瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(7)

 八丈島に渡った小池氏は、まず歴史民俗資料館を訪ねている(『怪奇探偵の実録事件ファイル2』25頁*1)。そこで「そういう伝説のことなら、山田さんがご存知かもしれない」とて、郷土史家の山田平右ェ門を紹介される(26頁)。山田氏を訪ねると「七人坊主の伝説は、中之郷に伝わりますが、私もずいぶんそれについて、あちらの人に聞いたことがあるんです。しかし、やはり島民が僧侶を虐殺したというような話ですからな、あまり話しやすいことではないのでしょう。……」(28〜29頁)とのことで余り詳しい話はなく、小池氏に伝説の背景について問われて、「不受不施僧」や「中国人漂流者」の可能性を示唆するにとどまっている(29〜31頁)。
 それから中之郷を訪ねたものの大した成果もなく(34〜38頁)、八丈町の中心部(三根)に戻って、図書館で教育長を紹介されて面会している(39頁)が「わたしはね、あの伝説はウソっぱちだと思っているんです」と言われただけであった(40頁)。そして「八丈島における『七人坊主』の伝説は、タブー視されている感が強いという印象」を持つ(45頁)。
 しかし、なんだか腑に落ちないのである。
 この伝説について書いている人が2人もいるではないか。八丈島出身の菊池氏は鎌倉市在住である。そして『八丈島の民話』の浅沼氏。浅沼良次(1921〜2002.7.1)はつい最近Wikipediaにも立項されたが、『怪奇探偵の事件ファイル2』が刊行された当時、まだ存命であった。「東京七島新聞」2002年07月18日号の死亡記事によれば、死去時に「八丈町文化財専門委員長」であった。名誉職の可能性もあるけれども、大賀郷在住でそのような役職を務めている、『八丈島の民話』の編者が近くにいながら、三根の歴史民俗資料館でも図書館でも浅沼氏の名前が出なかったのは何故なのだろう。
 それから気になるのが、教育長の「ウソっぱち」という発言(40頁)である。飢饉や言語不通のために、餓死に追い込まれた漂着者が出たとしても、何らおかしなことではない。天明の飢饉の際の奥州の惨状を見よ。7人の坊さんを餓死させたくらいのことを、何故こんな強い調子で否定しなければいけないのだろうか。
 そう思って読んでみると島の人たちは、小池氏が『ほんとうにあったおばけの話⑩』と『八丈島の民話』から得ている伝説よりも、もっと深刻な内容と認識しているらしい風が窺われるのだ。――小池氏が手始めに訪ねた歴史民俗資料館では、小池氏の「そこに坊さんが流れついたという伝説がありますよね」という問いに対して「坊さんが虐殺された話のことですか?」と答えている(26頁)。館の人に紹介された山田氏も「島民が僧侶を虐殺/したというような話」と言っている(28〜29頁)。村から閉め出して「餓死」させたのを「虐殺」とは言わないだろう。菊池氏や浅沼氏が述べている伝説とは別に、島民が「虐殺」した、という話が存在しているのではないか。そして、島の中では島の外に流布されている「餓死」説ではなく「虐殺」説の方が主流だったとしたら。小池氏の本ではそこがはっきり書かれていないから、不自然なまでに協力的でないように読めてしまう、……そんな気がするのである。(以下続稿)

*1:2013年4月14日追記】書名の「実録」が抜けていたのを補った。