瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(03)

 さて、国文学者の星野五彦が昭和57年(1982)と云う早い時期に、白馬岳の雪女を取り上げていた、と昨日書いたけれども、これには若干註釈が必要である。
 星野氏の「綺堂と八雲――伝説と創作を通して――」の趣旨については、2013年7月2日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(21)」に紹介した。そこに星野氏による岡本綺堂「木曾の旅人」の梗概、そして2013年7月3日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(22)」に『信州百物語(信濃怪奇伝説集)』の「蓮華温泉の怪話」の梗概を引き、その問題点を指摘して置いた。それから、星野氏の分析の前提となっている、伝説から創作へ、との思い込みについて、2018年7月4日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(23)」に私見を示して置いた。
 これと抱き合わされている小泉八雲の「雪女」だが、分量(222頁8行め~226頁5行め)も少なく、分析もあっさりしている。まづ星野氏による「雪女」の梗概を示して置こう。222頁13行め~223頁15行め(全て1字下げで2行めはさらに2字下げだが詰めた)、

1 武蔵国のある村に茂作と雇い人の巳之吉の木樵が住んでいた。茂作は老人、巳之吉は一八歳。
2 渡し守の去った小屋で吹雪の夜を迎える。
3 老人はすぐ眠り込み、少年も又眠り込む。
4 顔に雪がふりかかるので少年が目を覚すとそこに美しい女がいた。
5 老人のようにしようと思ったが、可愛想なのでやめるが、今夜のことを口外するな、と約束/【222】させて、出ていった。
6 茂作に声をかけて、死んでいるのに驚ろく。
7 夜明けて渡し守が来てみると老人は死に若者が気を失っているのでおどろく。
8 白い女のまぼろしについてはその後誰にも口外しなかった。
9 ふたたび薪売の生活が母とはじまった。
10 翌年の冬、帰路、旅の娘に出遭い家につれてくる。
11 江戸に奉公口をさがしに行く途中で、雪という名であり、非常な美女であった。
12 母親も歓迎し、その家の嫁となった。
13 二人の間には一〇人の子供があった。
14 老けないお雪を村人は不思議がる。
15 針仕事をしているお雪に巳之吉は十八の時の不思議なことを語り出す。
16 女房はききたがり、聞き終えるとそれは自分であると名告り、立ちあがる。
17 子供が居なければ殺したところだが、子供たちにとやかく言われるようなことをしたら、相/応なことをするといいのこす。
18 次第に細り、白い霧になって出て行き、二度と姿をみせなかった。


 そして、星野氏は223頁17行め~224頁1行め、

これに対して、各地に伝わる譚はいずれも短かく、長いものでも、八雲の作程、こみ入ってはい/【223】ない。今、長い例を一つとりあげてみると、

として、以下のように梗概を2つ示す。224頁2行め~225頁8行め、

 1 昔むかしのこと。猟師の親子、茂作と箕之吉が住んでいた。
 2 吹雪になって山小屋で休息することにした。
 3 眠ってはいけないという茂作がねてしまい、箕之吉もねはじめた。
 4 起きなさいという女の声で目を覚すと前に一人の女が居た。
 5 女は箕之吉のことを以前から知っていた、それは里の娘に騒がれる程いい男であるから。自/   分も箕之吉が好きなので、死から守ってあげる代りに、会ったことを口外するな、という。
 6 男が約束すると、女は消えていった。
 7 翌年の雪の夜、一夜の宿を乞う女が訪れる。
 8 女の名はこゆき、二人は夫婦になる。
 9 十年が流れ、五人の子供が生まれた。
 10 吹雪の夜、箕之吉はこゆきの顔をみて思い出し十一年前の夜のことを話す。
 11 聞き終えた小雪は、それが自分であることを告げ、子供のことをたのむ。*1
 12 身体が細り、やがて姿を消してしまった。坐っていた辺りがほんのりと濡れていた。
というものである。これは恐らく、八雲作の翻案ではなかったかと思うが、それにしても、八雲作程こみ入ってはい/ない。まして、短かいものとなれば【224】
 1 昔、一人の若者が居た。
 2 吹雪の夜、外で人の気配、開けると若い女が倒れていた。
 3 美しい女なので嫁にし、仲良く暮した。
 4 春になると女は痕せて、元気がなくなって来た。
 5 或る日、男友達が来たので酒を出した。女房を呼ぶが返事がないので、台所に行ってみると、/   へっついの前が濡れて、着物だけが残っていた。
というものである。
 これら以外をみても、大体は右の範疇に属するものである。


 この2つの「譚」の典拠であるが、それぞれの梗概の最後の「た」の右傍に括弧で注番号を添えている。すなわち、226頁6~8行め(3字下げだが詰めた)に小さく、

  注
(1) 山田野理夫編『アルプスの民話』(昭和42年4月・潮文社)六六~七一頁。 
(2) 関敬吾編『桃太郎・舌きり雀・花さか爺』(昭和31年12月・岩波書店)二一八頁

