瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

石子順造編著『小絵馬図譜』(1)

 上京して(浪人してから)大学に入った当時、先輩や同輩が芳賀書店について思わせ振りな物言いをするのを聞いて、全く予備知識のなかった私はただ、何なのか、と思った記憶があるが、その後、店舗の場所を知ったが中に入ることもなく過ごしている。シネアルバムなどの映画関係書、『田中英光全集』『原民喜全集』などの文学関係書とか、そういう系統の出版物とは縁があるのだが。
 さて、今回取り上げる石子順造 編著『小絵馬図譜 封じこめられた民衆の祈り(芳賀芸術選書)』(一九七二年一二月三〇日第一刷発行・芳賀書店・233頁)だが、石子順造(1929.10.12〜1977.7.21)の名前は、浪人時代に入り浸っていたS区立中央図書館の書棚で見かけた。いや、石子順(1935.7.10生)と混ざっているのかも知れない。それはともかく、石子氏については(もう1人の方も)私は他に著書を読んだこともない。じゃあ何故読んだのか、ということだが、ネット上に千住の絵馬師吉田政造*1の発言を本書から引用したサイトをいくつか目にして、読んでみたのである。
 21.0×15.0cm。大きさはシネアルバムと同じで、並製本で表紙に折返しがあるがカバーではない。函があったと思うのだが図書館の本には函がないから分からない。定価も函に入っていたらしく、本体には見当たらない。
 最初の4頁(頁付なし)は黄緑色の紙に刷られており、扉が1頁、2〜3頁見開きが「目次」。4頁には何も印刷されていない。
 内容だが、大きく2つに分けられる。1つは「図譜」で、もう1つは石子氏の論考。
 論考の石子順造「そのデザインにおける聖心と俗信」は141〜199頁。中扉141頁(頁付なし)には「小絵馬図譜/そのデザインにおける聖心と俗信――石子順造」とある。2段組で偶数頁は20行、奇数(左)頁は、章の初めになっている頁(171・193頁)を除いて左にモノクロ図版と柱があるため、10行しかない。1行28字。「目次」には、

はじめに
 

俗信と文明
 
★★
絵馬の歴史
 
★★★
絵馬の形体と画題
 
★★★★
絵馬の聖心と俗信
 
★★★★★
絵馬と現代文明

とあって、各章の頁付はない。★は章番号を示しているようで、本文の方でも144頁「俗信と文明」と154頁「絵馬の歴史」には「目次」と同様、右に★が打たれているが、171頁「絵馬の形体と画題」182頁「絵馬の聖心と俗信」193頁「絵馬と現代文明」には★がない。
 目立つところで抜けている訳だが、誤植も少なくない。石子氏の「昭和四十七年十一月二十八日」付の「あとがき」(232〜233頁)の最後、一通り謝辞を述べた上で1行空けて、次のように書いている。

 
 最後に一言私事にわたらせていただくと、この文章を書いている今、/ぼくは二週間後に手術をひかえている。今まで胃と肺を切ってきたが、/今度は腸である。今日も病院の帰途である神社の前を通り、昔の人なら/こんなときに絵馬をあげたのだろうか、とふと思ったのだった。だがぼ/くは、ついに絵馬を奉納することをしないだろう。というより、できな/いのだ。そのくせ絵馬の本を書くという〈ぶざま〉さが、ぼくの生きざ/まであるしかないな、と考えている。


 従って、自分では十分校正出来なかったのだろう。編集の校正も十分とは言えない。年内に刊行するために(病床の石子氏に届けるために)急いだということもあろうか。(以下続稿)
2019年3月15日追記】第三刷(一九七四年一月二〇日)を見た。第一刷と比較しておらず、当時かなり細かく取った誤植等に関するメモも見当たらないので、訂正がなされているのかどうかは確認出来なかった。

*1:9月1日付駒村吉重『君は隅田川に消えたのか』(15)」吉田正三について(2)参照。