次に、編者がこの手記を入手した経緯を見て置こう。
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主人公風間直樹の手記の前後に編者による前置き(17頁)と「編集後記」(128〜130頁)がある。
主人公は昭和24年度(推定)の冬には学校を欠勤するようになり、辞表を送付するのだが、この辞表送付の時期が示されていない。辞表のことは128頁に以下のように見える。
……。編者がこの手記を、都内××高校から送付されたのは、風間が学校長宛に辞表を送りつけてから二カ月以上たったのちであった。読後、驚いて、編者はすぐに学校当局と会って事情をきいたが、なんら手がかりになるものは得られなかった。……
この高校訪問により17頁に述べられる、手記発見の経緯が判明したようである。
……。この手記は同校の生徒図書室の整理戸だなのなかから、かれの死後、偶然発見された。大判大学ノート一冊にこくめいな細字で書きしるされてあり、黄いろい大型封筒に厳封されてあったが、封筒のおもてに編者の宛先が大字で書かれてあったきりで、ほかに遺書らしきもの、また編者宛の手紙、あるいは覚え書のようなものは何一つのこされていない。……
高校では偶然これを発見して後、そのまま編者に発送したようだ。
ちなみにこの高校については「大学入学率の高いことで五本の指にかぞえられる有名校である」とある(17頁)。恐らく昭和35年の状況であろう。
問題は、この封筒を、いつ、誰が置いたのか、ということであるが、皆目見当が付かない。常識的に考えて本人の可能性が高いとは思うが。そして、図書室に置かれていた理由としては、手記の最後の方、次第に周囲との交際を絶って行く主人公が、学校にかかって来た友人の戸崎からの電話を切って後の、次の記述(123〜124頁)が想起されるのである。
受話器をかけて、きゅうにわたしは胸に熱いものがグッとこみあげてくるのを覚えた。なぜ(以上123頁)だかわからなかった。わたしは急いで人けのない図書室に逃げこむと、誰もいないところで一/人さめざめ泣いた。何のために泣いたのだか、自分でもわからなかった。……
途中省略して、この18行に及ぶ長い段落の最後(124頁)を引いて置く。
……。わたしは戸崎の声を聞くの/も、もうこれが聞き納めだと、その時はっきりそう思った。そして、はたしてその通りになっ/たが、わたしがこの手記を書いて戸崎に残しておこうと思い立ったのは、じつは、その時だっ/たのである。それを書くことによって、わたしは完全に自分から離れようとしたのだが、自分/の方が先に自分から離れてしまったような形になってしまった。
すなわち、編者とは、読んでいくうちに見当は付けられるのだけれども、戸崎(信夫)なのである。次に、主人公に手記を書き残させた、この戸崎という人物について、整理してみよう。(以下続稿)