七人坊主に関係する地名を『八丈実記』から拾って、12月2日付(29)に、
それにしても、八丈島にはこれほどの地名資料がありながら、その同定・現在の地図との対照がなされていない(らしい)のは、少々寂しい。
などと悪態を吐いたのだが、そういう作業がなされなかった訳でもなければ、参考になる資料がない訳でもなかった。
・東京都教育庁社会教育部文化課 編集・発行『八丈島末吉地区文化財調査報告』(昭和56年3月31日発行・215頁)B5判
表紙は白の少し厚い紙が使われており、図版にもアート紙は使用されていない。
背表紙は上部に「昭和五十六年 八丈島末吉地区文化財調査報告」、下部に「東京都教育委員会」と、本文と同じ大きさの活字で入っている。表紙は横組みで「昭和56年3月/八丈島末吉地区文化財調査報告/東京都教育委員会」とある。
内容は、1.〔概 観〕/2.〔自 然〕/3.〔人文地理〕/4.〔民家建築〕/5.〔歴 史〕/6.〔民 俗〕に分かれている。
141〜213頁「6.〔民 俗〕」の141〜153頁千葉徳爾「末吉地区の民俗」の142頁5行め〜145頁16行め「(2) 小地名」の冒頭の段落(142頁6〜10行め)を次に引用する。
末吉地区の小地名について、住民の日常使用する小地名のききとりを行った。その結果約130を得/てこれを2万分1地形図に記入したのが第1図である。このうちには水海山地区のように、現在居住/者がなく住民の大半が知らないものもあるが、近藤冨蔵の作製と伝承されている長戸路武夫氏所蔵図/と対照して、ほぼ確実とみられるものをとった。文字は漢字によるとあて字になるのを恐れて、なる/べく住民の発音をカナでうつすようにしたが、住民自身が用いている文字はそのまま使用してある。
水海山地区は末吉の北、三根との境界付近である。それ以外の地名にも、この古地図との対照結果が反映されているかどうか、その可能性はあろう。142頁20〜21行めに「近藤冨蔵製作という各村別絵図にはより詳細な名称もみられるけれども、現在の場所/として確認しがたいものや、現住民の知らないものがあるので、これらについては後日を期したい。」とあって、一応古地図との対照により調査を進めたらしいことは察せられる。
143頁が、B4判折込図「第1図 末吉村の小地名」で、144頁(頁付なし)に当たる裏は白紙である。この図には142頁17〜18行めに「対照のため調査し/た隣の中之郷集落」とあるように、末吉村だけでなく中之郷についても全域について小地名が末吉村と同じくらいの密度で記入されている。
以下、この図と、この報告書(全部読んでいない)から関係しそうな情報を拾って見ることとしたい。(以下続稿)