瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(354)

・松原寛 編輯「新生活」第四卷 第六號六月號(昭和十四年五月 五 日印刷・昭和十四年五月十八日發行・誌代 貳拾錢・新生活社・66頁)
 27頁、吉田三代治「都市教室(自由律短歌)」最後の7首めが、

TOKYO 燻製の空の知性 ヒラヒラ赤マントなど 羽搏いてゆく

である。これは昨日見た川柳よりは分かりにくいが、2月下旬の東京での赤マント流言を踏まえたものであろう。
 吉田氏は「新生活」第四卷 第五號五月號(昭和十四年四月 五 日印刷・昭和十四年四月十八日發行・誌代 貳拾錢・新生活社・78頁)36~37頁の見開きに「農村教室(自由律短歌)」8首を寄せている。これらを読むと小学校の教員であったようだ。
 26頁下段左の囲みに「原 稿 を 募 る」として、縦線で仕切った次の枠に、

一、資 格 『新生活』の讀者に限る
一、種 類 小説・詩・エツセイ・論文・隨筆・短歌
一、枚 數 制限なし
一、締 切 毎月二十日

とあり、また縦線で仕切った最後の枠に、

御遠慮なくどしどし寄稿して下さい。優秀なものは本紙へ掲載/することに致します。
                新 生 活 編 輯 部

とある。「どしどし」には傍点「ヽ」を打つ。
 但し、66頁の次、裏表紙の裏にある「編輯後記」の2段め11~20行め

 從來編輯局には會員の投稿が山/積するといふ状態である。詩歌・/隨筆の類は兎も角として論文・創/作の類に到つては、どれもこれも/二十枚三十枚の長さを下らないも/の許りである。まことにその熱心/さには敬服すべきものがあるが、/いざ編輯會議にかけてみると、な/か/\おいそれとは掲載出來にく/ひ。‥‥

云々とあって、掲載は簡単ではなかったらしい。編輯後記の最後(3段め末)には「(石戸根)」とある。
 ただ、この「新生活」と云う雑誌、国立国会図書館には他に第四卷第二號二月號(昭和十四年一月 五 日印刷・昭和十四年一月十八日發行・誌代 貳拾錢・新生活社・74頁)と第四卷第四號四月號(昭和十四年三月 五 日印刷・昭和十四年三月十八日發行・誌代 貳拾錢・新生活社・72頁)の合計4冊しか所蔵されておらず、大学図書館等にも所蔵されていないので実態がつかみづらい。編輯の松原寛(1892.7.1~1957.9.12)は初代日本大学芸術科長なので、その辺りから調べてみるべきであろうか。(以下続稿)