「鳩よ!」の対談(1月22日付(07))で、加門七海は「蓮華温泉の怪話」を「平成にまで生き延びる怪談」と呼んでいた。しかし、話は明治30年(1897)9月(推定)の事件で、そのときに解決しているはずだから「出るんだよね」ではなく「出た」ことがある、のはずなのだが、それが「出る」という言い方になっているのは、一昨日紹介した『現代民話考』のように、本筋はそのままに細部を現代的に脱皮させて、100年前のこととは感じさせない怪談として伝わっているからであろうか。
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怪談が広まるについては、口承だけでなく書承という可能性を考えてみる必要がある。「口裂け女」「カシマさん」など、マスコミの報道により伝播が加速したと見られる怪談も少なくない。書いたものの影響も無視できないのである。蓮華温泉の話が活字化されたのは『信州百物語』が初めてらしいが、ざっと検索してみただけでも、昭和9年(1934)初版以来、昭和17年4版・昭和18年7月5版・昭和20年12月・昭和21年(1946)7月と、戦後まで版を重ねている。しかしこれは地方出版である。
全国にこの怪談を知らしめる役割を果たしたのは、「毎日新聞」と今野圓輔であろう。『現代民話考』のように昭和50年代の東京の高校生がこの話を知っていたのは、『信州百物語』ではなく『日本怪談集』から出たものと思われるのである。尤も、確証などは得られない訳で、ただ、いろいろな可能性が考えられる中で、最も蓋然性の高い推測なんじゃないかと思って、述べてみる次第である。
今野圓輔『日本怪談集―幽霊篇―(現代教養文庫666)』は、昭和44年(1969)8月30日の初版第1刷以来、昭和59年(1984)6月15日には第40刷、さらに版を重ねたことと思うが、版元の社会思想社の廃業(2002年6月25日)により今は中公文庫に上下2分冊されて収録されている(2004年12月20日初版発行)。
その「第七章 死霊の働きかけ」の「二 背中に殺した女」が、この「蓮華温泉の怪話」なのである。これは「毎日新聞」からの引用なのだが、そのもとは『信州百物語』であるらしく、その要約というべきなのだが、なんだか違うところもある。そこで全文を引用し、「蓮華温泉の怪話」との相違点を薄い太字にして示した。
日本アルプス白馬岳の中腹にある“れんげ温泉*1”にあった明治三〇年ごろの話――九月になって湯治客も山を下り秋色一入深いある夜、妻に先立たれた温泉宿の主人が五つになる子供と囲炉裏をかこんで山鳥を焼いていたが、青白く輝く月を浴びて真青な顔をした鳥打帽の紳士が一夜の宿を求めて入ってきた。
「鉄砲打ちに来たのですが、大事な鉄砲は谷に落とし、道に迷ってやっとここまでたどりついたのです。糸魚川から登りましたが……」とぎれとぎれに説明する男の声を聞きながら、主人は山鳥で夕飯を出した。客がうまそうに夕食を食べている時、隣の部屋で寝ていた八つになる男の子が突然激しく泣き出し、
「お父ちゃん、あの人がこわいよ!」
と叫び、なだめにいった主人にしがみついて、夕食を食べている紳士を指した。そのとき宿の飼犬が二匹ともはげしく吠えたて、それが静まり返った山峡にこだまして身ぶるいするような無気味さであった。
意を決した主人は、
「子供がだんなを恐がって仕方がありません、ほかで泊って欲しいんですが」
というと、その客は急にブルブルふるえ出し、あたふたと靴をはいて外へ飛び出していった。
それで子供はようやく泣き止んだが、その子の話によると、さっきの客の背中に、髪をおどろにふり乱した女の人がすがりつき、子供をみてはゲラゲラ笑っていたという。恐ろしくなった宿の主人は、戸締りを厳重にし、愛児を抱きかかえてその夜はおののきながら過ごしたが、翌朝になって駐在所の巡査が、越中で若い女を殺した犯人が、この山中に迷いこんだといって来た。そこで大騒ぎとなり、宿の犬も協力し山狩りをしてようやく捕まえることができた。犯人は、
「うらめしそうな顔をしたあの女が、いつも私から離れませんでした。どこまでも、どこまでもついてきてうらみをいってのろっていました」
といっていた。 (毎日新聞・昭和二八年)
「蓮華温泉の怪話」ではどうなっているかは、原文*2を読んでいただくとして、ここで注意しておきたいのは、「蓮華温泉の怪話」では、主人は一人で山鳥を焼いているのだが、ここでは「五つになる子供」が一緒である。それではこの子供に見えて、泣き出すのかというとそうではなくて、「蓮華温泉の怪話」と同じく「隣の部屋で寝ていた八つになる男の子」が登場する。そして、この男の子の登場後は「五つになる子供」はいなくなってしまったかのようである。その他にも巡査の登場のタイミングなど、大きく異なるところもあるのだが、重なる表現もあって、やはり『信州百物語』に拠っているものと思われる。文飾の多い「蓮華温泉の怪話」をそれなりに要領よくまとめたと言えるであろう*3。
ところで、『日本怪談集』では「はじめに」に、
○編者の直接採集以外の資料については、資料的価値のある部分だけの再録にとどめ、できるだけ原文を尊重したが、一部分だけの抜書では前後関係がわからなくなるものは要約させてもらったことをお断りせねばならない。
とあって、どうも若干の書き換えがあるらしい。そこで原文を確認したいと思って昭和28年(1953)の「毎日新聞」縮刷版を見てみたが、じっくり通覧する余裕はなく目次をざっと見ただけでは見当を付けられなかった*4。もし発見された方は御自身で発表された上で、ご一報願います。
この他で、気になったのは、1月2日付(01)に言及した蜂巣氏紹介の怪談では「男の背中で血まみれの女がゲラゲラ笑っていた」というのだが、「木曾の旅人」「恐怖の研究」では笑っていたとの記述はなく、「蓮華温泉の怪話」は「ニタニタ笑う」であったのが、この「毎日新聞」→『日本怪談集』では「ゲラゲラ笑っていた」となっている。『現代民話考』は「笑っている」である。
さらに、この『日本怪談集―幽霊篇―』には、この型の話を発展させるのに寄与したと思われる要素がある。
すなわち、目次を見ると、
第七章 死霊の働きかけ……………………………………………………一七九
恨めしくない四谷怪談
戦場故郷往来
一 防空頭巾の集団亡霊 二 子供にだけ見える 三 背中に殺した女 (以下略)
とある。「二」がこの話だが本文では「背中に殺した女」である。もちろん「子供にだけ見える」でもおかしくはないのだが、目次と本文で「二」と「三」が入れ替わっている。この「三」、本文では「子供にだけ見える」で目次では「背中に殺した女」となって矛盾しない話が、実はもう1つあるのである。次に、これについて確認しておきたい。(以下続稿)