瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

花粉サイクリング

(取り留めもない雑談なのですが書いているうちに長くなりました。しかしこんなものでも今日出して置かないとどこにも出す機会がありませんから、上げておきます。)
 折角100日続けたので出来ればこのまま、ウィンドウズ95にある旧稿も含めると相当な数になるので、誰の役にも立たなくとも勝手に続けようと思っているのです。実際、知人にはこのブログのことは知らせていないので、感想を聞いたことはありません、いえ、注文も受けないので気楽だと思っているのです。ところが、そんな気楽な道楽のはずが、いつの間にか「下書き記事」が50件も溜っていました。途中で突っかかってその先に進めない記事がそれほどまでに積み重なっております。一度ここらで一息ついて、「まとめ」やら、これまでの記事を読み直して「訂正一覧」やらを作っても良いか、とも思ったのですが、図書館の返却期限に迫られて、一応目的があって借りてきた本ですから目当ての記事は返却前にメモを取って、しかしやはりそのまま記事にする訳には行かないので、また別の図書館に行って詰めの調べをする機会を待っているのですが、交通費及び開館時間の関係で、同じ図書館に行くのは2週間(たいていの館の返却期限)から3週間(一部の館の返却期限&一部の館の返却延長期間)4週間(一部の館の返却延長期間)先になります。哀しき図書館派の杓子定規な生活スタイルです。返却期限に制約される日常。先月は国会図書館に行くつもりが、結局1度も行きませんでした。あそこは本を借りられないので、返却期限という強制出頭の日がないので。今月に入ってからも、行かずにいます。そんな訳で、話題の取っ掛かりはいくらでもあるのですが、詰めの部分まで持って行くところまで、なかなか進めずにいるのです。
 先日、勤め先に自転車を返しに行きました。杉花粉が多かった時期を避けて、しかし檜でも症状が出ているらしいのですが(今年は血液検査をしなかった)、最短距離ではなかったのですが、あの日に駆け抜けたコースを逆に辿って、……あの日は、真っ暗な中*1、しかもマスクをして蒸気で眼鏡が曇るので、正面を向いたままだと前が見えなくなるんですよ、それでちょっと顔を横に向けて、そうすると脇から風が入るんですね、眼鏡の。それでなんとか眼鏡の片方のレンズだけでも風で曇らせないようにして、もともと走ったことのない土地で、脇道に入る余裕なんてありませんから幹線道路を、歩道なんかは狭いし暗いしよく人にぶつからなかったな、と今でも冷や汗を掻きます。
 馴染みの地域に戻った頃が最高潮に調子が良かったのですが、いよいよ地元の市に入った頃にはへろへろになっていました。ずっと鼻は垂れていたのですが、それはマスクで隠してるので、……テレビを付けて初めて被害の大きさを実感しました。勤め先ではラジオしか聞いていなかったので。とにかく風呂に入ろうと「追い炊き」ボタンを何度も押しては部屋に戻るのですが、もういいだろうと思って風呂場に行ってみても全然沸いてない、そんなことを繰り返してやっとガスの元栓がメーターのところで閉まったんだということに気付くという体たらくで、結局明け方まで起きていたのでした。
 東京でも、私のいる辺りは液状化の心配もなく、屋根瓦がズレた家を極たまに目にする程度で、同じルートを職場へ向かった日は桜も満開で、暗い中では気付かなかった沿道の人の営みを目にして、もしもこれが根こそぎになったとしたら、と空恐ろしくなるのでした。流石に津波は来ませんが、断層はどこにあるか分かりません。低湿地や埋立地には住まないように気を付けていますので、水難の危険性は少なくしているはずですが。しかし都内はどこにも余裕がない、と、地図を見れば分かりますが、つくづく思ったものでした。
 それにしても、意外と覚えているものですね。土地勘はある方なのですが、記憶をたぐり寄せ、そして断片的な夜の情景を明るい影像で補完して行くような、そんな体験をしつつ、ほぼ同じ時間で勤め先に戻ってくることが出来ました。……そんな無謀なことをしたツケが、今、目と鼻に来ているようです。
 それはともかく、なんでこんなことを書いているかですが、今日は準備していた2本(及びその予備としてストックして置いた分)が両方ともまだ上げられそうにないのです。もう形にはなっているのですが、もう少し調べないと行けないことに気付いてしまったんです。しかしながら最初に書いたような事情もあって、滞っています。連勝記録じゃないんだから、と思うのですが、一度休んだら面倒臭くなって止めてしまいそうで、続けたい訳です。で、記事ですが、ほぼ完成しているものを、その欠陥を知らずに上げて、後で気付いたのなら、まぁ仕方がない(というか、もう仕方がない)と開き直れますからともかく、既に投稿前に訂正増補が必要であることを知りつつ、その前段階の一見、形になっているものをしれっと上げてしまうのは、ちょっと騙すようで気が引けます。こんなに無用なことを書いているブログで、後日修正するにしても何回にもわたっている断続掲載記事を追って読んでくれる読者もそういないでしょう(はてなダイアリープラスに加入すればそういうことも分かるのでしょうけど)、「続稿」で訂正して置けばいいや、とは、更新がいつになるか分からんようなペースな訳ですし、ちょっと割り切れません。それに、うっかり見落としなら恥ずかしくはありますが、まぁ後で謝れば済みます(もう誤る謝るしかないです)が、気付いていて「ここが不確かだけど後日フォローしますから」ではどうにもまとまりがつきませんし、実は不確かだということを秘して(突っ込まれなければいいや、と)もっともらしく形式の整っている(自己完結しとる)ものを上げてしまうのは、裁判でも「計画性の有無」が問題になるじゃないですか。「無知」や「衝動」が許されるのは、釈然としない気はしますが。論文にしても、そういうのがありますが。
 なんだか取り留めのない駄弁りみたいになってきたのでもう止めますが、満40歳にもなってこんなことではいかん、と思いながら、人間はついに進歩しないものだ、私なぞはトボケるのが上手くなってきたとき、大物に見えるようになるのかも知れん、などと訳の分からない腑に落ち方をしている今日この頃なのです。

*1:正確な表現ではなかった。どこも停電していなかったのだから。私にとってあの日は、ただ電車が止まっただけだったのだ。