瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(119)

・堤邦彦「「幽霊」の古層」(4)
 江戸時代の仏教説話が専門で怪談に関する研究も多い堤邦彦(1953生)は、「蓮華温泉の怪話」が昭和9年(1934)の『怪奇伝説 信州百物語』に掲載されていることについて、2018年8月29日付(46)に引いたように「昭和初期の北信地方に伝承圏をひろげていたことがわかる」との見解を示していた。
 堤氏はこの手の怪談について、2018年8月27日付(44)に挙げたように早くから関心を有しており、そして2018年8月28日付(45)に挙げた、2015年刊『怪異・妖怪文化の伝統と創造──ウチとソトの視点から――国際研究集会報告書 第45集――』に掲載された「「幽霊」の古層――江戸の庶民文化にはじまるもの」が一番新しいものの*1ようである。
 と、ここまでは(自分でもかなり忘れているので)復習です。――この論考について、9月16日付(57)に「二 江戸怪談の影響力」の章の3節め「亡霊と旅する男」の最後を検討しました。続けて、4節め「「お二人様」怪談の系譜」以降も引用して検討するつもりだったのですが、岡本綺堂の戯曲「影」の検討が長くなるうちにそのままになっていました。当初、5節め「説話の場」まで一通り検討する予定でしたが、目下、そこまでやる余裕がないので飽くまでも「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」に関する部分に限定して補足し、さらに堤氏が同じ頃に別の本に示していた見解についても確認するつもりです。――それでは文体を常体に戻して、本題に戻りましょう。
 198~199頁4行め「「お二人様」怪談の系譜」の節の冒頭を見て置こう。2~10行め、

 もっとも、蓮華温泉の怪話の拡散を、近代作家の関与に限って説明するだけでは、/ものごとの本質は見えてこないだろう。なぜなら、この種の怪談が人々の噂になる/背景に、江戸時代を通じて巷間に流伝した類型的な因縁話の系譜が見えかくれする/からである。
 それでは、死者の恨みを背負って旅する逃亡犯の物語が、衆庶のあいだに何の抵/抗感もなく、むしろ既視感の強い怪談として受け入れられるようになった説話史の/下地とはいったいどのようなものか。この点を明らかにするため、今ひとつの類話/に注目してみよう。次の事例は、『民俗学』1933年11月号に載る神奈川県浦賀町/の口碑である(データベース番号 2260259)。

