瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

飯盒池(11)

・日本の民話10『秋田の民話』一九五八年 七 月二〇日 第一刷発行・一九七八年一二月二〇日 第一七刷発行・定価一二〇〇円・未来社・308頁・A5判上製本

 本書には2020年3月13日付「日本の民話1『信濃の民話』(3)」に触れたことがある。日本の民話1『信濃の民話』第一刷では「斉藤・松谷他編」と予告されていたが、実際には「瀬川拓男・松谷みよ子共編」として刊行されている。
 297~308頁、瀬川拓男「秋田の民話について/――その採集と再話のこと」に、飯盒池に触れた件がある。『現代民話考』に繋がる考えが述べてあるので、今はその部分全体を抜いて置こう。

 さて、ここで本の終りに収めた明治以後の話にふれよ/う。これは現在から未来へつなぐ民話の、|一つの新しい/分野として、これからも研究してみたい。*1
 まず、男鹿の小学校へ放送局の大友氏と録音をとりに/いった時、老人からどんな昔話を聞いたか|を子どもたち/にたずねてみた。*2
 一人の子どもが得意そうにいった。*3【306下】
 「おれ、昔の戦争の話しなば聞いてら。」*4
 私はまた源平合戦か地方豪族の戦さの話しと思い、マ/イクをむけたらこうである。*5
 「アメリカの飛行機がいっぺとんでくると、大人も子/どももたべていた飯やめて穴の中さかくれた|と。んで飛/行機いねくなってから、また穴からでてきて飯をたべる/と、また飛行機がとんできたと。|それで昔はろくろくご/はんもたべられなかったと……。」*6
 すると一人の子どもが物知り顔でいったもんだ。
 「その穴はな、それなば防空壕というもんだと。」
 「んだ、んだ。おらもばばに聞いた」
と、それから子どもはにわかに元気づいてしゃべりだし/た。
 十年ひと昔というが、めまぐるしい近代化の中では、/ついこの間のことも急激に過去のものとなっ|ていく。ま/して明治ともなれば尙のことで、いわゆる明治以後のは/なしでも充分に一冊の本ができる。*7
 信濃の旅をした時もそうだった。
 演習にきた兵隊が飯盒をなくし、上官にせめられたあ/げく沼に身をなげて死んだ。それから今でも|雨が降ると/沼の底からハンゴー、ハンゴーと悲しい声が聞こえてく/る……。【307上】
 また、戦争のため多くの日本人が外地で死んだ。その/とむらいにからすが海をこえて外地へいっ|た。それで戦/争が終るまでからすの姿が見えなくなった……。*8
 つまり、信濃や秋田の旅でこれらの話しが明治以後、/次第に定着しつつあることを知ったわけだが、|ここで興/味のあるのは、江戸時代まで主たる伝承者が農民であっ/たのに、明治以後はその伝承者の主|体が広い層に広がっ/ているということ。おそらく、漁村、鉱山、山林等で労/働に従事する人々の中に、*9|私たちの想像をこえて新しい/民話が語られているのではなかろうか。そのことは労働/の共同性や集団生活のあり方にも伺えるが、例えばこの/本*10におさめた、とんちのしげじろうや|術つかいの徳次郎/の話しは、いまでも古い漁師の間でひろく語られている/もののほんの一部にすぎず、*11|この他、伝説化されつつある/英雄物語りや、怪談、笑話、ひと口ばなしはもう無数にあ/って、それ等の殆*12|んどが明治前後の実在した人物または/事件として語られている。科学の進んだ今日では一聞に/して|うそとわかる話しでも、ほんとうだといって老いた/漁夫はゆずらない。が、うそかまことかはぬきにし|ても、/昔の漁師はくそ度胸があって、とほうもないことをして/やったと、いまはトロール船にのる若|い漁夫が舌をまい/ている。【307下】


 この文章は、瀬川氏の遺著『民話=変身と抵抗の世界』にも再録されている。
 この本は昭和51年(1976)に「四六判上製函入 一七〇〇円」で刊行されたが都下の公立図書館に所蔵されているのは「カバー装 一二〇〇円」ばかりである。
・瀬川拓男『民話=変身と抵抗の世界<新装版>一九七八年四月十日 発行・¥1200・一声社・298頁・四六判並製本

 これは上製本の函らしい。上製本すなわち初版の発行日は示されていないが284~294頁、野村純一「解説」が「昭和五十一年九月二日」付で、295~298頁、松谷みよ子「あとがき」が「一九七六年 秋」付で、昭和51年の初版に、新たに加えたりしたところはないようだ。書影、並製本も同じ柄だけれどもカバー表紙の左端を茶色地にしてそこに明朝体太字白(クリーム色地)抜きで標題を入れ、その右側上詰めで明朝体で著者名。
 156~175頁「秋田の民話について/――その採集と再話のこと――」は、他の諸篇が瀬川氏の最晩年の昭和49年(1974)から昭和50年(1975)12月12日の瀬川氏死去、そして昭和51年(1976)に遺稿として発表されたものばかりの中で、1篇だけ飛び抜けて古い。①『秋田の民話』の改行位置は「/」で示したが、②『民話=変身と抵抗の世界』172頁8行め~174頁5行めの改行位置は「|」で示した。また異同は大体段落ごとに、註記した。
 本書は5つの地域別に纏めているが最後、267~290頁「明治以後のはなし」として5題、珍事に哀話、失敗談、術つかいに頓知の繁次郎の話を収めているが、瀬川氏はここで更なる可能性について述べているのである。なお、放送局の大友氏のことは304頁上段1~3行め(②168頁1~2行め)に「‥‥。またNHK秋田放送局の大友博武/氏とは一緒にデンスケを|かついで老人の話しをテープに/収めにもでかけた。*13」とある。このテープは保管されているであろうか。
 さて、これを読むと、瀬川氏は『信濃の民話』の採集旅行の途次、この「ハンゴー」の話に逢着したようである。
 しかし2020年3月27日付(07)に引いた『現代民話考Ⅱ 軍隊』の松谷みよ子「軍隊考」に従えば、瀬川氏は現地の人から聞いたのではなく、現地で松谷氏から聞かされたもののようである。
 まぁ信濃の話として聞いたのだから構わないようなものだが。
 とにかく、松谷氏の飯盒池の話は、まず昭和33年(1958)に夫の瀬川氏によって活字にされていたのだった。しかしここには地名は何処とも示されていない。(以下続稿)

*1:②「終わり」。

*2:②「とき」以下同じ。

*3:②「ひとり」以下同じ。

*4:②は発言を1字下げにしない。ここのみ末尾の句点が全角になっている。

*5:②「話」以下同じ。

*6:②はここまで172頁。②「おとな」。

*7:②「なお・話・十分」。

*8:②「終わる」。

*9:②のこの行の後半2つの読点半角。

*10:②はここにやや小さく「(『秋田の民話』)」挿入。

*11:②はここまで173頁、読点全角。なおここから段落末までの読点は全て全角。

*12:②「それらのほ|とんどが」。

*13:②「話」。