瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森満喜子「濤江介正近」(09)

 12月15日付(07)の続き。
 57頁18行め~58頁8行め、

 時代は安政から万延、文久と年号が変り、ペルリ来航に始まった幕末の世相は大きくゆれ動い/ていた。刀鍛治の間でも剣術を習う者が多くなって来た。世情不安のため、自己防衛の手段でも/【57】あるが、男として一剣をもって世に立ちたい。とまるで戦国時代さながらの希望を夢のように広/げる者もいて、武州の素人道場はどこでも盛況であった。
 下原の庄屋の家にも納屋を改造した道場があって、天然理心流の剣術師範が江戸から回り稽古/に来た。月に一度、三、四日滞在して教え、又つぎへ行く。師範の名は近藤勇。年はまだ三十前/で、夏でも稽古日には柿色の羽織を着て汗をしとどに噴き上がらせながら、キチンとやって来る。/稽古のつけ方も親切丁寧であった。細い甲高い、腹の底にピーンとひびくような掛声が勇の口か/ら発せられると、濤江介は熱した鉄に焼きを入れる時の爽快さを感じて思わず胸が鳴った。濤江/介も束脩*1を送ってこの近藤勇と師弟の間柄となった。


 但し濤江介は稽古を付けてもらっても「逃げ回」るばかりなのだが、それでも「几帳面に」道場に通う。
 59頁2~3行め、

 文久二年の春、濤江介がいつもの通り稽古日に道場に行くと、江戸の師匠はもう着いていたが/近藤ではなかった。まだ前髪を落としたばかりのような若い男である。


 濤江介は4行め「どこかで見たことがある」と思う。そしてその男に挨拶されて8行め「まともにその眼を見た時」、11行め「澄んだ眼はあの時の小僧だ」と思い出すのである。12~13行め「いつか、ほら、俺の鍛冶場に来て鍬を打つのを見ていた小僧だろ。たしか、宗次郎、とか言っ/たな」と14行め、自分の「幼名」を言われて、16行め「思い出しました。貴方のお顔から」と沖田総司も思い出すのである。
 武蔵太郎安定も八年前に一度会っただけの濤江介を覚えていたことになっていたが、それは顔に特徴があると云う設定をしているからで、48頁9~10行め、

 長い顔、大きな鼻、下唇が厚くてすけ口、眼と眉はひどく下がっていて笑うときゅっと上が/る口元と共に奇妙な愛嬌をかもし出す。‥‥

と、8行め「濤江介の異様な顔」は説明されていた。一言で云うと59頁1行め「馬面」である。
 60頁4行め「試衛館道場の師範代で、免許皆伝の腕前」と云う、19行め「沖田の竹刀は」近藤勇以上に「容赦なく」逃げ回っても61頁3行め「追って打ちまくる」。15行め「稽古が終ると座敷で酒肴が出る」その席で、19行め「父は白河藩士なんですが江戸詰だったから私は江戸で生まれました」と聞いて、62頁1行め「これは奇遇、私も白河も出なんだ」と応じる。それから初対面のときの会話を思い出して姉のことを尋ねると、6行め「姉は今も日野におります」と答えている。7~11行め、

 酔いが回ったのか、沖田の眼が眠そうになって来た。年はまだ十九歳という。この若さで師範/代とは――濤江介は再び、感動ともいえる衝撃を受けた。
 それに引きかえ俺は――どうやら一人前の刀鍛治になったとはいうものの何かもっと華やかな/生活をしてもいいはずだ――
 下原村の武蔵太郎方の地味な食客生活にそろそろ飽きが来ていた。

