瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(79)

 寝かせて置いたものに本格的に(と云うほどでもないが)取り組んでみると色々と課題が見付かるもので、昨日の続きを上げるべきなのだけれども、週明けに図書館で幾つか確認した上で続けることにして、今回は、先月から借りている次の本について、返却期限も迫っているので差当り片付けて置くことにした。
井出孫六 編『日本百名峠』昭和五十七年五月一日 初版発行・定価 三、八〇〇円・桐原書店・362頁・B5判上製本

・新装版『日本百名峠』平成十一年八月一日 初版第一刷発行・定価1,800円・メディアハウス・365頁・A5判並製本 2頁(頁付なし)中扉の裏に小さく明朝体縦組みで3行、

本書は、桐原書店のご厚意により『日本百名峠』(昭和五十七年五月一日初版発行)を底本としました。/峠の現況や観光情報は初版発行当時と異なる点もありますが、本書の歴史的価値を重視し、そのままの/内容で新装版を発行することにいたしました。(編集部)

とあり、364~365頁、井出孫六「新装版あとがき」は最後に、365頁7~10行め、

 メディアハウスの御好意で新装版が送りだされることになったが、「周/辺案内」を含めて初版当時のままとしたのは、一九八〇年の日本列島の峠/を記録としてとどめたいという考えからでもあった。
 
 一九九九年六月一〇日   編者 井出孫六

とあるが「初版当時のまま」或いは「そのままの内容」であるのは本文に限るので、判型が小さくなっていることに伴う写真の省略・差替えは、全面的に行われているようなのである。
 当ブログとしては、このような改版が行われている場合、何処がどう違っているのか点検した上で使用するのを建前として、随分要らぬ苦労を重ねて来たのだが、本書の初版・新装版の比較はかなりの難物で作業量も多くなるはずで、目下、落ち着いて取り組む余裕がなく、このままでは例によって何もやらぬうちに返却することになりそうだ。
 そこで今回は開き直って*1初版・新装版の比較は主題たる道了堂・鑓水峠に関わる箇所に止め、内容については初版刊行の事情などに限って簡単に見て置くことにしよう。
 新装版はカバー表紙に5つ、カバー背表紙に1つ、カバー裏表紙に3つ、カラー写真を掲載している。私の見た本はカバー折返しを切除しているので、折返しにも写真があるかどうかは分からない。
 初版のカバーの写真は、カバー表紙の1つだけである。しかし、1~16頁と161~176頁の合計32頁、カラーのグラビア頁があって、カラー写真の数・量は初版の方が圧倒的に多い。
 その、11頁左上に「御殿峠  鑓水・道了堂への「絹の道」」とのキャプションを下に添えた、新緑の時期、木漏れ日の差す絹の道の写真が掲載されている。
 このキャプションからも分かるように「百名峠」に選ばれているのは鑓水峠ではなく西隣の御殿峠である。
 初版25~28頁「目 次」新装版10~13頁「目次」には、初版26頁上段9行め・新装版11頁上段13行め「㉚御殿峠」とあって、初版116~118頁新装版109~111頁に掲載されていることが分かる。
 レイアウトはかなり変わっている。上下2段組であることは同じだが、初版は1頁めの左上に横長の略地図(4.8×8.5cm)を掲出し、その下に本文を2段に組む。そして略地図と上段の本文の右の余白に、まづ右上に「◉日本百名峠◉」右下に大きく灰色で「30」と番号を示して、その間を縦線(9.8cm)で繋ぐ。そして上部やや左寄りにごく大きく明朝体太字で「御殿峠」と峠の名称を示しその1文字めの右・上寄りにごく小さく「東京都」と都道府県名、その下にもやはりごく小さく「[ごてん]」と読みを添え、左下にやや大きく明朝体太字で「井出 孫六」と執筆者名を示している。新装版では1頁めの上段、冒頭11行分を取って、1行め「日本百名峠・30」2行弱空けて「東京都」、2行分使って大きく明朝体太字で「御殿峠」下にゴシック体で「[ごてん]」と添える。そして2行弱空けてやや大きく「井出 孫六」と全て上に詰めている。これら9行分の下部に略地図(1.9×4.3cm)が文字がかろうじて読める程度に縮小して収まっている。そして2行強空けて本文。
 初版の下段は他の峠では26行みっちり本文が入っていることが多いが「御殿峠」の場合は、題の下のちょうど9行分に写真がある。1行25字。
 新装版も「御殿峠」では、この11行分の下に写真がある。1段に23行、1行28字でそのうちの18字分を取って下左詰め、ゴシック体横組みで「御殿峠」とのキャプションを添えた写真を掲出しているが、これは初版にはない写真で、写真はこれのみである。
 次回はこの「御殿峠」項の写真と、道了堂に触れた部分について検討することとする。*2(以下続稿)

