・エロス堂書店の広告
復刻『江戸と東京』第四冊の佐藤健二「解説3◉『江戸と東京』瞥見――巻頭言と広告を読みながら――」の、370頁上半分を使って掲出されている「表3 広告掲載回数」には、掲載回数の多い「広告主体」が15件挙がるが、うち10件めに「エロス堂書店 (浅草)」があって「掲載回数(全28冊中)」は「13」である。なお9件め「カフェー・イマハン (浅草)」は「13(♯17)」である。この「♯」については表の下に「 ♯ は,一冊のうちに複数広告を出しているケースもあるので,のべ回数を示す。」との註記がある。なぜカフェー・イマハンを引いてわざとこの註記に言及したのかと云うと、エロス堂書店も「12(♯13)」と表示するべきだからである。
以下、番号を打ってその広告を見て行こう。各号の発行日と復刻版での収録位置などは9月12日付(01)に纏めて置いたので、ここでは省略する。
①第一卷第一號57頁、右半分(11行)は2段組で左半分12行は囲みの「俳優ゴシップ」で3段組、その囲みの最後、下段左5行分を取って太線で囲って、中央下寄りにやや大きくゴシック体で「エ ロ ス 堂 書 店」、その右にやや上寄りに明朝体で「新 刋 書 籍 雜 誌」左に下に寄せて明朝体で「淺草千束二丁目通り」と添える。
・第一卷第二號には広告なし。
②第二卷第一號41頁下段(3段組)左8行分を線で囲って中央下寄りに大きくゴシック体で「エ ロ ス 堂 書 店」、その右、1行分空けて上寄りに明朝体でやや大きく「新刋書籍雜誌」、左にも1行分空けて下寄せ、明朝体でやや大きく「淺草千束二丁目通り」と添える。
③第二卷第二號45頁の4段め(4段組)全体を太線で囲い、細い線で3分割しているが、その左の枠に、まづ上寄せ「新刊書籍雜誌」2行弱空けて下寄せ「ヱ ロ ス 堂 書 店」1行分空けて下寄せ「淺 草 千 束/二 丁 目 通 り」。
④第二卷第五號41頁下段(3段組)左10行分を線で囲って、まづ上寄せで「新刋書籍雜誌」、2行半空けて下寄せで「ヱ ロ ス 堂 書 店」2行弱空けて下寄せ「淺 草 千 束/二 丁 目 通 り」。なおこの41頁は「「江戸と東京」を後援する娯の會」なのだが、昭和11年(1936)2月27日に浅草仲店タツミ楼で開催されたこの会の「出席者の主なるもの」など29人の名が挙がるが24番め、上段15行めに「馬上義太郎」の名も見え、中段に挙がる指名により講演した6名のうち3番め、4~5行めに「翻譯家の馬/上義太郎」と見えている。
⑤第二卷第七號31頁下段(3段組)全体を線で囲い、さらに縦線で右13行分と左9行分に2分割する左に、まづ上寄せで「新刋書籍雜誌」、2行半空けて下寄せで「ヱ ロ ス 堂 書 店」2行弱空けて下寄せ「淺 草 千 束/二 丁 目 通 り」。
⑥第二卷第八號30頁下段(3段組)左6行分を線で囲って、まづ上寄せで「新刊書籍雜誌」、1行弱空けて下寄せで「ヱ ロ ス 堂 書 店」半行分空けて下寄せ「淺 草 千 束/二 丁 目 通 り」。以下しばらく同じ組み方、大きさ。
⑦第二卷第十號9頁下段(3段組)左6行分を線で囲って、まづ上寄せで「新刊書籍雜誌」、1行弱空けて下寄せで「ヱ ロ ス 堂 書 店」半行分空けて下寄せ「淺 草 千 束/二 丁 目 通 り」。
⑧第二卷第十號39頁下段(3段組)左7行分(小さい活字のため)を線で囲って、まづ上寄せで「新刊書籍雜誌」、1行弱空けて下寄せで「ヱ ロ ス 堂 書 店」半行分空けて下寄せ「淺 草 千 束/二 丁 目 通 り」。
⑨第二卷第十二號17頁中段(3段組)左6行分を線で囲って、まづ上寄せで「新刊書籍雜誌」、1行弱空けて下寄せで「ヱ ロ ス 堂 書 店」半行分空けて下寄せ「淺 草 千 束/二 丁 目 通 り」。
⑩第三卷第一號13頁中段(3段組)左6行分を線で囲って、まづ上寄せで「新刊書籍雜誌」、1行弱空けて下寄せで「ヱ ロ ス 堂 書 店」半行分空けて下寄せ「淺 草 千 束/二 丁 目 通 り」。
⑪第三卷第三號23頁下段(3段組)左6行分を線で囲って、まづ上寄せで「新刊書籍雜誌」、1行弱空けて下寄せで「ヱ ロ ス 堂 書 店」半行分空けて下寄せ「淺 草 千 束/二 丁 目 通 り」。
⑫第三卷第四號51頁下段(3段組)左6行分を線で囲って、まづ上寄せで「新刊書籍雜誌」、1行弱空けて下寄せで「ヱ ロ ス 堂 書 店」半行分空けて下寄せ「淺 草 千 束/二 丁 目 通 り」。
⑬第三卷第六號15頁下段(3段組)左6行分を線で囲って、まづ上寄せで「新刊書籍雜誌」、1行弱空けて下寄せで「ヱ ロ ス 堂 書 店」半行分空けて下寄せ「淺 草 千 束/二 丁 目 通 り」。
・第三卷第七號と第九號には姉の店「めうがや」の広告が出ている。
このように第三巻第六号まではエロス堂書店の広告がほぼ毎号出ており、第二巻第十号には手違いか、2箇所に出ている。そして第三巻の残りの2冊には馬上氏の姉の店の広告が出ていたのだが、「新文化」と改題復刊されて以降はどちらも出ていない。
しかし、凄い名前の本屋である。写真は残っていないだろうか。(以下続稿)
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義理の祖母の蔵書・遺品整理について当ブログで報告することを、どうも家人は好もしく思っていないようなので*1、ちょっと気を変える寸法で以前から気になっていた本誌を取り上げたところが思わず長くなってしまった。いつものことだが。で、こんなことをしている間に涼しくなって来て、これまで古書店・新古書店に本を持って行く度に、しかも幾らにもならないのに大汗を掻いて、着替えて水風呂に浸かったりなぞしていたのだが、流石にもう大汗は掻かないだろう。片付かないし、もうそろそろそちらに戻ることとしよう。
*1:祖母は何者でもないし、特に珍しい蔵書がある訳でもない。また privacy の問題はありはしないか、と云うのである。しかし、何者でもないからこそ純粋に興味の赴くままに買い溜めた蔵書への興味があるので、かつ、祖母自身には何の事績もないが、陸軍中将の娘で、長女は翻訳家、係累を辿ると海外に逃亡した海軍軍人や著名作家に住居を貸した元男爵等も絡んで来る。かつ、多くの資料を(手放した物、失った物も少なくないようだが)死ぬまで保管していた。今後の保管は覚束ないが、せめて記録には残し、何かの役に立つよう若干の考証を試みて置きたいのである。もちろん余りにも不名誉なことまで曝す必要はないだろうが、関係する人の殆どが死んでしまった今、このまま永久に葬られるよりか何かの機会に光が当たるようにして置いた方が良いと、私は考えるのである。