瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森満喜子「濤江介正近」(3)

 昨日の続き。――『沖田総司抄』は短篇小説8篇を収録するが、3篇め(47~96頁)が「濤江介正近*1」である。「あとがき」はまづ244頁2~3行め、

 人間は一生のうちに様々な人との縁ができるものである。沖田総司と彼を廻る人びとについて/書いてみた。

として、以下収録順に自作解説のように短いもので1行、長いと9行、説明を加えている。
 244頁8~12行め、

「濤江介正近」は実在した幕末の刀工で、この記述に当り、貴重な資料をお教え下さった村上孝/介氏、名和弓雄氏に深甚の謝意を捧げたい。幕末という混乱期に刀の需要は激増し、その価は暴/騰した。それに乗じて濤江介のような刀工が出現したこともうなずけるのである。彼は水無瀬*2河/原で偽刀作りの罪によって八王子千人同心から斬首された。刀工でこういう最期をとげた物は珍/しく、これも幕末の世相が生んだ小説よりも奇なる事実であろう。


 この小説の存在、そして名和氏と村上氏に対する謝辞が「あとがき」にあることは、東屋梢風のブログ「新選組の本を読む ~誠の栞~」の、2015/11/04「名和弓雄『間違いだらけの時代劇』」によって知った。
 名和氏との出会いは11月22日付「大和田刑場跡(23)」に引いた名和氏の著書『続 間違いだらけの時代劇』の「沖田総司君の需めに応じ」に述べてあることも東屋氏のブログによって知った訳だが、名和氏が「五十年ほども昔」とするその時期が実際には「二十年ほど昔」の昭和48年(1973)とすべきことは11月23日付「大和田刑場跡(24)」に考証した。
 この「あとがき」の濤江介正近の最期についての説明は、村上孝介『刀工下原鍛冶』に合致する。(以下続稿)

*1:ルビ「なみ えの すけ まさ ちか」。

*2:ルビ「み な せ 」。