瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

祖母の遺品(06)

・若山家の関東大震災(5)
 9月1日付(02)に示した「若山津子宛大正十二年九月十九日付若山次郎書簡」に見える「桑折」の「御叔父さん」すなわち津子の弟の手紙である。
・若山善太郎津子宛九月廿三日付竹内久雄書簡
 封筒の表「朝鮮羅南本町陸軍官舎/若山善太郎様/御内」消印の日付は読めない。
 封筒の裏「〆九月廿三日/福島縣桑折町/佐藤歯科 竹内久雄」日付の上に「南 羅/12.9.30」の配達局の消印。

封書の表と便箋
封書の裏と便箋
便箋1枚め
便箋2枚め
便箋3枚め

 1枚め、上左「No.1」上右「129 23夜」、右欄外「十五日附兄さん姉さんからの御手紙は昨廿二日午前難有拝見致しました。/   佐藤さんよりもよろしく申出でられました」とある。

御三人東京に残して遠くへ御出でになって間もなく前古未曽有大災/害が生ずるなんて夢にも思ひませんでしたね詳報ある迠はどん/なにご心痛なさいましたか深く御察し申上げます幸いに御三人共/家も身も無事で有りました事こんな喜ばしい事有りません/兄上様姉上様方にては名古屋よりの電報や次郎ちやんの御手紙や/樋口兄上よりの電報に手紙や私の電報などで只今ではやっと大安/心なさいました事と存じます私が二日の夜行で上京し東京の/皆様の状況等を記した手紙も最早御覧になった事と思ひ/ます私は十日朝帰桑致しましたが当地からは一週間程しても/東京方面に手紙が届くやうになりません漸く比次参る/やうになりました帰桑後東京からの初めての便りは奈良から/受けましたその端書によると三津雄さんは勿論奈良一同元気/【1枚め】そして去十六日麻布区笄町七十九に移轉した由が記してあり/ました暫く此処に落付くとありました其他の事は東京か/ら知らせがありませんから解りませんが一彦君も次郎君も同じく/私が東京へ見舞い行って會って来た時のやうに元気に暮して/見える事でせう一彦君次郎君に會た折には為替は不着/のまゝでしたよ地震は九月一日午前十一時五十八分に起たのでし/たからどうなりましたか心配ですが只今は届いてゐるかも知れま/せんが如何ですか
姉さんからの御手紙は今夜(二十三日)樋口の姉上の方に送りませう/すれば樋口から何れ便りがありませう御地へ.
此間近藤叔父上より便りがありまして横須賀の太田十三男さ/んの留守宅の事が認めてあり二女(和子様とやら)が圧死なさ/【2枚め】れ其他家族微傷と云ふ事でした御気の毒でなりません何しろ/横須賀横濱は震害の激しかった所ですものほんとに天災とは/云へうらみ多い事です其当時十三さんは航海中でおいでゞした/どんなにか心配なされた事でせうね
次に当家佐藤さんでは月島にみえる娘さん両人身体だけ無事/全部やけてしまひ息子さん三人のお住ひの家は全燒やはり/体だけ無事なのです上野の(私が当地へ来る時お世話になった)/石垣先生の家も燒けて先生等は仙台へおいでになりました/私も貯金をし始めて喜んでゐましたが思ひもよらない事が/起て又駄目*1になりました然し又コツ〳〵努力/致します 今日はこれにて失礼致します又東京より何か/知らせがありましたら御報知します  さよなら


 そして左欄外に「兄上様/姉上様」と並べて1字空けて「皆様によろしく」7字分くらい空けて「久雄」とある。
 固有名詞は中々読みづらい。『くずし字解読辞典』を掘り出して置かないといけない。無理に読まなくても良かったのだが、まぁぼちぼち、こんな記事を後から修正したところで誰も文句を云わぬだろうから翻刻の追加・訂正をして行くつもりである。(以下続稿)

*1:線を引いて上欄外「(災害には/関係ありま/せんが/見舞金や/上京費用/でね‥‥)」。