瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

塩嘗地蔵(026)

 ここまで、17年前(たぶん平成6年1月)に提出したレポートよりも後に刊行されたガイドブック類から塩嘗地蔵の記述を延々拾って来た。飽きないのか、と言われそうだが、これを取り上げて、これを無視する、というのがどうも嫌なので、図書館をハシゴして見得た範囲の本については、メモして置くつもりである。
 しかし、17年前に都内の区立図書館で見たガイドブック類は廃棄されてしまったらしく、都内の区立・市立の図書館にはもうないようだ。国会図書館や県立図書館に行けば、改版ごとに揃っているようだが、それこそ際限がない。ガイドブックの変遷史のようなことも、誰か地元民で暇な人がやって良い課題だと思うのだが。
 それはともかく、ここらで少し、17年前より前に出た本に遡ってみたい。

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・『神奈川県の歴史散歩』山川出版社)横書き。

神奈川県の歴史散歩 (下) (歴史散歩 (14))

神奈川県の歴史散歩 (下) (歴史散歩 (14))

 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 下 鎌倉|湘南|足柄(歴史散歩⑭)』(2005年5月25日1版1刷発行・定価1200円・290頁)。18.2×12.5cm。口絵及び本文図版の一部はカラー。本文は2色刷。『上 川崎|横浜|北相模|三浦半島(歴史散歩⑭)』も同時刊行(326頁)。「歴史散歩」シリーズは都道府県別に全47巻(57冊)。
 私が以前見たのは新書版(17.3×10.7cm)で淡い橙色の背表紙の神奈川県高等学校教科研究会社会科歴史分科会 編『新版 神奈川県の歴史散歩 (新全国歴史散歩シリーズ⓮)』だが、現在の版にはこの「新版」のことが注記されていない。『下』巻末の「歴史散歩」の広告(一覧)に「好評の『歴史散歩』を全面リニューアルした、……」とあって初めて改版であることが分かる(『上』には広告がないので「新版」の存在は全く分からない)。図書館でも現在の版はたいていの館にあるが、「新版」は見当たらなくなっている。
 細かい比較は、気が向いたらするかも知れないが、今は『下』の「光触寺」の項の比較にとどめて置く。
 今、借りている「新版」は、1987年5月25日1版1刷発行・1994年11月25日1版6刷発行・定価864円・284頁、である。口絵8頁分がカラーで本文は単色印刷。収録範囲は「鎌倉・湘南・あしがら・北さがみ」で、『上』は「川崎・横浜・みうら」となっている。
 なお、「新版」を冠しシリーズ名にも「新」とあるように、奥付の次に載る「新全国歴史散歩シリーズ」の一覧広告に「白ヌキ数字になっていない県は旧版(文庫版)で現在発行しています。」とあるように、それ以前の版があるのだが、見たことがなかった。そこで探してみた。神奈川県高等学校教科研究会社会科歴史部会 編『神奈川県の歴史散歩(全国歴史散歩シリーズ14)』(1976年6月25日1版1刷発行・山川出版社・前付醱鄴+本文235+後付19頁)である。定価はカバーにあったらしいがカバーを外してあるので未確認。表紙はカラーで「鎌倉大仏」。カラー口絵が4頁ある(頁付なし)。文庫版で1冊である。本文は縦書き。「川崎・横浜・みうら・鎌倉と湘南・あしがら・丹沢のふもと」という分け方で、「鎌倉と湘南」は111〜163頁、うち「四 藤沢・茅ヶ崎周辺」148頁4行め〜153頁と「五 平塚・大磯周辺」154〜162頁は「湘南」だから、「鎌倉」は114〜148頁3行め「一 北鎌倉周辺・二 鎌倉北部・三・鎌倉南部」34頁余りしかない。光触寺は「二」(126〜139頁)の末尾近く(139頁)に「……、バス停十二所の右方は、頬焼阿弥陀でしたしまれている阿弥陀三尊(重文)を安置する光触寺*1で、……」と触れてあるのみ、塩嘗地蔵には言及していない。
 「新版」では1〜104頁が「鎌倉」。47頁20行め〜73頁19行め「4 雪ノ下・二階堂のあたり」の最後(72頁8行め〜)が「光触寺」で、73頁3〜6行めに次のように見える。

……。本堂のわきには塩嘗地蔵が祀られ,六浦(横浜市金沢区)の塩売りが,鎌倉へ出たとき塩を初穂にあげると帰りにはないので嘗めてしまったのだろうという伝説をもっている。……*2


 光触寺についての記述は73頁9行めまでで、10行め以下は十二所神社朝比奈切通し国史跡)・梶原太刀洗の水(鎌倉五名水の一)について。
 現在の版では1〜144頁が「武士のふるさと鎌倉」で、45頁〜56頁21行め「③浄妙寺・十二所の辺り」の最後、52頁19行め以下が「光触寺(26)*3」である(54〜55頁の見開きはコラム「中世都市鎌倉と七切通」)。分量が増えているが、全体に簡潔な表現だったのを詳しく書き換えたためである。53頁17〜19行めに次のように見える。

……。本堂の脇には塩嘗地蔵がまつられている。六浦(現,横浜市金沢区六浦)の塩売りが,鎌倉へでるとき塩を商いの初穂にあげると,帰りにはないのでなめてしまったのだろうという伝説がある。*4


 塩嘗地蔵については、殆ど変わっていない。光触寺についての記述は53頁22行めまでで、23行め以下は十二所神社朝夷奈切通国史跡)・梶原太刀洗(鎌倉五名水の一)。

*1:ルビ「こうそくじ」。

*2:ルビ「しおなめじぞう」。

*3:「(26)」は丸数字。再現出来ないので半角括弧で代用。

*4:ルビ「しおなめじぞう・むつら・かなざわ・むつうら」。