瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(10)

 前回10月22日付(09)で紹介した小寺融吉「八丈島の話」以前に「七人坊主」について書いた文献は、今のところネットではヒットしない。八丈島については近藤富蔵『八丈実記』が基本文献で活字化もされているが、七人坊主は載っていないようだ。しかし、10月19日付(06)浅沼良次『八丈島の民話』に出てくる地名を確認するために『八丈実記』は確認して置かなくてはいけないだろう。
 それから、小池氏の「謎の人骨火葬事件は七人坊主の祟りか?」の本文中には全く言及されていないが、末尾の[参考文献](59頁)にのみ見える、

口承文芸の展開・上』(国学院大学文学第二研究室論文編集委員会編・桜楓社)

が、気になる。それから小池氏が40頁に、

 まず「七人坊主」の伝説の背景を知る上で必要な文献というのは、大間知篤三著『八丈/島―民俗と社会―』(東京創元社)が一冊あれば足りるのである。これは昭和二十六年/(一九五一年)に発行され、昭和三十五年(一九六〇年)に増補版が出た。
 この本には、「七人坊主」の伝説がなぜ生まれたか、ということは書いていないが、た/ぶんこういうことだろうな、というヒントは書いてある。

と評価している大間知氏の本(もちろん[参考文献]にも挙がっている)も見て置くべきだろう。
 それで、ほぼ確認したのだが、完全ではない。けれども、ぼちぼち上げて行くことにする。

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 まず、大間知氏の本だけれども、増補版をまだ見ていなくて、原装の初版本が手許にある。
 大間知篤三『八丈島―民俗と社會―』(昭和二十六年十一月十五日初版發行・三八〇圓・創元社・三〇四頁)。書名は背表紙による。扉には「八丈島――民俗と社會――」とある。奥付には「八丈島」とのみ。18.0×12.5cm、上製本
 詳細は増補版を見た上で記述したいのだが、先月借りて来てぱらぱらめくって見るに、二四四頁に以下のような引用が載っているのが目に留まった。

末吉村のカワノウ地と云所には、八子ノ川とも八僧の川とも云あり。何時の頃か唐僧八人食につき、山籠/して死せし其念殘てたゝりをなし、瀬戸物鐡類魚物を貯へて通行すれば、いつか手より失ふことあり。其/山に入れば足腰を煩て一生涯治すことなし。此故に人多く惱む。此村に孫十郎と云者八丈富士山に登り、/久しく困行して神仙の道を獲て歸れり。彼八僧の死念を丹誠して祈り、其災をしづむ。此者凡人ならず、/藁一本海上に浮べ乘しと云。又村民惡病を煩ふを、祈念して癒す神の如し。


 「實記卷三から」(二四三頁)すなわち『八丈実記』巻三からの引用である。
 この話、山で餓死したChina僧の祟りで、――もちろん、中之郷ではなく隣村の「末吉村」の話だし、七人坊主ではなく「八人」だし、今は祟りは「しづ」められているのだが、――基本的な型は一致していると云って良いのではないか。物が失くなるというのは小寺氏の聞いた「煙草入と煙管」を失くした若者の話が想起される。(以下続稿)