*1:投稿当初「、道了堂・鑓水峠に関わる箇所のみ見て置くこととする。初版刊行の事情なども、後日機会を作って紹介することとしたい。」としていたが「初版刊行の事情」には触れることになったので、以下を灰色太字のように改めた。

*2:次々回になったので見せ消ちにした。

道了堂(78)

 当ブログの記事は、ある程度材料が集まってから書くことが殆どである。そして、一応、何となく記事・資料の並べ方(流れ/構成)を考えて書き始める。しかし、書き始めてしまうと余力がなくなるので効果的な運びを考える余裕もなく取り上げてしまうことも多い。流れ・構成を考えて取り上げずに置いて、何となくそのままになっている材料も多い。現在調べを進めている道了堂以外にも、赤マント流言、白馬岳の雪女、信州の伝説集、青木純二の伝記など、かなり材料が溜まっているのだけれども、身体は1つなので如何ともし難い。
 Twitter で要点だけ、或いは現時点での見当だけでも小出しに書いてしまえば、簡単である。しかし、急に思い付いて書いたことは、風呂や寝床で思い付いた妙案と同じで、その程度の、急に思い付いたようなものでしかないと思っているので、どうも、そんなものを垂れ流そうと云う気になれないのである。
 もちろん、ブログであゝだこうだと文章を考えながら書いているから間違いが生じない訳ではない。若干マシになるかも知れない程度である。ならば、やはり気付いたことはその時点で Twitter でざっと概要だけ報告して行けば簡単なのではないか。しかしながら、ただでさえ毎日書くことにしていて拙速気味なのに、より拙速になってしまいそうだと思うのである。そんな訳で、Twitter「瑣末亭」の方はしばらく「ブログ告知限定」にして置く。
 それはともかく、それなりに遺漏なく考えたつもりでも、材料が増えれば、以前の、少ない材料で付けた見当を改めないといけなくなる。「過ちて改めざる、是を過ちと謂ふ」――間違うのは仕方がない。条件が変われば再考すれば良いのである。だのに、「過ちては改むるに憚ること勿れ」――別に憚っている訳ではないのだが、なかなか訂正を出せない。そこは Twitter を使うべきなのだろうか。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 さて、これまで馬場喜信の絹の道に関する本格的な著述はかたくら書店新書45『浜街道が最初で、それが法政大学地域研究センター叢書5『歴史的環境の形成と地域づくり』所収「浜街道《絹の道》―歴史的景観の発掘と史跡化―」で論文化された、と考えていたのだが、これは誤りで、明確に示されている訳ではないのだが、原形は次の本に示されていたことが分かった。
・歴史の道調査報告書 第四集『浜街道一九九六年(平成八)三月二十九日 発行・東京都教育委員会・前付+113頁・A4判並製本
・歴史の道 調査報告書集成 21『関東地方の歴史の道<11> 東京 22008年11月30日 第1刷 発行・定価28,000円・海路書院・481頁・菊判上製本
 451~453頁、服部英雄「関東地方の歴史の道調査報告書を再刊するにあたって」によれば、453頁4~5行め、

 貴重な成果を折り込んだ報告書であるが、官公庁の刊行物だから発行部数が少なかった。大きな成果を上げたにもか/かわらず、巷間にその存在は余り知られていないのはそのためだろう。‥‥

とあり、大学図書館にも揃いで所蔵されていないことを指摘し、9~11行め、

‥‥。もともとの刊行部数が少なかったため、インターネット『日本の古本屋』でも、おどろ/くほどの高価格になっているし、そもそも求める書を得ること自体むずかしい。このたびの復刊の意義はきわめて大き/く、これによって閲覧が容易になればと願っている。