と、ここで初めて森氏は沖田総司文久二年(1862)に「十九歳」すなわち天保十五年(1844)生と設定していることが確認出来る。
 12行め、その「春の終り」に濤江介を、13行め「江戸日本橋で刀を商っております尚武堂新兵衛と申す者」が訪ねて来る。63頁10行め「五郎正宗鍛之」と刻んだ12行め「偽物を作れ」と云う要件で、15行め「三十年から刀の目利きの年期」と云う尚武堂に「貴方のお作は正宗に匹敵する」と持ち上げられ、かつ謝礼が64頁1行め「五十両」と言われた濤江介は、4行め「金は欲しい。刀工として一家を構えるのにもまず金がいる」と「考えこん」で、6行め「手付け」の「十両」を受け取ってしまう。そして9行め「半月ののち」再び訪ねてきた尚武堂に「大刀」を渡して12行め「残金の四十両」を受け取る。
 これを元手に漸く小比企に移り住んで「一家を構え」尚武堂と組んで偽物作りに邁進することになるのかと云うとそうではなくて、濤江介は64頁18行め「翌文久三年の二月」になっても相変わらず、19行め「武蔵太郎の仕事場」にいる。大金を手にしながら「飽きが来ていた」はずの「食客生活」を継続しているのが、どうにも解せない。こういう後ろ暗い大金を手にしたら疑心暗鬼になって、直ちに武蔵太郎の許を辞去しても良さそうなものだが、――いや、周囲に気付かれずに「半月」で「大刀」を仕上げられるとは思えない。そんなものを拵えた直後に姿をくらましては、何か良からぬ仕事を請け負ったのだろうと思われそうだ。
 大金を手にした直後の思いは、13~17行め、

‥‥、彼にとって生まれて初めての大金である。懐に入れるとズシリ、と金包みの重さが腹にこ/たえ、肌が冷えるような感覚がした。濤江介はそれを片手でしっかりと押さえて家に帰った。金/の実在を娯しむ気持が濤江介を浮き立たせていた。偽物を作った疚しさは消え、万一発覚した時/の危惧さえ感じなかった。自分の技がこういう大金になるとは知らなかった――という驚喜が彼/の頭脳を満たしていた。

と説明されてはいた。しかし、時間が経てば別の、色々な思いが芽生えそうなものだし、やはり1年近く経っているのに「食客生活」から「一家を構える」方向に動いていないのが不審である。少々展開がもたついているような印象になってしまう。
 さて、ここから事態が動き始めるのだが、それは18行め「血相を変えた若い男が下原にやって来」て19行め、濤江介を「発見すると、いきなり刀を抜いて」65頁2行め「親のかたき」と言って、64頁19行め~65頁1行め「斬りかか/った」ためで、10行め「男は二、三人に押さえられて身動きもできなくなりながら」事情を説明する。18行め~66頁6行め、

 彼の父は浅草で小間物屋をしていたが、伜をぜひ武士にさせたくて、店を売り家財を売り払っ/て千両用意し、ようやく御家人の株が買える段取りとなった。先方へは金の他に引出物として何/【65】か品物を贈らなければならない。その為に更に百両出して尚武堂から五郎正宗を手に入れた。と/ころが相手の武士はこの刀を一瞥するなりたいへん立腹して、
「今出来のこういう偽物を持参して人をあざむくとは無礼千万」
 と、今にも首を打ち落としそうな勢で刀を突き返し、御家人株の話も壊れてしまった。息子の/出世にすべての夢を賭けていた父はその日のうちに首を吊って死んでしまったという。息子は早/速、刀の出所を調べ、尚武堂をきびしく責めてついに口を割らせたのだ。


 9行め「押さえられた手をふりほどい」た若者に再度斬りかかられそうになったので逃げ出す。この辺りは近藤勇沖田総司との稽古の場面と同じような按配で、15行め「長身で足の長い」濤江介は「駆けに駆け」て逃げおおせるが、18行め「もう下原へは帰れない。彼が偽物を作ったことが発覚してしまったからだ。/それにあの男に住所を知られてしまった以上、又いつ斬込まれるか分からない。」と云う訳で、67頁1行め「江戸へ」向かうのである。(以下続稿)

*1:ルビ「そくしゆう」。