瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(15)

 昨日の続きで、岩佐東一郎の随筆「赤いマント」の確認。

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 続く2段落(初出誌4行、単行本3行)は省略して、1行分空けて「その夜」すなわち昭和14年(1939)2月22日晩の記述から、続けて確認して見ましょう。初出誌161頁上段12行め〜162頁上段6行め、単行本14頁5行め〜15頁9行め、

 その夜、友人と夜食するために、銀座裏の關西料理に寄つ/て、一ぱい呑んでると、ふと、僕は|思ひ出して、ふん赤いマ/ントか、と輕蔑した口調で呟いた。と、給仕してゐた女たち/が顔を見合|せて、あら、あなたも御存知なのですか*1、佝僂の/男なんですつてね、おお厭だ、怖いわ本當に、|と云ふ。
 思はず僕は、おいおい、君たちは一體いくつになるんだい、/こんな馬鹿しい*2流言を本當にし|てゐるのかい、と云ふと、あ/ら、では嘘なんですの、と云ふ。當り前ぢやないか、假りに本/當だ|としても、赤いマントを着た佝僂男なんて判つてたら*3、/この位い、はつきりした目印しはないんだ|から、とたんに警察/で捕へるに決つてるぢやないか、第一、赤いマントなんな、*4/【初出誌161頁上段】岩谷天狗の主人ぢ|【単行本14頁】やあるまいし、あんまり話も派手すぎら/あ、と呆れて了つた。*5
 
 その翌日の夕刊を見ると、「最近板橋王子方面を中心として/赤マントのせむし男が夜間徘徊、獨|り歩きの婦女子に襲ひか/かるといふ荒唐無稽の流言が、全市の婦人、女學生、小學生/たちに流布|され、それに尾鰭がついて、波紋を擴げて行くの/で、流石の警視廳も捨てて置けず、管下各署に|流言の嚴重取/締方を通牒したが、更にAKから一般家庭に對し、かかる流/言に惑されぬ樣との放|送をすることになつた」云々の記事が/【初出誌161頁下段*6】載つてゐた。もう、こうなつたら、僕は唯もう苦笑するよ|り/致し方がなかつた。
 折から遊びに來た友人に、赤マントも有名になつて、新聞/記事になり、ラヂオニユースにまで|出世しましたな、と云ふ/と、彼も、*7全くですね、直木賞ものですよ、この作者は、*8と/苦笑してゐた。


 AKは社團法人日本放送協會の東京中央放送局です。
 さて、この新聞記事ですが、既に11月2日付(12)で見たように小沢氏も確認済みの「東京朝日新聞」、それから11月3日付(13)で見た「讀賣新聞」ではないので、他の新聞なのですが、東京の市井雑事を取り扱った新聞と云えばまず「都新聞」だろうと見当を付けて、後日出直した際に「都新聞」を閲覧したところ、まさに図星を突いていたのでした。
 昭和十四年二月廿四日(金曜日)付、第一万八千四百三十三號の「夕刊*9」で、11月3日付(13)でも述べたように当時の夕刊は前日刊行ですから(一)面に(廿三日夕刊四頁)とあります。すなわち昭和14年(1939)2月23日の午後の新聞で、4頁のうち(二)面*10、14段組の紙面の7〜8段め、見出しは2段抜きで「〈〉「吸血の傴僂男」/今夜AKから鎭靜放送」とあって、角書は右側の「流」がやや上に位置しています。本文を見てみましょう。

最近板橋王子方面を中心として赤/マントのせむし男が夜間徘徊、獨/り歩きの婦女子に襲ひかゝるとい/ふ荒唐無稽の流言が全市の婦人、/女學生、小學生たちに流布されそ/れに尾鰭がついて、波紋を擴げて/行くので、流石の警視廳も捨てゝ/置けず*11
 去る十九日管下各署に流言の嚴/ 重取締方を通牒したが、更に廿/【7段め】
 三日午後七時のラヂオニユース/ の時間に一般家庭に對し、かゝ/
 る流言に惑されぬ樣との放送を/ することになつた


 岩佐氏はルビの附された部分をほぼそのまま引用し、最後の1字下げでルビのなく詰まった部分は一部省略しています。右の引用では岩佐氏の省略した箇所を灰色太字にして置きました。
 尤も『くりくり坊主』294〜297頁の、「昭和十六年夏」付の「茶煙亭主人/岩佐東一郎」の「あとがき」を見るに、296頁6〜7行め「‥‥、新聞では「中外商業新/報」「家庭新聞」「都新聞」「逓信だより」などに執筆したものの内から收めた。」とありますので、岩佐氏が取っていた新聞が「都新聞」であろうことはそこからも見当が付きそうなものでした。
 さて、この記事によって「その翌日」が昭和14年(1939)2月23日(木曜日)、岩佐氏が四谷の町会掲示板で「赤マントの佝僂男」の掲示を見たのが2月22日(水曜日)の夕方、そして銀座裏の料理屋で給仕の女性がこの噂に怯える様を見たのが22日の晩、と確定出来る訳です。さらに、警視庁では2月19日(日曜日)には既にこの流言を問題視して、対応を指示するまでになっていたことが判明します。(以下続稿)

*1:単行本「なんですか」。

*2:単行本「馬鹿らしい」。

*3:単行本「判つたら」。

*4:単行本「なんて」。

*5:単行本ではこの段落の初出誌の半角読点は全て全角。

*6:この段の残り11行分に「夢判斷」と題する、錠劑わかもとの囲み広告。

*7:単行本この読点なし。

*8:単行本この読点なし。この行の読点を2つ省略したのは恐らく行数を増やさないため。

*9:角書。

*10:「C」とあり。

*11:ルビ「さい・いたはし・めん・あか/はいくわい・ひと/ある・ふ・おそ/くわうたう・けい・りうげん・ぜんし・ふ/がく・がく・るふ/を・はもん・ひろ/さす・けいしちやう・す/お」。