石角春之助 編輯「江戸と東京」は近隣の市の図書館にある復刻版を初め、第一冊と第四冊を昨年の9月下旬に借り*1、10月上旬に第二冊と第三冊を借りて2週間ほど全4冊揃えて眺め、それから10月20日に第一冊と第四冊を返却したのだが、序でに書架にて関連しそうな本を漁っているうち、復刻版の編者の1人が著した次の本を目にして、手に取って、そして「おやっ」と思ったのだが、当時は祖母の蔵書の整理とともに、ひょんなことから関心を持った道了堂についての資料を蓄積するため、八王子市の郷土資料を借りて、書籍の情報が不確かでかなり怪しげな情報がネット上に散見される大和田刑場跡や首なし地蔵についてのメモも序でに取っていたから中々「江戸と東京」までは手が回らず、結局何もしないまま11月上旬に第二冊と第三冊、中旬に次の本を返却したのであった。
・佐藤健二『浅草公園 凌雲閣十二階――失われた〈高さ〉の歴史社会学』2016(平成28)年2月15日 初版第1刷発行・定価4200円・弘文堂・415頁・A5判上製本
・11頁(頁付なし)「第一章 塔の視覚と想像力――浅草公園・十二階凌雲閣」の扉で、裏は白紙(以下各章の扉同じ)。
13~17頁「一 思い出となればなつかし――凌雲閣を見上げつつ」
18~28頁14行め「二 「エレベートル」を以て縦覧人を昇降し――高みからの見物」
28頁15行め~49頁「三 昔見し凌雲閣の百美人――写真による比較と選別」
50~54頁3行め「四 垂直に立ち上がった煉瓦街――勧工場という商品空間」
54頁4行め~60頁10行め「五 十二階は始末におえなくて――高塔の黄昏」
60頁10行め~71頁15行め「六 どこの魔法使いが建てましたものか――俯瞰と仰望と望遠鏡」
71頁16行め~77頁「七 空間の想像/都市の表象――虚焦点としての十二階」
・79頁(頁付なし)「第二章 民間学者としての喜多川周之」の扉。
81~84頁14行め「一 ある郷土史家の死」
84頁15行め~107頁13行め「二 十二階崩壊以前――大震災までの少年の日に」
107頁14行め~150頁3行め「三 十二階崩壊以後――石版画工としての修業から」
108頁14行め~124頁2行め「(一)蒐書趣味の形成と徒弟修業」
124頁3行め~131頁10行め「(二)職人としての目と腕の熟練」
131頁11行め~137頁13行め「(三)文学運動への参加と出版」
137頁14行め~150頁3行め「(四)研究・蒐集仲間たちとのネットワーク」
150頁4行め~167頁6行め「四 方法としての地図――資料の空間の見取り図」
167頁7行め~171頁「五 民間学の視点から」
・173頁(頁付なし)「第三章 「十二階凌雲閣」問わず語り」の扉。
175~189頁7行めまでが前置きで、189頁8行め、3行取り中央揃え「――――――― * ―――――――」で区切って、9行め、明朝体太字2行取りで「喜多川周之「十二階凌雲閣」問わず語り」と題し、以下インタビュー風の、189頁6~7行め「‥‥テープ起こしそ/のままではなく、ある意味で架空の、再構成された「聞き書き」‥‥」が始まっている。
191~205頁「一 浅草寺奥山における「公園」の誕生」
206~215頁「二 浅草公園の「新開地」六区の開発」
216~230頁2行め「三 凌雲閣が建てられる――登高遊覧施設の系譜」
230頁3行め~245頁「四 凌雲閣の建設――基礎をつくり煉瓦を積み上げる」
246~261頁15行め「五 エレベーターと美人写真投票と自殺者」
261頁16行め~264頁「六 関東大震災と十二階凌雲閣」
・265頁(頁付なし)「第四章 十二階凌雲閣の記憶と記録」の扉。
本文2段組で267~394頁。編年体で凌雲閣に関する新聞・雑誌記事の原文を引用紹介、所々に佐藤氏の解説文を挿入。
・396~407頁「喜多川周之 著作および活動の目録」
・408~411頁「あとがき」
Amazon のレビューは1件だけ「Amazon カスタマー」として「★★★☆☆ 研究成果のまとめ/2022年1月3日に日本でレビュー済み/Amazonで購入/凌雲閣十二階よりも、研究成果にフォーカスを当てたような内容です。」とある。確かに「凌雲閣十二階」の詳細を知りたい人には、第二章は不要だし第三章と第四章は、第一章と纏めて欲しかったところだろう。
しかしこれは意図した構成なので、その辺りを説明したのがこの「あとがき」である。冒頭部を抜いて置こう。408頁2~9行め、
いささか風変わりなスタイルの書物になった。
第一章は首都東京において失われた高塔のモノグラフィックな分析、第二章は民間学者のしごとと研究とを論じ、第/三章が浅草公園をめぐる聞き書きの再構成で、第四章では社会にのこされた十二階の記録を集成している。スタイルが/異なるそれぞれの章の底にあるのは、三〇年以上も前に学びはじめたときの宿題の感覚である。この「あとがき」でそ/の経緯を論ぜずに、第三章のはじめに解題として述べているのも、すこし破格かもしれない。しかし一冊の研究書であ/る。それぞれの章の試みのいわば「虚集点」とでもいうべきところに、私自身は写真や版画でしか見たことがない「凌/雲閣」が立ち、組織人としては「官学アカデミズム」に属している私自身の研究のいとなみとも、どこかでつながって/いるにちがいない「民間学」が置かれている。
私は、このような成立の事情を明かした文章を探して、そこから読む癖があるから良いが、頭から読んで行った場合、確かにこの「風変わりなスタイル」に困惑するようなことにもなるであろう。「あとがき」ではなく「はしがき」にて、予め説明して置くべきだったのではないか。それから第二章と第三章の主役である「民間学」と「喜多川周之」が、標題・副題から全く窺われないのも確かに不親切である。副題に「民間学」と「喜多川周之」の両方もしくはどちらかでも示して置くべきだったのではないか、と愚考するのである。
以下、各章の原型となった文章や意図が説明されているが、これらは必要に応じて触れて行くこととしよう。
・415~412頁「索引」
左開き左右2列、411頁6~7行め「‥‥。資料性の高い部分には検索用の便宜が/必要だろうと、第三章の「問わず語り」と第四章のみを対象とした索引を作成した。」とあるように、本書全体の索引ではない。(以下続稿)
*1:何冊かにわたる雑誌の復刻版を全て一度に借りるのは大変なので、まづ復刻の事情を説明した文章のある可能性が高い最初の1冊、そして解題や索引がある最後の1冊を借り、色々と見当を付けた上で全冊、もしくは必要な記述のありそうな何冊かを借りるようにしている。