瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(06)

 深夜に余震があった。そして例によって神経質に津波に気を付けろ、と繰り返していた。いい加減にして欲しい。
 余震で本震を上回る津波が発生することは、まずないだろう。仮に3mの津波が発生したとして、もう史上最大級の津波で破壊され尽されているのだ。しかも、深夜である。日中なら捜索活動で波打ち際で作業している人もいるだろうが、この時間帯にそんなところで作業している人は、まずいない。瓦礫の撤去も進まない中、あの予測程度の波が到達する範囲で夜を明かそうとする人など、初めからいたとは思えない。今回の場合、不必要に騒ぎ立てて、過剰なストレスを蓄積させているとしか、思えない。

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 本文の検討に入る前に、木村尚三郎「解説」に触れて置こう。第1刷(第3刷)では212〜217頁、第9刷(第32刷)では1頁ずれて213〜218頁である。
 まずは、平成10年(1998)9月27日付書簡から関連する部分を抜いておく。依拠したのは第3刷。

木村尚三郎「解説」
212頁13行目
「九月二日までの三ヵ月間」
 「七月四日までの一ヵ月間」。訂正すべき。
214頁1行目微塵も
 褒め過ぎ。
217頁6行目「滞日中に出会った日本人についてのエッセイ」
 どこにそのような「おまけ」があるのですか?
カバー裏表紙
宣伝文
「三ヵ月という短期間」
 「一ヵ月という短期間」のはず。どうしてこういう誤りを重ねているのでしょうか?


 さて、2箇所の「三ヵ月」はしばらくして「一ヵ月」に訂正されていたのを店頭で平積みになっていた増刷で確認した記憶がある。さすがにこれは訂正しないと不味い。カバーの方は木村氏の誤記につられての誤りだろう。どうもこの、木村氏「解説」の全体的な調子の高さは、やはり尋常ではないように私などには思われるのだが、そこで「微塵も」に噛み付いたのが或いは難癖と取られたのかも知れない。それにしても、木村氏のテンションの高さ、素直に感激を表出した(冷静さを欠いたように見える)態度、その一端がこの「三ヵ月」のような飛んでもない誤記に繋がったのではないか、とも思うのだが、実は木村氏の態度には、もっと大きな疑問があった。平成10年(1998)当時は気付いていなかったので書簡には書いていないので、いずれここで取り上げて検証するつもりである。
 もう1つの疑問点、「滞日中に出会った日本人についてのエッセイ」だが、改めて読み返してみても、やっぱり分からない。確認のため、問題の段落の全文(第1刷217頁・第9刷218頁)を引用してみよう。

 訳者の石井和子さんの翻訳は、きわめて入念かつ達意の文体である。正確を期するため自ら各地に足を運んで調査し、今は貨幣博物館になっているアテネシュリーマン邸をも訪れている。調査の成果は一部この学術文庫版にも取り入れられ、シュリーマンが滞日中に出会った日本人についてのエッセイとなって実を結んだ。親版にはない、本文庫版だけの有難い「おまけ」である。


 学術文庫版で追加されたのは「学術文庫版訳者あとがき」と「付 シュリーマンの館」だが、後者は先に検証したように*1「滞日中」のことには全く触れていない*2。従って前者「学術文庫版訳者あとがき」を指しているのだと思われる。
 「学術文庫版訳者あとがき」は、確かに元版刊行後の「調査の成果」について述べた「エッセイ」である。内容は、シュリーマン邸訪問(198頁5〜199頁6)品川の東禅寺のこと(199頁7〜200頁12)「ヘンリー・ヒュースケン」のこと(200頁13〜202頁4)トーマス・グラヴァーの長男・富三郎のこと(202頁5〜204頁2)そして最初(198頁2〜4)と最後(204頁3〜11)に謝辞等があるのだが、やはり「滞日中に出会った日本人」のことには全く触れるところがない*3
 ついでにもう1点。199頁8の「品川の東禅寺」に関連して、平成10年(1998)9月27日付書簡から。

131頁〔下〕「品川東禅寺
 最寄り駅は「品川」だが「高輪」のうち。


 「高輪の東禅寺」である*4。最寄り駅は「品川」だが、そもそも品川駅が品川区ではなく港区高輪にあるのだから*5
 これらも「三ヵ月」と同じように訂正して欲しかったのだが、第32刷でもそのままになっている*6

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 こんなに「津波津波」と連呼するようになったのは確か日本海中部地震以降だろう。以来、バカの一つ覚えのように「(念のため)津波にご注意下さい……津波の心配はありません」と繰り返すようになった。長野県が震源津波が起こるはずもないのに、取り敢えず「津波の心配はありません」を結句にしないと地震情報が終えられないかのような報道の仕方をするようになった。こんなに一々「津波津波」と言って大したことがないようでは、本当に危ないときに狼少年ではないが「またか」と思われかねない。津波が来るにしても、津波注意報の数十cmの予測なのに「海から離れろ」とヒステリックに言うのは問題があると思っている。水に浸かったりしていない限り、数十cmの津波なら防波堤にいても平気だろう。もちろんわざわざ海に見に行くのは論外だが、屋内に待避していればいいので、高台に避難する必要はない。
 数十cmの予想で神経質に連呼するのは、もう止めるべきではないのか。その程度の波であれば、防波堤を乗り越えることはない。TVやラジオで連呼せずとも、海縁限定で防災無線で警戒を呼び掛ければ済む話だ。規模の大小にかかわらず同じように騒ぐのは、判断停止である。殆ど被害のない津波と、危険な大津波と、報道が同じ「津波」対応をして区別しないのでは、住民も同じ「津波」対応になろう。実際、避難は徒労だという刷込みになっていたのではないか(調査する必要があると思う)。判断も思考もせずに避難指示に従って何事もなければ、思考も判断もせずに避難しなくなるだろう。大津波への対応はこれ以上には出来ないのだから、小津波の対応をもっと軽くすべきではないか。これでは放射線云々でいわき市南相馬市を、さらに拡大して福島県を、もっと拡大して日本を、一律に不安視する行き方と、まるで変わりない。

*1:4月2日付(03)及び4月3日付(04)

*2:だからこれこそまさに「おまけ」である。

*3:或いはグラヴァーの長男倉場富三郎のことを早とちりしたのだろうか。如何にも苦しい解釈だがそのくらいしか候補が思い浮かばない。ちなみに倉場富三郎は明治三年(1870)十二月八日(1871.1.28)生れだから、シュリーマンとは会っていない。――或いは、木村氏が「解説」を書いた段階ではそのようなエッセイがあって、その後刊行までに差し替えられたのだろうか。ならばなおのこと、訂正が必要である。

*4:泉岳寺も高輪。

*5:目黒駅が目黒区ではなく品川区上大崎にあるのと同じ。

*6:匿名の書簡が気に入らなかったのか、いや、匿名なのだから「三ヵ月」に限らず、そんな書簡をもらったことなど触れずに訂正して全く構わなかったのに。