小説「真夜中の檻」について、もう少々気になっていることがあるのだが、正直どうでも良いようなことなので、また気が向いたら取り上げるかも知れないが、ここらで一応打切りにして置く。
登場人物の心理やらは、読む人によって解釈の相違が出て来ても仕方がない。大体、一人称の小説は語り手が正直に語っているかどうか分からないし、本人がそのつもりでも偏ってしまうことは免れない。語り手自身が自分の「解釈」を述べているのだから。けれども、地理とか時代とか、はっきり書いてある分には確定出来るはずだ、というのが私の考えで、それから普通でないことや前に書いてあったことに齟齬することを何の注釈もなしに書いてあったりすると、例えば主人公の母の年齢や、先代の喜一郎が狂人なのかどうか、など、気になってしまう。これはもう解釈のしようがないから疑問として呈示するばかりである。いや、勢いで設定を確認せずに書いたのだろうと思っているのだが。
他の小説やエッセイについて気付いたところもあるのだが、まだ最後まで読んでいないので、やっぱり後回しにして、先に紀田順一郎「解説」369〜375頁に触れて置きたい。
9〜98頁「第1部 幻想小説の世界」の69〜75頁に「平井呈一『真夜中の檻』解説」と題して再録されている。そのことは238〜239頁「初出一覧」にも「平井呈一『真夜中の檻』解説(『真夜中の檻』東京創元社、二〇〇〇)」と示されている(238頁12行め)。以下に初出と再録との相違点を列挙して置く。
・369頁12行め「一八九七年(明三〇)」 →69頁10〜11行め「一八九七年(明治/三十)」
※ 年代を示す括弧は小さくなっているが一々指摘しない。
・371頁17〜18行め「(『世界恐怖小説全集3 怪奇クラブ』解説、一九五九。本書所/収)」
→72頁1行め「(『世界恐怖小説全集』第三巻『怪奇クラブ』解説、一九五九。「創元推理文庫」版『真夜中の檻』所収)」
・372頁3〜4行め「(『オトラン/ト城奇譚』)」 →72頁5〜6行め「(『オトラント城綺/譚』)」
・372頁13行め「サッカレイ」 →72頁14行め「サッカレー」
・372頁17行め「一九六〇年(昭三五)」 →73頁1行め「一九六〇年(昭和三十五)」
・372頁18行め「本書所収の創作『真夜中の檻』と『エイプリル・フール』」
→73頁2行め「本書(『真夜中の檻』「創元推理文庫」)所収の創作『真夜中の檻』と「エイプリル・フール」」
※ 鍵括弧を変えているが、基準が分からない。
・373頁5行め「『エイプリル・フール』は分身(ドッペルゲンガー)を」
→73頁7行め「「エイプリル・フール」は分身(ドッベルゲンガー)を」
・373頁17行め「(『世界恐怖小説全集4 消えた心臓』解説、一九五九。本書所収)」
→74頁4〜5行め「(『世界恐怖小説全集』第四巻『消えた心臓』解説、一九五九。「創元推理文庫」版『真夜中の/檻』所収)」
・374頁14行め「『エイプリル・フール』」 →75頁2行め「「エイプリル・フール」」
それから、創元推理文庫版には掲載されていなかった初刊本の書影が、73頁左上に「平井呈一『真夜中の檻』/初版(1960)」として白黒だが掲載されている。これは検索してみると、HP「幻想文学館」の「怪奇小説の書影のコーナーです」、travisのブログ「考え中。」2010-08-03「『真夜中の檻』」*1、大阪の古書店のブログ「ジグソーハウス通信」2011-05-24「中菱一夫「真夜中の檻」浪速書房」*2で、カラー写真を見ることが出来る。