として前後1行分ずつ空けて2字下げで、8月25日付(42)に引用した、小松和彦監修『日本怪異妖怪大事典』の堤邦彦執筆「ゆうれい【幽霊】」項の事例⑧と同じ要約が引用されている*2。そして以下の考察は大まかに云うと小松和彦 編『日本妖怪学大全』に寄せた「怨みを背負った旅人たち――廻国・懺悔の怪異空間――」の、8月27日付(44)に引いた箇所に同じである。
 私も、このような発想を当時の人々が抵抗感なく受け容れたことには、堤氏の指摘するような素地があったとは思う。しかし*3蓮華温泉の怪話」の拡散は、「近代作家」岡本綺堂の「関与」よりも、繰り返し活字で供給され続けたからだろうと思う。もちろん「昭和初期に北信地方に伝承圏をひろげ」るような動きはなく、まづ、地元の人間とは無関係のところで活字によって広まり、実際に登山者の間で話の種にされたのは戦後になってからではないか、と思われる。
 以下、白馬岳・蓮華温泉の怪談が出版物にどのように取り上げられて来たか、年表形式で纏めておこう。
年表「白馬岳・蓮華温泉」の怪談
【第1期】
昭和3年(1928)7月 「サンデー毎日」に白銀冴太郎(青木純二)の「深夜の客」掲載。
昭和5年(1930)7月 青木純二『山の傳説』刊行、「深夜の客」を「晩秋の山の宿」と改題して収録。
昭和9年(1934)5月 杉村顕著、信濃郷土誌刊行會編『怪奇傳説 信州百物語』刊行、「蓮華温泉の怪話」掲載。
昭和17年(1942)7月 『怪奇傳説 信州百物語』を改題して再版『信州百物語 信濃怪奇傳説集』刊行。
昭和17年(1942)9月 『信州百物語 信濃怪奇傳説集』四版発行。
昭和18年(1943)7月 『信州百物語 信濃怪奇傳説集』五版発行。
・昭和20年(1945)12月 『信州百物語 信濃怪奇傳説集』?版発行。
・昭和21年(1946)7月 『信州百物語 信濃怪奇傳説集』新版発行。
昭和17年(1942)から昭和22年(1947)に掛けての改題・増刷は9月3日付(108)に仮目録。
【第2期】
・昭和28年(1953) 「毎日新聞」に「れんげ温泉」の怪談が載る(現代教養文庫『日本怪談集―幽霊篇―』に要約、元記事未確認)
・昭和31年(1956)2月 末広昌雄「雪の夜の伝説」1話め「山の宿の怪異」(朋文堂「山と高原」2月号)「晩秋の山の宿」の剽窃
・昭和44年(1969)8月 今野圓輔編著、現代教養文庫666『日本怪談集―幽霊篇―』に「れんげ温泉」の怪談(毎日新聞・昭和二八年)。
・昭和57年(1982)7月 星野五彦、以文選書20『近代文学とその源流―民話・民俗学との接点―』に「蓮華温泉の怪話」要約、「木曾の旅人」との関連指摘。
・昭和57年(1982)12月 松谷みよ子「現代民話考「死の知らせ」」(「季刊 民話の手帖」第13号)に「白馬岳」の「旅館」の怪談。
・昭和61年(1986)2月 松谷みよ子『現代民話考 Ⅴ あの世へ行った話・死の話・生まれかわり』に「白馬岳」の「旅館」の怪談収録。
・平成2年(1990)2月 木暮正夫『日本の怪奇ばなし9 全国怪談めぐり東日本編 安達が原の鬼ばば』に「温泉宿の客のうしろに…… (長野)」。*4
・平成3年(1991)7月 青春BEST文庫『〈怪奇〉あなたの知らない恐怖世界』に「一見宿の紳士客」として『日本怪談集―幽霊篇―』の「れんげ温泉」の怪談の要約。*5
・平成4年(1992)2月 末広昌雄「山の伝説」1話め「山の宿の怪異」(山村民俗の会「あしなか」通巻224号)朋文堂「山と高原」掲載稿の流用。
・平成6年(1994)11月 日本の現代伝説『ピアスの白い糸』 に『日本怪談集―幽霊篇―』から「れんげ温泉」の怪談の要約。
・平成7年(1995)2月 木暮正夫『日本の怪談9 全国怪談スポット①』刊行、『日本の怪奇ばなし9 全国怪談めぐり東日本編 安達が原の鬼ばば』の改題再刊。*6
・平成9年(1997)4月 大空社より『柳田國男の本棚』第五巻『山の伝説』刊行。*7
【第3期】
・平成11年(1999)7月 加門七海による「蓮華温泉の怪話」要約、「木曾の旅人」との関連指摘(岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二『異妖の怪談集』)。
・平成12年(2000)8月 松谷みよ子中公新書1550『現代の民話』に「白馬岳」の「旅館」の話収録。*8
