さく下寄せで「(「三省堂ぶっくれっと」昭和六十二年五月) 」、内容は一誠堂の住み込みの小僧奉公時代の回想で三省堂発行の『日本百科大辞典』について。あの斎藤精輔の『日本百科大辞典』である。時期は「修業時代」と副題する『一古書肆の思い出1』に当たるのだが『日本百科大辞典』は「索引」に拾われていないので、直ちに記述のある箇所を見る訳に行かない。単行本では80頁に「早稲田方面の人が主」の「一心会をのぞきに出」て「はじめて三省堂の「日本百科大辞典」の入札を見た事が印象に残っています。」として、12行め~81頁8行めまでその様子を活写し、8~11行め、
‥‥。三省堂の「百科大/辞典」は、昭和初年には殆ど唯一の本格的な大型エンサイクロペディア。どこの学校でも図書館でも/必備の基本図書。売価は二百五十円前後、十分の高価本。全集・叢書類の中では、人気第一の商品で/した。‥‥
と説明する。「辞書の古本・古典籍のこと」は2段組の2頁弱、たっぷりと『日本百科大辞典』について述べている。「立ちっぱなしの店番」をしていて『日本百科大辞典』が売れることが「一番うれしかったこと」、そしてその「仕入れ」や「手入れ」についても述べている。『一古書肆の思い出1』には他にも単行本126・173頁と175頁の広告に『日本百科大辞典』の書名は見えるが、このような細かい、愛着の滲んだ紹介ではない。してみると「辞書の古本・古典籍のこと」は『一古書肆の思い出』が書き漏らした内容を補うものと云うことになる。今後、百科事典に関するアンソロジーが編まれることがあれば、是非とも当時の『日本百科大辞典』の人気と魅力を語った文章として収録して欲しい。
そして127~128頁下段15行め「戦火を免れた古辞書のこと」最後の1行「(「三省堂ぶっくれっと」昭和六十二年七月) 」とある。ここでは2点取り上げている。まづ127頁下段5行め~128頁上段8行め、東京大空襲の際に下谷黒門町の文行堂書店にあった枳園本『節用集』がどうやって難を逃れたかを、同業者の体験談なので短いながらも臨場感を伴う描写で述べている。この文行堂の被災と『節用集』とともに弘文荘が買い取った古典籍については『一古書肆の思い出3』単行本73頁2行め~78頁(HL版86頁14行め~92頁5行め)に対応する記述がある。そして「戦火を免れた古辞書のこと」の残りもう1点が文明本『節用集』、これについては次回原文を抜いて『一古書肆の思い出3』と対照させつつ確認することとしたい。
最後の128頁下段16行め~130頁「再発見の国宝的古辞書」は最後の1行(130頁下段9行め)に「(「三省堂ぶっくれっと」昭和六十二年九月) 」とある。これも2点取り上げており、1点めは129頁上段19行め~130頁上段1行め、明治前期に所在不明になって戦後昭和23年(1948)に出現した『金光明最勝王経音義』についてで『一古書肆の思い出』単行本407~419頁10行め(HL版414頁6行め~427頁9行め)に詳述されている。そしてもう1点は江戸時代後期に発見されながらその後所在不明になっていた『三宝類字集』と云う辞書について、だがこれは反町氏が扱ったのが昭和31年(1956)から昭和32年(1957)に掛けてのことなので『一古書肆の思い出』には載っていないはずである。ただフランク・ホーレーが関わっているので『蒐書家・業界・業界人』に、そして天理図書館に収まったので『天理図書館の善本稀書』に、何か記述があるかも知れない。(以下続稿)
【追記】『辞書のはなし』は1冊に纏められていた。
色々手続きして『反町茂雄文集』を借り出さなくても良かったんじゃないか。この2ヶ月以上うっかりしていたことになる。