整理してみよう。
昭和21年度に「県下の新制の大学」に入学し、その年のうちに退学したとして、翌年東京の大学に進学し、そして旧制の3年制としても、昭和22年度・23年度・24年度だから昭和25年(1950)春の卒業で、どうしても昭和24年(1949)春には卒業出来ない。
かつ、そもそもが「終戦の翌年、郷里の旧制の中学」を卒業したというところからして、おかしい。
終戦当時の旧制中等学校は4年制で、現在の中学校1年次から高等学校の1年次に当たる。昭和21年(1946)春に旧制中学を卒業したとして、昭和20年度に中等学校4年生になる学生は、留年せずに卒業すれば満16歳、昭和4年度の生れという勘定になる。
ところが、その昭和21年(1946)に大学を中退して引き籠もって猛勉強中に「狂態を演じた」のを「二十歳を過ぎたころ」としている(84頁)。当時は数えで勘定しただろうから、昭和4年(1929)生で十八歳、昭和5年(1930)生で十七歳である。いくらなんでも「二十歳を過ぎたころ」の訳がない。
どうも、この辺、旧制の高校と新制の高校と旧制の中学とがごちゃごちゃになって、区別が付かないまま書いてしまったのではないか、との疑いを抱かざるを得ない。旧制高校は3年制だから、旧制中学に加えてこの旧制高校の時期を加算すれば、大学に入る前に数えで二十歳か二十一歳(満19歳)になっている。平井氏はそのつもりで、誤って旧制中学と書いてしまったのではないか。いくら戦後の混乱期でも、中学を卒業してそのまま大学には進学出来ない。但し旧制高校は戦時中に2年制に短縮したのを終戦直後に3年制に戻したため、昭和20年(1945)春の卒業の次は昭和22年(1947)春卒業で、昭和21年(1946)春の卒業はなかった。
こうして見て行くと、どうも平井氏には時代を整理する感覚が、鈍かったように思われるのである。1月9日付で平井氏が「the American war」を時代錯誤で「アメリカの南北戦争」と訳していることを指摘したが、自作に於けるこの辺りの処理を見ても、こういったことの整理が得手だったとは、やはり思われない。
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私は得意科目が世界史で、近現代史が出題され日本史よりも平均点が10点低かったセンター試験で98点取った、というのが空しい「俺って昔」自慢なのだが*1、歴史の分からない、いや頭に入らない人に説明していて気付かされるのは、少なからず、空間的な広がり(地理)と時間の広がり(歴史)がつかめない人がいる、ということである。両方が組合わさって、面になり空間になり、その上に初めて人間関係なども繋がって来る。そうでなければ、広がりのない点でのみ見ていて、すなわち有名人だとか、町だとか寺社だとかのピンポイントで、一向に広がりを見せない。新撰組やら独ソ戦やらにやたら詳しいのに、同じ時代の他の集団の動きには全く無頓着な連中である。私はこういった辺りが気になってしまうので、気にならない人も多いと思うのだが、本筋には関わらないにしても、筋が通らないことには違いないので、気にならないから構わんというものではないのだから、指摘して置く意味もあろうかと思ったのである。
それでは、平井氏の地理感覚の方はどうかというと、こっちはかなり正確に、舞台となった集落の特定も出来そうなくらいに書いてある。話が戸崎氏のことからずれてしまったが、次に作品の舞台の確認を先に済ませておくこととしたい。(以下続稿)