・平成14年(2002)3月 東雅夫編、学研M文庫『伝奇ノ匣2 岡本綺堂妖術伝奇集』付録に「蓮華温泉の怪話」収録。
・平成15年(2003)8月 松谷みよ子ちくま文庫『現代民話考[5] 死の知らせ・あの世へ行った話』刊行。
・平成20年(2008)10月 一草舎より信州の名著復刊シリーズ 第1期/信州の伝説と子どもたち 第1巻『山の伝説』刊行。*9
・平成22年(2010)2月 荒蝦夷より『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』刊行、『怪奇伝説 信州百物語』全編収録。
平成26年(2014)10月 松谷みよ子河出文庫『現代の民話』刊行。*10
・平成29年(2017)6月 平川陽一、宝島社文庫『山と村の怖い話』に「男の背中についた女」。*11
・平成29年(2017)11月 東雅夫編『山怪実話大全』に「深夜の客」「蓮華温泉の怪話」収録。
・平成30年(2018)9月 丸山政也「招かれざる客」(丸山政也・一銀海生『長野の怖い話』)「蓮華温泉の怪話」の再話。
・    (2020)1月 志村有弘 編訳、河出文庫『山峡奇談』に「蓮華温泉の怪話」収録。*12
・    (2021)6月 朝里樹『山の怪異大事典』の「長野県」に「白馬岳のおんぶ幽霊」として『山と村の怖い話』の要約。*13
・    (2023)3月 東雅夫編、ヤマケイ文庫『山怪実話大全』刊行。*14
 探せばまだあるであろう。今後、新たに見付かったもの、確認が出来て明確になったものについてはここに追加して行くつもりである。なお、非常によく似た話であっても蓮華温泉・白馬岳の地名のないものは取り上げなかった。
 さて、戦前から終戦直後まで、青木純二と杉村顕による原典と云うべきものが刊行された時期を【第1期】、戦後、平成初年の末広昌雄辺りまで、情報の出所を明らかにせずにこの話が紹介されてきた時期を【第2期】、加門七海により『信州百物語 信濃怪奇伝説集』が紹介され「蓮華温泉の怪話」に注目が集まった時期を【第3期】、として置こう(加門氏と同様の指摘は既に第2期に星野五彦によってなされているが、注目されず孤立した動きとなってしまった)。第2期のうちで、口承化が認められるのは松谷みよ子『現代民話考』のみで、他は先行する文献に依拠したもの(或いは、文献を見て記憶していた人が話したもの)と思われる。加門七海や丸山政也*15は、登山者から口承化した話を聞いているが、新聞・山岳雑誌・文庫に取り上げられたことの影響を考慮すべきで、戦前にまで遡ってこうした「伝承」が存在したとは、私には思われないのである。
 そして、堤氏の云うように、岡本綺堂が「木曾の旅人」にアレンジしたから流布したとも思われない。蓮華温泉の話そのものが、第1期から第2期に掛けて、印刷物に繰り返し取り上げられたことで口承化したので、「木曾の旅人」とは別個の動きと解すべきである。そして、この山中を舞台とする話が、堤氏の「お二人様」や朝里氏の「おんぶ幽霊」の話に影響を与えたのかどうか、も慎重であるべきだろう。何となれば日本人には堤氏が指摘するような「下地」が、岡本綺堂や「蓮華温泉の怪話」に拠らなくとも、別箇に強固に存在したはずだからである。
 なお、この年表に挙げた事項は全て当ブログに取り上げてある(リンクを貼っても参照する人が殆どいないらしいので記事のリンクを示さないことにした。検索窓に人名や「れんげ温泉」と入れて確認されたい)が、丸山政也「招かれざる客」については『山怪実話大全』以後の刊行でまだ取り上げていなかった。遠からず記事にするつもりである。(以下続稿)

*1:【12月30日追記】「ものの」を補った。

*2:異同は8月25日付(42)に注記を追加した。

*3:【9月24日追記】「しかし」を補った。

*4:9月26日追加。1月30日付(88)

*5:2024年1月24日追加。

*6:9月26日追加。1月30日付(88)

*7:9月22日追加。

*8:12月9日追加。

*9:9月22日追加。

*10:12月9日追加。

*11:2024年1月24日追加。

*12:2020年8月2日追加。

*13:2024年1月24日追加。

*14:2024年1月3日追加。

*15:よく読むと堤氏の「お二人様」もしくは朝里氏の「おんぶ幽霊」の話で、蓮華温泉の話ではないらしい。よって丸山氏の名前は見せ消ちにした。