瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤堀又次郎伝記考証(57)

・『森銑三著作集』続編(2)
 『森銑三著作集』続編に見える赤堀氏に関する記述は、5月7日付(47)5月15日付(55)そして前回6月4日付(56)の3回で、伝記に関わりそうなところはほぼ採り尽したと思うのだが、一応別巻「人名索引」に出ている箇所につき、メモだけは取って置こう。
・『森銑三著作集』続編 第九巻(典籍篇三)一九九四年二月一〇日初版印刷・一九九四年二月二〇日初版発行・定価6602円・中央公論社・602頁・A5判上製本

 493~494頁「書誌学といふ名前」は例によって、たまたま読んだ雑誌の記事に触発されて知識を披瀝、加えて若干の調査をしたもので、戦後の森氏らしい文章と云える。589~602頁「編集後記」の600頁8行め「「書誌学といふ名前」は、雑誌『日本古書通信』昭和三十三年八月号に発表された。」とある。――「天理図書館報『ビブリア』第十号(昭和三十三年三月発行)所載の「書誌・稀本・その他」といふ座談会の記事」にて、寿岳文章野間光辰に唆されるような按配で「書誌学」と云う訳語を自分の考えで作ったかのように話しているのに対し「大正の末年に植松安氏を中心とした書物同好会から、『書誌』といふ雑誌が刊行せられて」いたことを指摘、誌名の「名附親は多分植松氏だつたらうと思ひます。」とする。そして自分の体験を述べ、さらに「図書館雑誌」に手を伸ばしている。493頁12行め~494頁5行め、

 なほ私は大正十四年に文部省の図書館講習所に入学した者ですが、同所で植松氏その他から「日本書誌学」/「支那書誌学」「西洋書誌学」の講義を聴きました。教課目には、はつきり書誌学とあつて「書史学」でも「書志/学」でもなかつたことを記憶して居ります。【493】
 私達は第五期の入所生だつたのですが、序に『図書館雑誌』を調べましたら、同講習所が図書館教習所の名で/発足したのは大正十年で、その時は久松潜一氏が「書史学」を担当せられてゐました。第二回は、講師は不明で/すが、同じく「書史学」とあります。第三回は大正十二年ですが、その時は植松氏が一人で「日本文学書誌」/「西洋文学書誌」を講ぜられる予報が見えて居り、この時から「書史学」の名称が「書誌学」と変更してゐるこ/とが知られます。さうした事実のあることを一言しておきたいと思ふのです。


 そして、6~9行め「‥‥、明治四/十二年八月に東京で図書館科講習会といふが開催せられた時に、その「書史学」を赤堀又次郎氏が講じてゐられ/ます。しかしなほそれより一二年早く、内田魯庵氏が『学鐙』に「書史学」といふ学問に就いて書いてゐられた/やうに思ひます。」と、先行する「書史学」に関連して赤堀氏に触れている。
 国立国会図書館デジタルコレクションで「書史学」を検索するに、高良二・寺田勇吉 共訳『独英和/三對字彙大全』(明治十九年一月印行・明治二十年六月跋・共同館・1650頁)204頁左2行め「*Bibliognofie, f. (pl.-en) bibliognosy, 書史學.」とあって、以下関連する語が並ぶ。見出し語は「Bibliografie」の誤植であろう。そして「書誌学」の方も同様に国立国会図書館デジタルコレクションで検索するに、和田萬吉『圖書館管理法大綱』(大正十一年十月十四日印刷・大正十一年十月十七日發行・定價金壹圓八拾錢・丙午出版社・四+七+二四二頁)に出ているのが一番早いようだ。和田萬吉今澤慈海植松安村島靖雄 共編『増訂圖書館小識』(大正十一年十二月二日印刷・大正十一年十二月八日發行・定價金貳圓・丙午出版社・六+二+一九六頁)にも2箇所に出ている。初刊本の日本圖書館協會 編『圖書館小識』(大正四年九月 十 三 日印刷・大正四年十月二十三日發行・定價金七拾錢・日本圖書館協會・五+二+二〇二頁)には見当たらない。
 さて、森氏の「書誌学といふ名前」、調べがしっかりしている訳ではないが、差当り好い加減な発言に異を唱えると云う姿勢を高く買いたいと思う。それなりに影響力のある媒体でその道の権威のような人物に好い加減なことを言ってもらっては困るのである。しかししっかり調べるには時間が掛かるから差当り気が付いた範囲の調査からであっても間違いだと云うことだけは、指摘して置くべきだと思うのである。
 私の院生時代に参加していた研究会で某研究機関の助手(当時)と、妙な説を声高に主張している関西人の話になったときに、その人の意見が間違いなのは間違いないが「違う」と云うだけでは喧嘩になる(から差当り批判を控えている)等と妙なことを言われたことがあるのだが、対案の提示や別の論の序でのような按配でないと間違いの指摘も出来ないと云うのは、どうかしていると思う。
 と同時に、森氏の戦後の文章は、実はその多くが「記憶」と「差当りの調べ」によって書いたものだと云うことに、読者が(そして恐らく当人も)然して注意を払っていないことが問題だと云うことにも、改めて思い至ったのであった。この「書誌学といふ名前」は訂正のため取り急ぎ「記憶」と「差当りの調べ」によったことを明示しているから良いが、そういう断りなしに「記憶」と「差当りの調べ」によるのに、何だか自信満々に書いたような(故に読者には充足感を与え本人もやはり満足しているかのような)文章になると、どうも私は落ち着いて読んでいられないのである。(以下続稿)