瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

祖母の遺品(07)

・若山家の関東大震災(6)竹内久雄と奈良家
 登場人物が少々増えてきたところで、少し考証を試みて置こう。――以前であれば、Google での各種検索、公立図書館や大学図書館で下調べを重ねて、国立国会図書館に行って見当を付けて出納してもらっては少しずつ詰めて、もちろん1日では終わらず通い詰めることになったのだが、国立国会図書館デジタルコレクション、そして全文検索機能によって大幅にその手間が省けるようになってしまった。
 前回紹介した祖母の母方の叔父・竹内久雄の書簡だが、背景が分かっていないと十分に解読出来ないと思ったので、少し調べて見た結果を報告したい。
 佐藤歯科医院と太田十三男についても触れたいところだが、これはもう少々調べ足してから追加することにする。
・『日本醫籍録』第二版(大正十四年八月五日印刷・大正十四年八月十日 第一版發行・大正十五年十二月二十日 第二版發行・定價 上製金參拾五圓/並製金貳拾五圓・醫事時論社)は2分冊らしいのだが、白黒のマイクロフィルムに拠るらしい国立国会図書館デジタルコレクションでは装幀がよく分からないため各冊を何と呼称してあるのかが分からない。1冊めに奥付なく、2冊めにも扉があるところから最初から2分冊で刊行されたことは確かなのだけれども。かつ、通しの頁付がないので総頁数も示しづらい。「二、醫籍本文」に全国の医者1人1人を道府県ごとに紹介するが、道府県ごとに頁付があるのである。
 ここに「竹内久雄」の名が見えることが分かったのも国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索機能のおかげである。2冊めは「二、醫籍本文」のうちでは「齒科醫師之部」のみを収録するが、「島根縣」五頁のうち、一頁(209コマ左)1段め(4段組)2行め「島根縣松江市」は二頁2段め11行めまでに25人をイロハ順に挙げているが、その11人め(一頁3段め13~18行め)に、

竹 内 久 雄 末次町卅九
竹内齒科醫院  明治廿九年七月廿六日生/名古屋市出身大正十一年日本齒科醫專卒/[登]八一四八號 卒後福島縣伊達郡桑折町/佐藤齒科醫院ニ勤務研究大正十三年十一/月現地開業 趣味劔道水泳謠曲音樂

とある。「廿」は下を繋げずに払っているが仮にこの字で代用した。かつ半角で下の数字と1字分の活字にしてある。明治29年(1896)7月26日生で津子よりは8つ年下の弟、当時満27歳で大正11年(1922)に東京市麴町區富士見町(東京都千代田区富士見)の日本齒科醫學專門學校(現在の日本歯科大学)を卒業、桑折町の佐藤歯科医院に勤務しながら開業資金を貯金しているところで関東大震災のため、9月2日の夜行で上京、10日に帰るまで東京の親戚や佐藤家の子女の安否を確認していたようである。佐藤歯科医院も竹内歯科医院も現存していない。
『日本醫籍録』は前年に第一版、その後も続刊されているが竹内久雄の名は前後の版には見えない*1
 この前後に時期を絞って検索してもヒットするのは殆どが同名異人である。「歯科新報」第14巻第12号(大正10年12月)及び第15巻第8号(大正11年8月)に見える「竹内久雄」は当人と思われるが国立国会図書館限定公開でネットでは閲覧出来ない。しかし、他に全く情報を得られない訳ではない。
満洲日報社臨時紳士録編纂部 編輯『満蒙日本人紳士録』昭和四年五月二 十 日印刷・昭和四年五月二十五日發行・正價金七圓也・満洲日報社(大連)
 二二三~二四九頁「な  之  部」、二二三頁(「な一」頁)下段30行め~二二四頁(「な二」頁)上段13行め「奈 良 正 彥」の見出しの下に「獨立守備歩兵第二大隊中/隊長步兵大尉正七位勳六/等、岡山縣苫田郡高田村/明二八年三月生」とあり、続いて2字下げで「妻  雪 子」に「明治三十二年一月生、三重、/竹内久雄妹」とあり、同じく「男  安 民  大九年五月生」とある。
 続く経歴等の本文を見て置こう。二二三頁下段37行め~二二四頁上段13行め、

 君は岡山縣士族軍人奈良鉞次郞の長男に生れ明/【二二三】治三十七年八月家督を相續す、大正四年六月陸/軍士官學校を卒業し同年十二月陸軍步兵少尉に/任ぜられ近衞步兵第三聯隊附大正八年四月任中/尉同十四年八月步兵大尉に昇任近衞歩兵第三聯/隊中隊長たり、昭和三年八月獨立守備歩兵第二/大隊中隊長に補せられ開原守備隊長として現在/に至る、寫眞撮影の趣味あり、夫人は松江高女出/身にして生花、琴、盆石を好む、家族は右の外長/女光代(大一〇年九月生)次女正子(大一五年七/月生)あり、尚亡父鉞次郞は陸軍歩兵少佐にして/明治三十七年八月旅順要塞第一囘總攻擊に際し/東鷄冠山北堡壘に於て戰死せる勇士なり(開原/陸軍官舍、電話四八〇番)


 まさに、祖母の三兄・三津雄が下宿していた赤坂の奈良家なのである。雪子(1899.1生)は母・津子(1888.3生)の末妹であろう。本籍地が「三重」で「名古屋市」出身の久雄(1896.7.26生)が大正13年(1924)11月に歯科医院を「島根県松江市」で独立開業した理由がどうも分からなかったのだが、妹の雪子がその10年くらい前に「松江高女出身」と云うことなので、何らかの縁があったものと思われる。
 すなわち、三津雄は叔母の家に下宿していたので、三聯隊に避難したのは、当時の叔母の夫の勤務先(1915.12~1928.8)だったと云う縁もあったのだろう。
 その叔母の夫・奈良正彦(1895.3.2~1973.6.4)は昭和20年(1945)6月10日に陸軍少将に任ぜられており、他に情報も少なくない。よって今はこれ以上追究しないで置く。(以下続稿)

*1:9月9日追記】前後の版には「齒科醫師之部」がないようだ。載っていなくて当り前である。