とある。星野氏がどの程度「これら以外」の類話を集めていたのか、「これら」しか示していないので分からない。
 山田野理夫『アルプスの民話』に白馬岳の「雪おんな」の話が載っていることは、遠田勝『〈転生〉する物語――小泉八雲「怪談」の世界も注意しているが、星野氏は遠田氏よりも約30年早く、このことを指摘していたのである。
 それはともかくとして、「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」のところでも注意したように、番号を打っていてもそれを比較に活用していないので余り意味がないものとなっている。梗概を見る限りで小泉八雲『怪談』と山田野理夫『アルプスの民話』の大きな違いは、茂作と巳之吉(箕之吉)の関係と生業、雪女に襲われた小屋の位置、巳之吉の母、子供の数が10人か5人か、といったところなのだが、もっと大きな違いは『怪談』の舞台が「武蔵国」であるのに対し、『アルプスの民話』は「白馬岳」であることである。ところが、星野氏の梗概は地名を落としてしまっているので「白馬岳」であることが分からない。実は綺堂作「木曾の旅人」と伝説(と星野氏は見做している)の「蓮華温泉の怪話」を比較したところでは、221頁9~12行め、

 先の梗概をみていると、場面設定の効果的なことにも気がつく。それは伝説では「白馬岳の麓」で/あるのに対して、綺堂作では「木曽山中」であり、他方が「宿屋」に対し此方は「杣小屋」である。/自ずから読者はそこに鮮明な印象の相違を心に描く。少なくともその字面からは、伝説より明るい/場面を想定することはあるまい。

と、場所の設定も非常に重視していたのである。標高2932mの白馬岳の山中と、武蔵国の、渡し守がいるような、幅のある川縁の小屋とでは、同じ吹雪の夜でも相当に「相違」があると思うのだが、何故か「雪女」に関してはその点に留意していない。いや、折角「白馬岳の麓*2」が舞台の「蓮華温泉の怪話」を綺堂に関連して取り上げていたのだから、「雪女」も白馬岳の話として伝わっていると関連付けても良さそうなものだ。
 そして、これは全くの偶然だと思うのだけれども、『信州百物語』の「蓮華温泉の怪話」も『アルプスの民話』の「雪おんな」も、ともに青木純二『山の傳説 日本アルプス』が白馬岳のこととしてでっち上げた話を、前者は杉村顕、後者は山田野理夫と云う、少々特徴のある作家が書き換えたものであることが興味深い。星野氏は多くの類例の中から、わざわざ青木純二に淵源する2例を選び出してこの小論に取り上げているのである。
 しかしながら、星野氏は白馬岳の雪女について、場所の明示もせず、せいぜい「これは恐らく、八雲作の翻案ではなかったかと思うが」と云う、「蓮華温泉の怪話」とは反対の印象を述べるに止めている。――もう少々白馬岳附近の伝説を集めた本を渉猟して『山の傳説 日本アルプス』に逢着しておれば、そしてそこに『信州百物語(信濃怪奇伝説集)』に先行する「蓮華温泉の怪話」を見出しておれば、その後も展開も変わったかも知れないと思うのだが、残念ながらそれ以上の探索はなされず、星野氏の発見自体が埋もれてしまうこととなったのである。
 ついでだから、民話と小泉八雲「雪女」を比較しての、星野氏の簡単な評も抜いて置こう。225頁9~17行め、

 こうした双者の対比を通してみる時、誰でも気のつくことは、八雲作に形容語の多いことである。/これは、右の梗概には見えないが、少しく八雲作にあたると、気のつくことである。それは又、こ/の作品『怪談』の発刊された、明治三七年代の当時の文芸思潮から照合した場合にも、多い、とい/うことで特異な表現の一つであったといえるものである。
 その他としては、民話に較べて詳細であることは当り前として、会話の部分が多く、重要な要素/になっているのに対して、民話の方は先の綺堂の項でふれたように、筋の展開に重点が置かれてい/る、ということでの相違がみられることである。このことは、同一の民話にあって、会話を除去し/ても左程内容に変化をきたさないのに対して、八雲作ではその逆の性格をもっということである。
 ここに、綺堂の戯曲的な指向に対する八雲の小説的指向をみるのである。‥‥


 この評からも察せられる通り、青木純二に淵源する話が再利用されているのを(偶然)見付け出した以上の価値は、星野氏の小論には認められないように思う。――「梗概」では分からない「形容語の多」さを唐突に持ち出されても困るので、もっと長い文章で丁寧に指摘するべきだったろう。それから「明治三七年代」と云うのも妙だが、「当時の文芸思潮」と云って、何と比較しているのであろうか。国内の作家・文壇とであれば、英語で著述した小泉八雲(Lafcadio Hearn)がそれに従っていないのは当然だろう。
 ただ、分かりにくい形ではあるが小泉八雲「雪女」の土着(?)の例を早期に指摘したものとしての評価は出来るであろう。尤も『アルプスの民話』の「雪おんな」は、遠田勝が指摘しているように青木純二『山の傳説 日本アルプス』の「雪女」を書き換えただけの代物で、所謂「民話」ではあっても伝承されているものを採集した訳ではない。――遠田氏は労を厭ったのか他の話には触れていないが、かなりの部分を『山の傳説 日本アルプス』から採っている。次に、山田氏の『山の傳説 日本アルプス』利用の実態を確認したいと思う。(以下続稿)

*1:ルビ「こ ゆき」。

*2:正しくは中腹。