とのことであるが『歴史の道調査報告書集成』も高価である。かつ、残念ながら『歴史の道調査報告書集成』は原本をそのまま再現している訳ではない。
 以下『浜街道』に即して見て置こう。『歴史の道調査報告書集成』は『集成』と略すこととする。
 まづ横縞の透かしの入ったクリーム色の扉があり、カバー表紙と同じ文字が縮小されて入る。中央やや下に江戸時代の版本か写本の、単色の絵を載せているのは同じだが、カバー表紙では山を描いたものだったのが扉では松並木になっている。
 本文はコート紙で、1頁(頁付なし)扉に〔編集委員〕3名と収録内容、2頁(頁付なし)は下部に横組みで国土地理院の地図複製の承認番号、3頁(頁付なし)「目 次」、5頁(頁付なし)は「浜   街   道」の扉で、明朝体縦組みで上部中央に大きく標題、右上隅に「歴史の道調査報告書 第四集」、左下にやや大きく「東 京 都 教 育 委 員 会」とある。ここからが原本を再録した部分で、原本では淡い水色の模造紙に刷られていた。
 原本の再録されていない部分、まず表紙だが灰色のやや厚い紙が使われており、表紙には同じ文字を標題をやや縮小して入れていた。標題を縮小しているのは、下部中央やや左から右に『新編武蔵風土記稿』の八王子宿の図(88~89頁に収録)の一部を青紫色で刷っているからで、背表紙にはないが裏表紙の左から中央やや右に掛けて続いている。他に文字は背表紙にゴシック体で上半分に「   歴史の道調査報告書 第四集  浜   街   道」とあり下部に明朝体でやや小さく「東 京 都 教 育 委 員 会」とあるのみ。見返し(遊紙)は白でやや厚く、続いて淡い水色の扉。
 原本は以下、しなやかなアート紙になり、しばらく頁付のない前付が10頁あるが『集成』は7頁(頁付なし)東京都教育委員会「序」、8頁(頁付なし)「例   言」、9頁と11~14頁(頁付なし)口絵写真、15~16頁(頁付なし)「目    次」となっている。
 なお『集成』の10頁(頁付なし)は9頁の写真の横組みの説明で、原本では9頁の写真はセピア色、すなわちカラー印刷だった。すなわち『集成』ではカラー刷は再現されていないのである。
 次の頁から原本には「―1―」と最下部中央に頁付があるが『集成』では「―1― 17」と、ノド側に『集成』としての頁付を添えている。
 村上直「あ と が き」の頁付は「―113― 131」で、当初16頁のズレだったのが18頁になっている。これは、原本では「―64―」と「―65―」の間に、黄緑色の模造紙に刷った「史  料  編」の扉が、頁付なしで挟まれていたのを、コート紙で81~82頁(頁付なし)に勘定しているからである。
 他にそのまま再現されていない箇所としては、52頁と55頁の間の折り込み地図が挙げられる。見開きでA4判5枚分、頁付なし。『集成』では69頁に左を上にして縦長に縮小して収め、全く文字は読めない。下に明朝体横組みで「この頁の拡大地図は巻末の封筒にあります。」とあり、抱き合わせて収録されている「甲州道中」「佐野川往還」とともに収められているが、普通紙(21.5×78.5cm)で単色刷、原本では朱色で入っていたルートが黒になっているのは、それでも分かるが、近隣の神社仏閣・石造物や史蹟等も朱で「●」にゴシック体算用数字で番号を添えていたのは、原本では黒で刷られている地形図の道路・等高線・市街地等と重なっていて若干読みづらかったのが、黒で重なってしまって読み得なくなっているところが幾つもある。
 105頁「一七、原町田村絵図写」は折込みでカラー印刷だったのが『集成』では単色刷で123~124頁に分割し、原本の、左下にあった頁付「―105―」を省き、いている。横に長かった(解説)を124頁に纏めている。
 107頁「一八、横浜周辺外国人遊歩区域図」も折込みカラー印刷だったのが『集成』では単色刷で125~126頁に分割、原本では、左下にあった頁付「―107―」を省き、(解説)を126頁に纏めている。なお、125頁右上に縦組みで図の題があるべきなのだが手違いで落ちている。65頁(『集成』83頁)に「史 料 目 次」があるから図名は分からなくはない。なお、これらの図を収録する88~107頁の部立ては88頁(『集成』106頁)には「Ⅲ 絵 図 の 部」、関東の「目次」(『集成』16頁12行め)とこの「史料目次」には「Ⅲ 絵図・写真の部」とある。
 『集成』は132頁(頁付なし)に奥付を載せるが、原本では113頁の裏は白紙でここまでがアート紙、そして次の、表紙見返しでは遊紙であった紙の裏側に奥付を刷っている。なお、表紙や扉には「東京都教育委員会」とあるが、奥付には「東京都教育委員会」の名称はなく「〈編集/発行〉 東京都教育庁生涯学習部文化課」とある。(以下続稿)