津波で被害を受けが到達した地域には仮設住宅の建設を認めない、と宮城県が突っぱねているそうだ。羮に懲りて膾を吹く、というか、杓子定規というか。あんな津波が余震で起こるはずがない。そもそも、再々あんな津波に襲われると思っているのなら、それこそあの地域を居住禁止にすべきだろう。
津波報道の馬鹿さ加減といい、どうも何を危惧しているのかが、よく分からない。三陸津波としても数十年後のことなのだ。生活再建のための「仮設」で定住しようというのではない。住民が希望しているのだから、行政は寄り添って考えるべきだろう。
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2話め。
▲有樂座倉庫生首
これも同じく丸の内は數寄屋/橋際に舶來形の建築堂々たる有/樂座の道具倉へ入つた事のある/人の誰しも不審に思ふのは欄間/のに壁間*1『天』と云ふ字が書かれ/てある事だ、それの由來を訪ね/ると、此處に又もや奇怪至極な/物語が潜んでゐる。
數寄屋橋を銀座の方へ渡ると/赤煉瓦の秀英舍印刷工塲が建つ/てゐる、まだあの建物が建つ前/に 彼處に丸新とか云ふ 紙屋が/あつた、其の住宅が今の有樂座/の倉庫のある所にあつたのださ/でう*2、そして丸新のお女儀さん/と云ふ女が、人に殺されたとか/首を縊つて死んだとか何でも唯/ならぬ死に方をして住宅で相果/てたのだがその跡に建てた道具/倉だからたまらない、忽まち内/儀にたゝられてしまつた。そし/て欄間に未練さうな女の生首が/現れるのださうだ。さうした噂/が立つたから劇塲當事者は只事/ならずと、効驗あらたかな何と/か云ふ役者を褚んで來て、幽的/の出ると云ふ壁の所を封じて貰/つた、即ち『天』と云ふ字はその/役者樣が自ら筆を下したものな/のださうな。それから後はとん/とその幽さんも出なくなつたの/で新免さん、關屋さん、その他御/一同の方々もやつと胸をなで下/したとか。めでたし/\。
有楽座は明治41年(1908)11月に開場した劇場で、関東大震災で倒壊して閉場。昭和10年(1935)6月に現在の日比谷シャンテの位置に再建され、戦後は映画館だった(昭和59年10月閉館)。
新免さん・関屋さんなど関係者であろうが、まだ調べていない。有楽座の沿革とともに、後日補足することとしたい。
秀英舎の名は当時の出版物によく目にするところであるが、「赤煉瓦の秀英舎」は清水健次「日本最初の鉄骨造−秀英舎印刷工場−」に記述がある。
以下、ルビと改段箇所を示す。漢数字にはルビは附されていない。また「訪」の字には欠いている。
▲いうらくざくらのなまくび
おな・まる・うち・すきや/ばしぎは・はくらいがた・けんちくだう ぐ ・いう/らくざ・だうぐぐら・はひ・こと/ひと・たれ・ふしん・おも・らんかん*3/かべま・てん・い・じ・か/こと・ゆらい/ここ・また・きくわいしごく/ものがたり・ひそ(以上廿二頁4段目)
すきやばし・ぎんざ・はう・わた/あかれんが・しう江いしやいんさつこうぢやう・た/たてもの・た・まへ/あそこ・まるしん・い・かみや/そ・ぢうたく・いま・いうらくざ/さうこ・ところ/まるしん・かみ/い・をんな・ひと・ころ/くび・くゝ・し・なん・たゞ/し・かた・ぢうたく・あひは/あと・た・だうぐ/ぐら・たち・おか/み/らんま・みれん・をんな・なまくび/あらは・うはさ/た・げきぢやうたうじしや・たゞごと/かうけん・なん/い・やくしや・たの・き・ゆうてき/で・い・かべ・ところ・ふう・もら/すなは・てん・い・じ/やくしやさま・みづか・ふで・おろ/のち/ゆう・で/しんめん・せきや・たご/どう・かた ぐ ・むね・おろ/